№10 『独裁者』
それからというもの、影子は常に誰かの視線を感じながら生活していた。
いや、『誰か』ではない。確実にあの男だ。
四六時中舐め回すようなイヤな気配にさらされて、影子のストレスも加速度的に募っていった。
この一週間、物陰から盗撮されまくったり、待ち伏せ土下座を食らったり、貢物を押し付けられたりで、はっきりわかる。
オッサンはストーカー化していた。
視界に入るたびに罵声を浴びせたが、それはオッサンにとってのご褒美でしかない。どれほど口汚く罵ろうと、逆にお礼を言われてしまうのである。
ある意味、最強の敵だった。
今日も下校の道すがら、げっそりとため息をつく影子に、ハルは心配そうに語り掛ける。
「そんな顔しないでよ、君らしくもない。はい、お汁粉」
「ん、さんくー♡」
好物のお汁粉缶を手渡せば、影子の顔も少しは明るくなった。タブを開けて甘ったるいお汁粉を飲みながら、ふたりで下校する。
「どうにかなんねえかな、あのオッサン」
「どうにもならないね……今のところ、法に触れるようなことはしてないし」
「法で裁けねえなら、いっそのこと私刑に……」
「却下だよ!!」
物騒なことを言い出す影子は、どうやら相当キているようだ。親のかたきのようにぐいぐいとお汁粉を飲み干し、ゴミ箱に缶を捨てる。
「……ちっ、そろそろ来るか……」
お汁粉タイムが終わり、とたんに影子が苦い顔をした。
その予想は見事的中し、今日もまた、待ち伏せをしていたサラリーマンがふらりと影子の前に現れた。
「……てめえ、性懲りもなく……!」
手を上げたら逆効果だ、それはわかっている。わかっているが、ものすごくぶん殴りたい……!
今日こそは目にもの見せてやる、とばかりに意気込んでいる影子に、珍しく男は土下座をせず、淡々と言葉を連ねた。
「……一週間ほど、観察させていただきました」
「おかげさまで、てめえのキメエ視線、びしばし感じたぜ!」
どうしてくれよう、とこぶしを鳴らす影子の言葉を、男は聞いていないようだった。つらつらと言葉は続いていく。
「そこでわかったのですが、影子様はそこにいる少年に恋をなさっていますね?」
「……んなっ……!?」
思いがけない相手に、思いがけない指摘をされて、影子は思わず言葉に詰まった。ハタから見ていてもわかるほどわかりやすいのか、自分は。
せわしなくまばたきを繰り返す影子に、男は畳みかけるように問いかけた。
「あるじに恋をする『影』……それがあなた。違いますか?」
またしても不意打ちを食らう。
『影』と、男は言った。
影子がハルの『影』であると見抜いたのである。
『影使い』の存在はおおやけにはされていない。知っているのはASSBと……
「……てめえ、なにもんだ?」
表情をひるがえしてきつく男を睨みつける影子。ハルにも緊張が走った。
……『影の王国』、か。
鋭い眼光で問い詰める影子の言葉に、男はうやうやしく腰を折って一礼する。
「申し遅れました。僕は『七人の喜劇王』の一席、『独裁者』でございます……以後、お見知り置きを」
やはりそうか。
ハルたちが敵対している組織、『影の王国』の七人の首魁である『喜劇王』たち……そのひとりともなれば、当然『影使い』だろう。その存在も知っていてしかるべきだ。
そんな男……『独裁者』がハルたちの目の前に現れたとなると、やるべきことはひとつしかない。
ハルを背後にかばいながら、影子は自分の影に手を伸ばした。
「やろうってんなら、今すぐ相手してやんよ?」
「あ・いえ、そういうわけではなく」
「……え?」
首を横に振る『独裁者』に、影から黒いチェインソウを引き抜こうとした影子の手が止まった。
きょとんとしていると、『独裁者』は異様に目を輝かせながら語り出した。
「たしかに僕は『独裁者』です。が、あなたに害を与えようとしているわけではありません。あなたの存在を知った瞬間、わかりました。これは運命だと。『影』に関わるもの同士、惹きつけ合ったのです。会いに行ったあなたは、僕の想像通りの女王様だった。だからこそ、僕をあなたの奴隷にしてほしいのです」
「…………ホントにそれだけなのか?」
「はい!」
鬼気迫る応答に、一瞬だが影子は押されてしまった。
どうやら、本当に影子にいじめてもらいたいだけらしい。やる気ならとうに戦闘に突入しているはずだ。『独裁者』の『影』がどんなものなのかは知らないが、それが姿を見せていない以上、敵意はないと見える。
敵意がないならないで、不気味だが。
『独裁者』はその場にひざまずき、地面にぬかづいた。
「どうか、影子様の奴隷にしていただきたく……!」
「だから! キメエんだよ! てめえごときにアタシが……」
言いかけたところで、影子はふと気づく。
……もしかしたら、この『七人の喜劇王』のひとりである『独裁者』にうまく接すれば、『影の王国』の中枢に切り込めるかもしれない。
首魁である『七人の喜劇王』が全員姿を現したとはいえ、まだまだ未知数の組織だ。動きを読めるならそれに越したことはない。
さいわい、この『独裁者』はそう頭の回るタイプではないようだ。ただただ、単純にして明快。利用価値はある。
そこまで計算した影子は、『独裁者』の眼前に立ちはだかりながら不敵に笑った。
「……ま、たまにならイジメてやらんこともねえよ?」
「影子!?」
「アンタは黙ってな!」
急に態度を変えた影子にハルが驚きの声を上げるが、制する。
厄介な相手に付きまとわれたが、逆に考えれば好機だ。せいぜいいい気になってべらべらとウタってもらおう。
「ありがとうございます、影子様!」
影子の思惑も知らず、心底うれしそうに『独裁者』は額を地面にめり込ませた。
「るっせえぞクズ豚が。今踏んでやっからもっと真剣に土下座しろ!」
「はい! ありがとうございます!」
「豚の分際でひとの言葉をしゃべくり散らすな酸素の無駄だ加齢臭くせえんだよオッサン」
「はい! はい!」
歓喜の涙に目を潤ませる『独裁者』の頭を踏みつけにする影子。
その横で、ハルはフクザツそうな顔をしていた。
影子の考えはそこそこ読める。
が、果たしてこれがベストな選択なのか……?
そして、この胸のもやもやはなんだろう?
「おら! 鳴くんだよブーブークッションみてえな間抜けな声でよお!」
「ぶうぶう!!」
夕方の住宅街の真っただ中でそんなやり取りをするふたりを見詰めながら、ハルはひとり取り残されたような気分になっていた。
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