№20 告解
その後もプレゼント交換は続き、倫城先輩のアイピローは一ノ瀬に、ミシェーラのハンドクリームは倫城先輩に、一ノ瀬のチョコ詰め合わせは倫城先輩に行き渡った。
ハルと影子の交換が終わった時点で、もう消化試合のムードが漂っていた。このくじはあらかじめ仕組まれていたらしい。
一体何を考えてるんだ……?
うさんくさそうに眺める影子の視線に、ミシェーラと倫城先輩は気付かないフリをしていた。
チキンもケーキもシャンメリーもなくなり、宴もたけなわ、といったところで、ミシェーラが手を叩いた。
「さあて! そろそろミシェーラ・キッドソンはクールに去るゼ! パパとママがクリスマスパーティーの準備してくれてるカラ!」
「俺も、そろそろ勉強に戻らねえとな。いちお受験生なんで」
急に席を立ったふたりを見て、一ノ瀬もなにか悟ったようだ。慌てた様子でふたりに続き、
「わ、私も用事あるから!」
「それじゃあ、ワタシたちはこれで! パーティー楽しかったヨ! メリークリスマス」
「お大事にな、塚本」
それぞれ去り際の言葉を残し、病室を後にする。
……なるほど。
協力してハルと影子をふたりきりにするという計画か。見え見えだ。
そういうおぜん立てなのだと、影子はようやく理解した。
……まあ、いくらふたりきりになったところで、相変わらずの暖簾に腕押しなんだろうけどな。
影子はあきらめに似た心境で、それでもハルのそばの椅子に腰を下ろした。
ふたりきりになって、ようやく思い出す。
ケンカをしていたのだった。
思い出すと急に気まずくなる。なにを話していいかわからなくなった。
互いにそっぽを向いたまま、しばし無言の時間が流れる。
焦れて口火を切ったのは影子だった。
「……その傷、痛むか?」
『学校は楽しいか?』と聞くお父さんの心境で、影子は小さく問いかける。
「あ、いや、大丈夫だよ、こんなの……ちゃんと縫ってもらってるし……いてて……!」
「やっぱ痛えんじゃねえか。弱っちいクセに強がってんじゃねえよ」
「……うん、まあ……面目ない……」
へらりと笑って頭をかくハルの向こうに、影子は『かたき』の姿を見て視線を鋭くした。
「……あいつは、ぜってえこの手で叩きのめす」
こぶしを握り締め、影子は口元を引き締めた。ぎりぎりと張り詰めた弓矢の弦のように、まなざしにちからがこもっていく。
そんな影子を制するように、ハルは落ち着いた声音で言った。
「言っただろ。今日だけは忘れようって。せっかくのクリスマスイブだよ、きよしこの夜だよ」
「るっせえ、クリスチャンでもあるめえし。アタシはサイレントナイトなんていらねえんだよ、いつだってノイジーナイトだ」
「ふふっ、君らしいなあ」
豪語する影子に、ハルが笑った。
そこからまた、少しの沈黙が訪れる。クリスマスイブだというのに、窓の外からは救急車のサイレンが聞こえてきた。
冬の日は短い。夕暮れが迫り、そろそろ影子は影に戻らなくてはならない。
しかし、このままでは戻れない。
意を決した影子は、再び口を開いた。
「……悪かったな」
ぽつり、謝罪の言葉をつぶやく。
言葉は続けざまに出てきた。
「他人事だと思ってないことくらい、わかってた。アンタなりに悩んでくれてるのもわかってた」
「……うん」
「アタシは、答えてくれなくったって構わねえんだ。勝手に思ってるだけで充分だ。アタシなんかにゃ、恋なんて上等品だからな、とても身の丈に合わねえ」
「……影子……?」
ひどく苦い自嘲の気配を感じ取ったハルが声をかける。
その瞬間、病室の明かりがすべて落ちた。
「えっ? えっ?」
夕暮れ時のカーテンを引いた室内は一気に暗くなった。
停電か?とうろたえるハルだったが、影子は違った。
急に病床のハルに抱き着き、ぎゅっと腕にちからを込める。
「影子!?」
「悪ぃ。悪ぃんだけど……やっぱダメだ」
驚くハルに、嘆願するような声音で影子が言った。
「……アタシひとりで抱えてるばっかりじゃ、やりきれねえや……アタシにそんな資格ないってわかり切ってんのに、どうしてもアンタのこころが欲しくなっちまうんだ……!」
血を吐くような言葉の列に、ハルは目を見開く。
ハルは知らないのだ。影子がかつて、自分のあるじを食った『影』であると。だから、ここまで思い詰めることが理解できない。
なだめるように影子の背中を撫でながら、ハルはやわらかい声で問うた。
「……影子……なにがあったの……?」
いつの間にか、影子のからだは小さく震えていた。普段あんなに傲岸不遜で、強く気高く、最高に無敵な影子が、だ。
知ってしまえば、きっとハルは影子から離れていく。
目に見えるほどの距離は取らないだろう。
が、確実に離れてしまう。
なにせ、自分はバケモノだ。あるじに仇成す害悪だ。恐れて疎んで、どこかへ逃げてしまう。それは当たり前のことだった。
当たり前なのに、どうしても受け入れられない。
ハルを離したくない。
影子は葛藤していた。
ここまで来て、過去の罪を告白しない、という選択肢はない。それはあまりにアンフェアすぎる。
ハルには知る権利がある。知って、理解して、その上で答えを出してもらいたい。
たとえ、離れていく結果に終わったとしても。
そこまで覚悟して、影子は引き結んでいた口を開いた。
「……アタシは昔、自分のあるじを食った『ノラカゲ』だった」
ひくり、影子を抱きとめる腕が揺れる。やっぱりな、と泣きそうになりながらも、影子は続けた。
「あるじに恋してたんだ、『影』のクセに。そのあるじが余命いくばくもなくなって、苦しんでる姿に耐え切れなくなって、アタシはあるじを食った。そこからずっと、ひとを食って食って、食いまくって、『ノラカゲ』として生きてきた。アンタに出会うまで、な」
「…………」
「何人も食ってきた。食い殺してきたんだ。だから、こんなにはっきりと人間の形を取れてる。百歩譲って、『ノラカゲ』としてひとを食ってきたってんなら話は別だが、アタシは自分のあるじも食ってる。理由はどうあれ、な……いつか、アンタのことも食っちまうかもしれない。アタシは、それがこわくてたまらねえ……!」
ハルは何も言わずに影子の言葉を聞いていた。きっと、頭のいいハルなりにいろいろと考えているのだろう。どうやって影子を傷つけずに拒絶するのかを。
「出会わなきゃよかった。あの日、誘われるがままにアンタの『影』になんて、ならなきゃよかった。ずっと『ノラカゲ』のままでよかったんだ。それなら、こんな苦しい思いなんてせずに済んだんだ。なのに、もしかしたら、って希望にすがって……はっ、救いようのないバケモノだろ?」
自嘲の笑みで涙を押し殺す影子を前に、ハルはゆっくりと首を横に振った。
そして、水蜜桃のように甘くやさしくささやきかける。
「君は、普通の女の子だよ」
甘露のようにからだの渇きを癒すその言葉に、しかし影子は反発した。
「アタシは普通じゃねえ! バケモノなんだ! アンタ、アタシがこわくねえのか!? 自分のあるじを食ったんだぞ!? 何人も何人も、食い殺してきたバケモノなんだぞ!?」
食って掛かる影子に、あくまでハルはやわらかく答える。
「こわくないよ」
「アタシは、忌み嫌われて当然のことをしたんだ……だから、自分で自分に罰を与えた! 本来なら、アタシはアンタにこんな感情なんか持つことすらおこがましいんだ! 分をわきまえねえ愚か者、厚かましい構ってちゃん、唾を吐きかけられてやっと存在できるバケモノ、それがアタシだ! それなのに、今更同情なんて……!」
「同情なんかじゃないよ」
影子の激情を凪に戻すかのように、ハルは穏やかに、しかしきっぱりと言って影子を抱きしめた。
「自分に罰を与える君を見てると、自分のからだが引き裂かれるみたいに思えるんだ……君はバケモノなんかじゃない、ただの女の子だ。だから、罰も必要ない。『出会わなきゃよかった』なんて、かなしいこと言わないでくれ。お願いだから、そうやって思ってもないことを口にして、自分を傷つけるのはやめてくれ」
影子はなぜか、そんなやさしい言葉に恐怖を覚えた。
甘い奈落へといざなう声。
どこまでも暗く果てしない、あたたかな暗渠。
大きすぎるハルの器は、影子にとっては畏怖の対象だった。
離れようとする影子のからだを、ハルは逃すまいと抱きしめ続ける。
「もう、自分を傷つけるのはやめよう……僕が好きな、君のことを、さ」
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