№13 オナニーデート

 ハルの苦悩を知ってか知らずか、やってきたデート当日。


 影から出てきた影子は、いかにもやる気のない黒いジャージ姿でため息をついた。いってきますの挨拶もなく、ハルの家の前でうんこ座りをして『独裁者』を待つ。


 やがて、一台の車が家の前に乗りつけた。


「おっせえんだよ、このノロマ!」


「お待たせいたしました、影子様!」


 へらへらと笑いながら、『独裁者』は助手席のドアを開けた。ちなみに、いつものスーツ姿である。


「さあ、どうぞ!」


「ちっ、シケた車だな」


「ありがとうございます!」


 罵倒の言葉に勢いよく感謝して、影子が車に乗り込んだのを確認すると、『独裁者』はドアを閉め、自分もハンドルを握った。


「本日は貴重なお時間を僕のような卑しい豚に割いていただいて、まことに……」


「るっせ、とっとと車出せ」


「はい!」


 一秒たりともこの変態といっしょにいたくない影子がせかすと、『独裁者』はエンジンをかけて発車した。


 どうやら、本日はドライブデートという趣向らしい。なるほど、高校生にはできない大人のデートだ。何を企んでいるのかはわからないが、『独裁者』は本気のようだった。


 公園のそばを通る住宅街から出る道では、鳩の群れがエサをついばんでいた。車に気付いた一部の鳩たちは急いで飛び立っていったが、気にせずエサをつついている鳩もいる。


 そんな鳩を、『独裁者』のタイヤがひき潰した。ぶちぶちぶち、という感触が車の座席越しに伝わる。


 思わず息をのんでいる影子をよそに、『独裁者』は口を尖らせて、


「なんだよもう、邪魔だなあ」


 そのまま車を走らせた。


 鳩を数匹殺したことについて、イチミリたりとも気に留めていない様子だ。


 普通、生き物を殺せば多少なりともイヤな気分になる。『独裁者』には罪の意識はおろか、自分がなにか生物に対してアクションを起こしたという自覚すらなかった。


 『独裁者』が考えているのは、どうやってこのデートを成功させようかということだけである。それ以外は毛ほども意識にない。


 バカというか、これはもうサイコパスである。


 究極の自己中が、この変態だった。


 影子は、『こいつ……』とばかりに目を細めて、車を走らせる『独裁者』の横顔を見やった。これは思った以上に厄介な相手だ。


 高速に乗って、しばらく走る。道中話しかけてくるのをすべて無視して、差し出された飲み物や軽食をすべて振り払い、助手席で不機嫌そうに体育座りをして、ひたすら時間が過ぎるのを待った。


 ほどなくして高速を降りた『独裁者』には、どうやら目的地があるらしい。デートコースはあらかじめすべて決めてある。そこには、影子の趣味や意見など一切介入する余地がなかった。


 神社仏閣に行った。


 観光名所に行った。


 映えスポットに行った。


 あちこち連れ回された影子は、カケラも楽しくなかった。本当に、『独裁者』の『ぼくのかんがえたさいきょうのでーとこーす』をなぞっているだけである。いかにもなデートコースは退屈極まりなかった。『独裁者』には、デートの才能がまったくなかった。


 いや、少しでも相手を気遣うこころがあれば、どんなコースであれ多少なりとも話のタネにはなっただろう。


 しかし、『独裁者』は義務感のようなものに駆られ、時間通りにデートコースを回ることに固執していた。そこには気遣いなど皆無で、ひたすら自分、自分、自分である。


 目的地にたどり着くたびに踏んでくれとせがんでくるし、罵れば大声で礼を言われるし、心底隣を歩きたくなかった。


 一方的にしゃべる内容も自分語りばかりで、正直ものすごくめんどくさいし、つまらない。


 そんな白け切った様子の影子に気付きもせず、『独裁者』は己の自己満足のためにデートを進めていった。


 影子のいら立ちが最高潮に達した夕暮れ。長かったデートはようやく終わろうとしていた。『影』は夜眠らなければならない。『影使い』である『独裁者』も、そこだけはこころえていた。


 家の近くの公園に車を停め、『独裁者』は勝手に今日のデートの総括に入る。


「本日は、まことにありがとうございました! とても楽しかったですね!」


「……」


 答えるつもりはなかった。これで悟らなければ、『独裁者』はただのサイコパスである。


「ああ、影子様も楽しんでくださったのですね!」


 結局、『独裁者』はただのサイコパスだった。


 満足げに笑うと、『独裁者』はおもむろにシートベルトを外し、影子の方に顔を向ける。


「……影子様……!」


 近づいてくるくちびるに、影子は反射的にビンタを放っていた。


 ぱあん!とハデな音がして、一瞬あとに頬を打たれたことに気付く『独裁者』。叩かれたところを押さえながら、呆然とした顔をしている。


「汚らわしいんだよ、クソが!!」


「……影子様……?」


 もう我慢ならなかった。


 今日一日でたまりにたまったうっぷんを影子は言葉のマシンガンで一斉掃射した。


「なに不思議そうな顔してんだ!? てめえはどこまで自己中サイコパスなんだよ!? 今日一日、アタシはいっっっっっっっこも楽しくなかった!! 苦痛でしかなかった!! てめえはアタシを楽しませるつもりなんてこれっぽっちもなかっただろ!! てめえが好きなのはアタシじゃねえ、てめえ自身だけだ!! 一日オナニーに付き合わされたこっちの身にもなってみろってんだ!!」


 一気に吐き散らした影子は息を荒らげ、乱暴な手つきでシートベルトを外した。


 『独裁者』がなにやらぶつくさ言っているのが聞こえる。


「……おかしい……ここで影子様は僕に接吻をくださるはずなのに……どうしてなんだ……どうして……おかしい……」


 頭おかしいんじゃねえか、こいつ?


 すべてが自分の思い通りに行くと思っている。すべてが自分のために回っていると思っている。


 ある意味、あの『モダンタイムス』よりもタチが悪かった。


 宙を見つめてつぶやき続ける『独裁者』に、影子も思わずぞっとしてしまう。


 おぞましいほどに醜悪な怪物。


 エゴのモンスターがこの変態だ。


 影子は逃げるようにドアを開け、気持ちの悪い車内から脱出した。


「二度とツラ見せんな、クソッタレが!!」


 ドアをばん!と閉めると、ようやく拘束から解放されたような気になる。外の空気がこんなにもおいしいとは。


 深呼吸をした影子は、公園の中から歩み寄って来るハルを見つけた。


 遅いから心配して迎えに来たのだろうか。


 余計なお世話だ、とは言えずに、影子は内心ひどく安堵していた。

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