№16 陰謀ティータイム

 『独裁者』は、単身向けアパートの一室で膝を抱え、壁に向かってぶつぶつとつぶやき続けていた。


「……どうして……どうして影子様は、僕のものにならない……どうして……」


 ここのところ、日中はずっとそうだ。先日の露出狂事件のおかげで、会社はとうにクビになっている。影子に会う以外のことはどうでもよくなり、半分ヒキコモリのような生活を送っていた。


 無職になった『独裁者』は、答えのない問いかけを発し続けていた。


「……おかしい、おかしい、おかしい、おかしい……こんなこと、絶対にありえない……」


 うつろな眼差しで壁を見詰めて、ずっとつぶやき続ける。答えはない。いや……


 こんこん、とアパートの扉をノックする音が聞こえた。インターホンは壊れているのだろうか。


 セールスや宅配便などだったら無視するのだが、もしかしたら、万が一にでも、影子がこの部屋を訪ねてきてくれたのだとしたら、出ないわけにはいかない。


 のそりと立ち上がり、ドアを開ける。


 すると、そこにはドハデな花魁衣装のやせた赤髪男が立っていた。


「やあやあ! 君のご機嫌はあまり麗しくないようだけど、小生はご機嫌なので問題ないよ! ご機嫌のあまり、小生、ちょっとティータームをごいっしょしようとうかがった次第だよ! さあ、立ち話もなんだし、上げておくれよ!」


「……『モダンタイムス』……」


 『七人の喜劇王』の首魁である『モダンタイムス』がやって来た。これは一体、なにを意味するのだろうか?


 ……どうでもいい。


「……悪いけど、帰ってもらえますか?」


「ああん、つめたーい! 小生、お茶菓子まで用意してきたというのに! ティータイムはいこいのひとときだよ! いろいろとがんばっている君には休息が必要だ! そうだよねえ、『独裁者』?」


 訳知り顔でにんまりする『モダンタイムス』。もしかして、なにか知っているのだろうか?


 藁にもすがる思いで渋々家に上げると、『モダンタイムス』は勝手知ったる他人の家、とばかりに勝手に冷蔵庫を漁ってお茶を持ってきた。コップまで用意して、リビングのテーブルに図々しく陣取る。


「あ・はい、これ! 手土産だよぅ!」


 渡されたビニール袋には、百円のシュークリームがふたつ入っていた。しかも値引きシールが貼られている。一個百円以下の手土産など、相当な厚顔無恥でないと手渡せない。


 ペットボトルの緑茶を飲みながら、『モダンタイムス』はシュークリームにかぶりついた。べちょ、とカスタードクリームが垂れて、花魁衣装を汚す。


「ふう、スイーツタイムだねえ! ほらほら、君も食べていいよ! まさかこの小生が用意したお茶菓子を食べられないなんて言わないよねえ?」


 くて、と首をかしげる『モダンタイムス』に脅されるように、『独裁者』はがつがつとシュークリームを平らげた。


 もうお茶菓子は食べた。帰ってもらおう。


 だが、だらだらとお茶を飲んでいる『モダンタイムス』は居座る気満々だ。


 なにかしょうもないことをぺらぺらしゃべっているようだが、興味のないことなので耳に入ってこない。


 虚無のまなざしで宙を見つめる『独裁者』に向かって、不意に『モダンタイムス』が言った。


「いやあ、それにしても、君ってば本当に『独裁者』だよねえ」


 何を今さら?


 無視してもよかったが、『独裁者』は続きを聞くことにした。


「自分の思う通りにことが運ばないと気が済まない。何もかもが自分の思う通りになると思ってる。自分が一番かわいい。ははっ! 本当に自己中サイコパスだねえ、君ってやつぁ!」


「……君には関係ないだろう、『モダンタイムス』」


 やはり、聞く価値などなかったか。


 さっさと出ていってくれ、出ていかないのならば自分が出ていく。


 言外にそう示すように腰を上げた『独裁者』に、しかし『モダンタイムス』は大げさに首を横に振った。


「いいやいや、大いに関係あるねえ! 少なくとも、君が『七人の喜劇王』の座にありながら、あのふたりと接触している以上、そこにはなにも起こらないはずがないんだよう! 『影の王国』の盟主としては、とてもとても、看過できるはずもなく!」


「……『影の王国』は、関係ない。なんなら、追放してくれてもいい」


「あれれー? いいのかなあ? そんなんじゃ影子ちゃんは手に入らないよう?」


 影子のことに言及されて、『独裁者』はようやく食いついた。少しでもいい、現状を打破できる可能性を秘めた言葉を聞きたい。


 そのわずかな期待を、『モダンタイムス』が見過ごすはずがなかった。


 にい、と笑った『モダンタイムス』が続ける。


「影子ちゃんが君とわずかながらも仲良くしてくれたのは、君が『影の王国』につながる鍵だからだよう! それがなくなっちゃあ……ねえ?」


 苦笑いしてささやきかける『モダンタイムス』。


 たしかに、影子にそういう下ごころがあることは承知していた。そして、それを利用していたのもたしかだ。


 そんな利用価値がなくなった自分には、影子は見向きもしなくなるだろう。


 ダメだ、それだけは。


 少しでもいい、影子を繋ぎ止めなければいけないというのに、自分にうまみがなくなってしまっては元も子もない。


 『独裁者』は『モダンタイムス』の花魁衣装にすがりついた。


「教えてくれ、『モダンタイムス』! 僕は、僕は……どうすればいい!?!?」


 知ったこっちゃない、と言われても仕方のない問いかけに、『モダンタイムス』は、にい、と笑った。


 口の端についたクリームの甘い残滓をぺろりと舐め取り、


「なあに、簡単なことさ……」

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