№17 冬の日の惨劇

 気が付いたら夜が始まっていた。


 クリスマス前のしんしんと冷える道を歩きながら、ハルはマフラーに首をうずめる。また雪が降りそうな天候に、少し眉をひそめた。


 クリスマスイブは明後日。


 ……結局、影子はクリスマスパーティーに間に合いそうにない。


 言い出しっぺのくせに、パーティーは影子抜きでやる予定だ。いまいち締まりのない宴だが、今更どううすることもできない。


 ケンカしたままだったしな……と、最後に見た影子の姿を思い出す。


 ハルのために戦い、黒い血にまみれた影子。あんなに苦しそうな顔をして。


 いさかいごとの最中だというのに、影子はハルを守ることに微塵も躊躇しなかった。そういう意味では、影子は割り切っているのだ。主と従の関係と、色恋沙汰の関係を切り離している。


 なのに、ハルはずっともやもやしていた。影子を取られるかもしれない、と。


 なんの答えも出していないくせに、そう思ってしまった。


 これでは、あまりに筋が通らない。ひととしての仁義に反する話だ。


 ではどうすれば影子を自分のものだと主張できるのか。


 簡単だ、一言『好きだ』と返せばいい。


 だが、思考がストッパーをかける。


 自分は影子の思いに答えることができるのか?


 影子のような覚悟があるのか?


 もちろん、影子のことは好きだ。答えはもうとっくに出ている。


 しかし、それを口にするのはどうしてもはばかられた。


 覚悟が決まっていないからだ。


 そう思うと、影子は本当にカッコイイ。自分の思いに正直に、まっすぐ向き合って、叶わない恋に殉じる。相当な覚悟がなければそこまでできない。


 それに引き換え、自分は何だ?


 いつまでもうじうじと、みっともない。『影使い』が、聞いてあきれる。


 あるじたる覚悟はすでにできている。


 だが、恋に落ちる覚悟はできていない。


 どちらが重いかどうかなんて測れるものではないが、自分でもなぜあるじになれて恋人になれないのかがわからなかった。


 あのとき、空き地で『君は僕のものだ』と告げたときは、なんのためらいもなかった。影子を従者と認め、あるじとして恥ずかしくないように振る舞うことも決めた。


 そこまでできて、なぜ『好きだ』の三文字が言えないのか。


 もしかして、関係性が変わるのがこわいのか?


 ……たぶん、そうだ。


 自分は、この居心地のいいぬるま湯に浸かっていたいだけだ。現状維持の日和見主義者だ。一方的に思われている今の状態が一番気持ちいいのだ。


 なんと情けないことか。ようやく影子のいらだちがいかほどだったか理解できた。


「……影子」


 冬空の下を歩きながら、白い吐息と共にその名を口ずさんでみる。


 しかし、その名の主は出てきてくれない。


 ハルは前髪をくしゃりと握りしめて、くちびるを噛んだ。


 なんだこれ、泣きそうだ。


 今、わかった。


 みんながいて、影子がいて、やっといつもの非日常的日常があるのだ。


 もう欠かせない、ハルという人間を構成するひとかけらになっているのだ。


 時と共にすべては移り変わっていくのかもしれない。


 けど、変わらないものだってあるはずだ。


 その『変わらないもの』を手に入れるために、一歩踏み出さなければならない。


 今がそのときだ。


 影子が戻ってきたら、真っ先に抱きしめて、『好きだよ』と言おう。


 なんなら、キスしたっていい。


 そうこころに決めると、なんとなく足取りが軽くなった。


 早く戻ってこないかな、とまで思ってしまう。


 白い息をたなびかせながら夜空の下を歩くハル。


 その行く先から、黒いパーカーのフードを目深にかぶった人影が歩いてきた。近所のひとだろうか、ポケットに手を突っ込んで何も持っていない。


 ハルは少し距離を取ろうとしたが、遅かった。ぶつぶつとなにかつぶやいている人影と、真正面からぶつかってしまう。


 あ、すみません、と言うつもりだった。


 が、声が出てこない。


 代わりに、人影がつぶやく言葉が聞こえてくる。


「……おまえさえいなければ」


 じわ、とわき腹から熱さに似た鋭い痛みが湧き上がってくる。目を見開いて視線を向けると、ハルのわき腹からは裁ちバサミの柄が生えていた。それを握っている人影は、よく見ると『独裁者』そのひとだった。


 刺された。


 自覚すると、激痛とパニックと疑問符で頭がいっぱいになり、イチミリたりとも動けなくなる。


「おまえさえ、いなければ」


 『独裁者』はもう一度そう言うと、開いた状態で刺さっていた裁ちバサミにちからを込めた。


 ばづん、と音がして、ハルの『中』でハサミが閉じる。肉を直接切り刻まれ、途方もない激痛にハルは失禁しそうになった。


 とんでもない量の血液が下肢を伝い、たちまち足元は真っ赤に染まる。


 その赤の中に倒れ伏したハルを置いて、『独裁者』は足早に立ち去っていった。閑静な住宅街、目撃者はいない。凶器も持ち去られた。


 このままハルが死ねば、事件は迷宮入り確実だ。


 そうか、このまま死ぬのかな……


 だくだくと血を流しながら寒空の下で倒れるハルは、久しぶりに『死』というリアルを間近に感じた。どんどんからだにちからが入らなくなって、視界がちかちかとホワイトアウトしていく。


 脳みそに血液が届かなくなって、ハルはそのまま気を失ってしまった。


 遠くで救急車のサイレンの音が聞こえた気がしたが、気のせいか……

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