№15 一般人代表
久々の影子がいない日常は、なんだか味気なかった。
ミシェーラも倫城先輩も一ノ瀬もいる。が、影子が欠けているだけでいつも通りとはいかなかった。
うまく歯車が回らないような、そんなぎこちなさ。
退屈、とはまた違って、当たり前だったことが当たり前でなくなる、あのざわざわとした不安を感じた。
「……ハル、ハル!」
上の空でカツどんを食べる箸を止めていたハルに、ミシェーラが呼びかける。
はっとしたハルはようやくミシェーラに向き直り、
「ああ、ごめん」
「もう、失礼しちゃう!」
気まずそうに謝ったハルを気遣ってか、冗談めかしてミシェーラが笑った。
しかし、その笑顔もすぐに曇ってしまう。
「もうすぐクリスマスパーティーだけど……カゲコ、まだ回復しない?」
「……わからない。けど、全身ぼろぼろで奥の手を使ったから、ギリ間に合わないかも……」
「それじゃダメだヨ! ワタシたちの計画もパーだヨ!」
「……計画??」
ばん!と学食の机を叩いたミシェーラが、謎の言葉を発する。
計画、とは一体……?
「あ、なんでもないヨ!」
慌ててごまかして大盛りオムライスを食べるミシェーラは、なにか隠しているようだ。しかし、あまり追及するのもかわいそうだったので、ハルもカツどんを平らげることにした。
他愛ない話をしながら昼食を終え、食器をカウンターへ戻しに行こうとしたハルの首筋に、いつものように音もなく腕が回される。
「よう、塚本。愛してるぜ」
「息をするように告白しないでください」
「ははっ、相変わらずつれねえなあ」
野球部の群れから抜け出してきた先輩は、さわやかに笑って言った。
ここまではいつも通りだったが……
「ちょっといいデツカ、先輩?」
「おう、俺も話したかったとこだ」
ミシェーラと倫城先輩。なかなか新鮮なコンビだったが、ふたりでなにかごにょごにょと密談をしている。おそらくはハルについてのことだろう。アヤシゲな計画は、先輩も一枚かんでいるようだ。
なにをやっているのか、ちょっと不気味だ。
またややこしいことにならなければいいな……と淡い願いを抱きながら、ハルはふたりを置いて学食を後にした。
「塚本、ちょっといい?」
放課後、帰り支度をしていたハルに呼びかけたのは、意外なことに一ノ瀬三日月そのひとだった。
「……いいけど、なに?」
怪訝そうに返すハルに、一ノ瀬はカバンを持って『ついてこい』とばかりに教室を出ていった。
影子に用があるのならばわかるが、一ノ瀬にとってはオマケでしかないハルに一体何の用だろう。
影子がいなくなったから、またいじめられるのかもしれない。
今のハルならば跳ねのけられる自信はあるが、それでもせっかく仲良くなれた一ノ瀬がそんなことをするのは胸が痛む。
こわごわと一ノ瀬のあとを追って向かった先は、体育館裏だった。そういえば、ここでは数々のドラマが繰り広げられたものだ。なにかあるとここへ呼び出される。
一ノ瀬は立ち止まると、仁王立ちになって腕を組んだ。いじめっ子の顔をしている。今思うと懐かしさすら感じた。
「……な、なに……?」
「私、知ってるんだから」
ハルを睨みつけて、一ノ瀬はそんな言葉を口にした。
「知ってる、って、何を?」
「影子様、ってか、あんたも……普通じゃないこと」
ほかならぬ一ノ瀬にそう指摘されて、ハルはつい動揺してしまった。
一ノ瀬はなにも知らないはずの一般人だ。元『七人の喜劇王』であるミシェーラや、ASSBの高校生エージェントである倫城先輩とは違う。『影』とは無関係の一般市民……のはずだった。
が、一ノ瀬はハルたちの異常に感づいている。
「……どうして、そう思うの?」
ごくり、と唾を飲み、ハルは慎重に問いかけた。
一ノ瀬は、ふん、と鼻を鳴らして、
「ずっと見てたらわかる。あんたたち、たまにすごい疲れ切った老人みたいな顔してるし。ただ事じゃないことくらい、私にだって……深くは知らないけど、わかる」
そっぽを向いた一ノ瀬は、不機嫌そうにそう言った。
たしかに、一ノ瀬は少し近づきすぎたのかもしれない。
『影』をめぐる人間関係に。
その中にいれば、知らなかったでは済まされないことも起こりうる。もともとはいじめられていたが、一ノ瀬は今は大切な友達のひとりだ。知らないことで不利益を被らせるのは避けたい。
ついに、知らせるときが来たか……
いつかは明かさなければならないと思っていたことだが、まさか一ノ瀬から言ってくるとは思わなかった。
言葉を選らび終えたハルが、一ノ瀬に向かって口を開く。
「一ノ瀬、実は……」
「いい、聞かなくて」
きっぱりと拒否されて、ハルはきょとんとした表情を浮かべた。構わず一ノ瀬は続ける。
「私が立ち入っちゃいけない領域だってことくらい、わかる。私は普通だよ。そして、影子様は、あんたは、自分で思ってる以上に普通じゃない」
断言する一ノ瀬から見れば、ハルたちは得体の知れないバケモノのような存在だろう。それでも一ノ瀬はおそれずに、自分が『そういうこと』を知っているとハルに言ったのだ。
普通の一ノ瀬は、普通じゃないハルや影子に寄り添えない。
それを苦々しく思っているのか、一ノ瀬は眉根を寄せて続けた。
「……悔しいけど、私には知らないフリをすることしかできないんだ」
「じゃあ、なんで僕には知ってるなんて言ったんだよ?」
不思議そうなハルの言葉を聞き、一ノ瀬はいじめっ子の顔でにらみつけてきた。
「あんたには、私がなにも知らないだけのバカだと思われたくなかっただけ」
要は、ハルにだけは弱味を見せたくなかったということだ。元いじめっ子の矜持がそうさせたのか、一ノ瀬はハルにひとつの宣言をした。
「話はそれだけ。別に影子様がいらっしゃらないからって、あんたのこといびったりしないから。もうそんな関係じゃないっしょ?」
言い残して、一ノ瀬は体育館裏から消えていった。
ハルは考える。
一ノ瀬は一ノ瀬なりの、一般人の苦悩というものがあるのだろう。裏で起こっていることに対して、なんのアクションもできない歯がゆさ。知らないでいる不安や、いら立ち。
そういうたくさんのひとたちを、ハルは守らなければならない。
『守る』だなんて大上段に構えた物言いだが、それでも守る以外の選択肢はない。それが、『影使い』としてのちからを持つ者の使命だからだ。
なにも知らなくていい。その代わり、つらい思いはすべて引き受けよう。
水面下でなにが起ころうとも、いつも通りに無垢なひとたちで世界が回っていればいいのだ。
必ず、守る。
人知れず戦う覚悟を決めて、ハルは一ノ瀬の告白に感謝をするのだった。
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