№21 呪い

 立ち去ったと思われていたミシェーラ、倫城先輩、一ノ瀬の三人は、暗くなった病室のドアの隙間から、暗視ゴーグルでこっそり中を覗き見ていた。


 病室のベッドの上では、ふたつの影が重なっている。なにか言っているようだが、ここからでは聞き取れない。


 しめしめ、うまくいった、とミシェーラは笑った。


 最初から、このクリスマスパーティーはハルと影子をくっつけるために催されたものだった。もちろんみんなでクリスマスを祝うという趣旨もあったが、本命はこっちだ。


 プレゼント交換を仕組み、いい雰囲気になったところで退散してふたりきりにする。


 急に明かりが消えたのも、ミシェーラたちの仕業だった。


 サプライズシタイデス!と陽気な外国人を装ってナースステーションに掛け合い、個室だし、重篤な状態ではないし、せっかくのクリスマスだし……ということで、バイタル関係の電源とは関係ない照明は落としてもらった。


 そして、ASSBの高校生エージェントなら持っている暗視ゴーグルを倫城先輩に借りて、三人でことの成り行きを見守っているのである。


 すべては計画通りに運んだ。


 実のところ、ミシェーラはハルのことが好きだった。


 それは恋なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。


 ただ、親友としては、ハルにしあわせになってもらうのが一番だと考えて、この計画を思いついたのである。


 計画を遂行した今、実にすがすがしい気分だった。たとえ自分がハルに恋していたとしてもよかった。収まるところに収まるものが収まれば、ハッピーエンドだ。ミシェーラはそのためにひと働きしただけだった。


 好きなひとにしあわせになってほしい、ただそれだけの純粋な思い。


 倫城先輩もそうだった。決してハルをあきらめたわけではないが、現状ハルに必要なのは自分ではなく影子だ。身を引く、などという潔いものではないが、ハルがしあわせになるならどんな形であっても構わなかった。


 自分にあれだけの覚悟はない。ただ、ハルを好きな気持ちにウソはない。だとしたら、好きなひとにはしあわせになってもらいたかった。半ば自分の気持ちを影子に託したような気分になっていた。


 巻き込まれただけの一ノ瀬も、もちろん影子が好きだった。できるならばハルのいる場所に自分が立っていたかった。が、無理矢理どかせるにはあまりにも大きな存在だ。かつてはいじめられっ子だったハルも、今ではずいぶんと男の顔をしている。もう自分がどうにかできるものではないのだ。


 影子がハルを思っていることは知っていた。そして、同じくらい一ノ瀬を大事に思ってくれていることも。一ノ瀬だけではない、ミシェーラも、倫城先輩もだ。いつも通りに過ごす日常に、欠くことのできないピース。ゆえに、一ノ瀬は影子の世界の一部として、影子にしあわせになってもらいたかった。急な計画に乗ったのもそのためである。


 それぞれが、ただ純粋に『ふたりにしあわせになってもらいたい』と願って、聖夜の奇跡は訪れた。友情だ愛情だ劣情だ慕情だ、そんなものは関係ない、ただの『愛』である。ハルを、影子を愛してやまないからこそ、私情を捨ててふたりの背中を押した。


 みんなが自分の気持ちに正直になった結果、ふたりは思いを通わせることができたのだ。


 病室ではふたりが抱き合っているのが見える。


 ハル当人はミシェーラたちのデバガメをつゆ知らず、逃がさないように、怯えさせないように、影子をやんわりと抱きしめていた。


「……アンタ、アタシのこと好きなのか……?」


 大きく目をまばたかせながら、かすれた声で影子が問う。


「うん。だって、君が他の男と話してるところ見るの、なんだかもやもやするし」


「……やきもち妬いてたのか……?」


「これでも男なんでね。けど、これってただの独占欲じゃないよ。だって、結局は君がしあわせになってくれれば、他の男とくっついたっていいや、って思ってるんだから」


「そんなこと! アタシはアンタじゃなきゃ……!」


「わかってる。もしもの話だよ。君が僕を選ばなくとも、君がしあわせになってくれたらいい。相手の幸福を一番に願う、それって恋じゃないかな?」


「……だけど、アタシは、」


 言葉の続きを、ハルはキスでふさいだ。


 ただ触れるだけのつたない口づけに、影子は目を見開く。くちびるを離して、ぽかんとしている影子を抱きしめ直したハルは、


「君があるじを食った罰を受けたいって言うなら、僕がずっとそばにいて、君に罰を与えてあげるよ」


 互いの体温が、鼓動が、呼吸が加速する。それをお互いに感じ取りながら、もう日が暮れそうな病室で、ハルは呪いのような言葉を口にした。


「君をずっとずっと、絶対ふしあわせにする。それが、僕が与えられる罰だ」


 プロポーズ、というよりは呪縛の言葉だった。


 たったの一文字が、ありふれた愛の言葉を呪いに変えた。


 宣誓の鎖にとらわれた影子は、もう逃げることなどできない。男ひとりにそこまで言わせたのだ、もう言い訳など無駄だった。


 影子に残された道はひとつきり。


「……くっそ……こんなしあわせな罰があるかよ……バカ……!!」


 影子はハルの胸にすがるように抱き着き、声を上げて大泣きした。咆哮のような鳴き声が病室に響き、入院着の胸に次々と涙のしずくが吸い込まれていく。


 ハルはひたすらに影子の涙を受け止め、あやすように背中をなでおろした。しばらく何も言わず、思う存分泣いてもらう。


 ずっと、影子は強いと思っていた。


 しかし、強さとはもろさだ。剛直なほど、壊れるときはあっけない。曲げられないものがあるほど、一度折れたらそれっきりなのだ。


 影子は、強い。強いけど、もろい。


 からだを震わせてわんわん泣く影子を見下ろして、ハルは胸が張り裂けそうになった。


 そうか、これが恋というやつなのか。


 改めて自覚していると、徐々に影子の泣き声がすすり泣きに変わっていく。


 ぽんぽんと後頭部を撫でながら、ハルは笑った。


「君はいろいろとひとりで抱え込みすぎなんだよ」


「……るっせ……!……アタシが、どんな思いで……!」


「ごめん、待たせちゃって」


 それだけは申し訳なかった。要らぬ心配をかけたし、要らぬ苦労をさせた。傷つく期間を長引かせて、つくづく踏ん切りの悪い男だ。


 影子は顔を上げ、まだぽろぽろと涙をこぼしながら、メガネを上げて目元をこすった。瞳だけでなく目元や鼻まで真っ赤である。


「……て」


「うん、なに?」


「……じゃあ、もっかいキスして」


「了解」


 笑顔で答えるハルに、影子はまだ何も知らない赤子のように無邪気に笑った。


 再びくちびるを重ねるふたりを、ドアの隙間から三人が見ている。


 クリスマスイブは、こうしてしあわせの内に幕を閉じたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る