№12 それぞれの思惑

 ハルの心配は杞憂に終わった。


 ……杞憂で済めばよかったのだが。


 当然ながらいつもの『モーニングコール』はなく、無言で影から出てきた影子と数歩分の距離を取って登校した。そっぽを向いて、一切口をきかない影子に何と言えばいいのか、ハルは煩悶していた。


 影子の方も、『もういい』とまで言ってしまった以上、引っ込みがつかなくなってしまっていた。意地を張っているだけなのはわかっているが、ここで折れてしまったらいけない気がする。


 影子はハルから目をそらしながら、朝のひと通りの少ない道を歩いていた。


「影子様!!」


 当たり前のように『独裁者』がわき道から現れて立ちふさがった。どうやら拘置所からは釈放されたらしい。手にはバラの花束を持って、振り切れた笑みで影子に捧げている。


 その花束を無言で叩き落とすと、影子はなんの言葉もなしにその前を素通りしていった。


「ありがとうございます! ありがとうございます!!」


 それすら『独裁者』にとってはご褒美だ。すかさず影子の進路に割り込み、踏んでもらおうとした。


 こいつには、かける言葉ももったいない。


 ゲロ以下の汚物を見る目で土下座をする『独裁者』を見下ろし、影子は進路を変更しようとした。


 ……そのとき、ふと気づいたのだ。


 この変態のご機嫌を取れば、『影の王国』の動向もつかめるのではないか。


 それは以前も考えたことだが、もう一歩踏み込んだ情報が欲しかった。そのためには、よりこの変態と親密になる必要がある。


 自分さえ我慢して接待してやれば、『影の王国』にとって致命的な情報も漏らすのではないか?


 これから先、情勢をリードする手札になるような情報。


 そうだ、自分さえ我慢すればいいのだ。


 影子はそんな妙な自己犠牲精神を発揮してしまった。ドSのくせに自罰的だと自嘲した影子は、再びみずからを犠牲にすることを選んだのである。


 立ち止まった影子を心配そうに眺めるハルをよそに、影子は『独裁者』の後頭部を踏みつけにしながら言い放った。


「そこまで言うんなら、いっぺんてめえの本気とやらを見せてみろ。今度の日曜日、このアタシの貴重な一日を潰してやる。この意味が分かるな?」


 あくまで傲岸不遜に吐き捨てた影子の、試すような問いかけに、『独裁者』は感極まって涙ぐみながら答えた。


「はい、はい! わかっております!! 光栄です!! ありがとうございます影子様!!」


 要は、一日デートしてやろうという腹積もりだ。有頂天になった『独裁者』が、なにか機密情報を漏らすかもしれない。もしかすると、こちら側に引き込めるかもしれない。『影使い』はこのゲームの盤上において、最重要の駒だ。こんなのでもいた方が有利になる。


 本当は、ハル以外の男とデートなどする気はなかった。


 ハルとの大切な思い出が汚されるような気分になるのは目に見えている。しかもこんな変態とだ。想像しただけで吐き気がした。


 しかし、頭の回らない自分ができることといえばこれくらいだ。約束もしてしまったことだし、もう後には退けない。


 ひれ伏して影子を拝み倒す『独裁者』に蹴りを入れて、影子はすたすたと歩いていった。なにか言いたげなハルが後に続く。ふたりの間に言葉は何もない。


 一定の距離を保って校門の近くまで来たところで、ミシェーラが声をかけてくる。


「オッハヨー、ハル、カゲコ!……って、あれ?」


 ふたりの間の距離感に気付いたのか、ミシェーラは不思議そうな顔をした。


「ドシタノ、ふたりとも?」


「べっつにぃ!?」


 わざと大声で威嚇するように言う影子に、ミシェーラは、すすす、と近づき、


「……もしかして、ハルとケンカでもした?」


 ないしょ話のトーンで尋ねるミシェーラに、影子は思いっきり鼻を鳴らした。


「なんでもねえよ! 下衆の勘繰りすんな、ケツデカチチウシ!」


「……ふぅん……ソッカ……」


 なにやらこころえたらしいミシェーラが、意味深な笑みを浮かべて引いていく。


「おっはよ、塚本」


「あ、センパイ、ちょっと……」


「うん、なんだ?」


 そして、倫城先輩とふたりでこそこそなにか話を始めた。


 何か企んでいることは明らかだ。


 どうせロクでもないことだろ、と高をくくり、影子はひとりで校舎へと向かっていく。


「おはようございます、影子様♡」


「……おい、メス豚。てめえ、鼻フックは好きか?」


「はっ、鼻フック!? まさか、影子様、私に鼻フックをしてくださるのですか……!?」


「……そんな気分なんだ……」


「はああああああああああん♡」


 よろこびに身もだえる一ノ瀬すらかわいく見えてくる。


 宣言通りに鼻フックをしてやりつつ、誰も彼もが腹に一物抱えているような気がして、影子はうんざりしていた。


 何も言わずにうつむいてとぼとぼ歩くハルに、ばしっと言ってやりたい。


 もう少ししゃきっとしろ、と。


 だが、『もういい』と言ってしまったからには、それすらも言えなかった。


 暗雲が垂れ込めるような気持ちになって、影子は珍しく重いため息をつくのだった。


 


 授業中だというのに、ハルは上の空で外の景色を眺めて考え込んでいた。


 影子のやつ、一体どういうつもりだ?


 あの『独裁者』とデートだなんて。


 絶対に何かされるに決まっている。


 おそらくは、『自分が我慢して『影の王国』にひと泡吹かせる材料を手に入れよう』などと考えているのだろうが、それは甘い考えだ。


 正直、『独裁者』はなにも考えていないのだろう。


 ただ欲求に忠実に行動しているだけだ。


 たしかに、影子がたぶらかせばこちら側につくかもしれない。


 が、そんな不安定な駒、使いどころがない。ミシェーラやザザのように確固たる信念がない限り、寝返ったものは同じようにまた寝返るのだ。


 何も考えていない『独裁者』に機密情報を伝えるほど、あの『モダンタイムス』はボンクラではない。またあのペテン師の口八丁手八丁で、肝心なことは何も知らせずにうまく操っているに過ぎないのだ。


 要するに、『影の王国』にとって、『独裁者』は使い捨ての駒なのだ。


 そんな出がらしから得られるものなどなにもない。


 影子はそれを知らずに、無駄にからだを張ろうとしているのだ。


 いら立つし、我慢ならないし、かなしい。


 だが、今のハルの立場では、『やめてくれ』とは言えないのだ。


 いまだにうじうじと答えを出しあぐねているハルには、それを言う資格がない。


 胸を張って『影子は僕のものだ』と言えればどんなによかっただろう。


 だが、影子の思いに答えていない分際で、そんな言葉、口が裂けても言えなかった。


 ことが色恋沙汰なら、もう当事者同士で話をつけるしかないのだ。


 ……情けない。


 まるっきり負け犬の心地でため息をつくと、追い打ちをかけるように英語教師がテキストの読み上げを指してくる。


 まったく授業を聞いていなかったハルは、恥を忍んで隣のミシェーラに該当ページを教えてもらった。


 英語の一節を音読して、日本語訳してから心底自分を殴りたくなる。


 僕はなにをやってるんだ……

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