№8 デートという名の接近戦

 ……と、いうことで、今に至るわけだ。


 思い出してまたため息をつくハルに、影子は不満げな顔をする。


 腕を組んで街を歩き、ショッピングだゲーセンだファミレスだと、散々連れまわされた。どれも高校生定番のデートコースである。


 その間中、ハルはずっとそわそわしていた。返す言葉も単調で、マトモに歩くことさえままならない。


 影子が悪い。いつもとは全然違う。見た目はもちろんだが、行動もまるっきり普通の女子高生だ。


 それどころか、影子のつややかな黒髪が風になびくたび、通りすがりの男たちがみんな振り返っていた。


 なんだかんだ言って、影子は(しゃべらなければ)美少女なんだなあ、とぼんやり認識する。


「……んだよ、ヒトの顔じろじろ見やがって。ガン飛ばしてんのか?」


 そういう発想に至る時点で、やはり影子は影子なのだが。


 とっさに視線をそらしたハルは、目を泳がせながら、


「き、君が普段とは違うことするからだろ!? なんだよ、もっとこう、鎖付きの黒革の首輪用意するとかして気を使えよ!」


 謎の要求をするハルに、影子は美少女らしからぬ顔で舌を出しながら、


「んなことしねえっつーの。デートなんだから」


「そんな、デートとか……!」


「はっ、所詮童貞か」


「君だって処女だろ!」


「ん、アンタのために大切に保存してあんの♡」


「……くっ……!」


 その一言に顔を真っ赤にして、ハルはなおさら黙り込んでしまった。


 これはズルい。この笑みは、確実にハルを仕留めにかかっている。どんなアイドルだって、このハルだけに向けられた笑みには敵わない。


「さ、次はカラオケな! ほら、早くー♡」


「そんなに急がなくても……!」


 ぐいぐい腕を引っ張る、というかおっぱいに押し付ける影子に連れられて、ハルは近くにあるカラオケ店へと入っていった。


 ドリンクバーを選んで個室に入り、薄暗い部屋でマイクを前にすると、いやでも秋の音楽祭のことを思い出す。


 影子が歌ったラブソングは、今でもハルの胸の内に留まっていた。あの切なくて情熱的で、こころ揺さぶる歌声を、ハルは忘れられないでいる。


 きっと、あれが影子のこころからの思いなのだろう。叶わない思いを押し殺し、それでも発露する感情に振り回されて、それが恋い焦がれることなのだと知る。うぶな生娘のラブソングだ。


 他のどんなラブソングよりも、ハルはあの歌が好きだった。


 そして、また糸を紡ぎあげるようなきれいな歌声であのラブソングを歌ってほしかった。


 ……そんなことを考えていると、急に影子にソファに押し倒された。合皮の安っぽい赤いソファがぎゅっと鳴り、影子はハルのからだに馬乗りになる。


 しまった、ここは密室だ。


 勝負に出るにはうってつけのフィールドに誘い込まれたのだと知って、ハルは顔を赤くしたり青くしたり忙しい。


 ワンピースのスリットから太ももをのぞかせ、影子はいたずらを成功させた子供のようににんまりと笑った。


「んん? カラオケってそういう場所だろ?」


「どこ情報!?」


「だってさー、薄暗くて密室で、やりたい放題じゃん」


「か、監視カメラが……!」


「だったら、見せつけてやる」


 影子はハルに覆いかぶさり、耳元でふふっと息をこぼした。


「……ご利用時間はどうされますか?」


「一時間って決まってただろ! 延長なし!」


「ん、一時間ありゃ子供のひとりくらいは作れるな」


「作らなくていいから!!」


 危うく誘惑に乗ってしまいそうになるが、決死の思いでハルは影子の下から這いずり出し、部屋の隅で膝を抱えてからだを守った。


「頼むから、これ以上僕を困らせないでくれ!」


「困らせてるつもりはねえけど?」


「大困惑だよ!!」


 わざわざマイクを使って叫んだハルの声がハウリングする。


「ちぇ。そんなに拒絶されると、アタシ傷つくなー」


「え、あ、ごめ……」


「うっそでーす♡」


 そう言って笑う影子の表情が物語っていた。


 全然ウソじゃない。


 煮え切らないハルの態度に、影子はたしかに傷ついている。


 それがわかっていて一歩を踏み出せないのが、とてつもなく歯がゆく思えた。


 どうやら密室に連れ込むことのみが目的だったらしい影子は、時間が来るよりもずっと早くにハルを伴ってカラオケ店を出た。


 いつもとは違う影子のかんばせが、夕日を浴びて赤く染まる。外の空気はすっかり冬めいていて、また雪が降ってもおかしくない空気感だった。


 影子は歩きながら大きく伸びをして、


「んー、楽しかった!」


「……楽しかったの?」


「ん! そりゃあもう!」


 断言する影子は、青春を満喫して至極ご機嫌だった。


 そんな影子を見て、ハルはつい吹き出してしまった。


「……なんだよ、結局いつもといっしょのことしただけじゃん」


 大切な日々のひとつなぎを、楽しいと言える影子。


 当たり前のことを当たり前のように享受していたハルにとって、そんな感覚はとても輝かしく感じられた。


 非日常を生きてきた影子だからこそ、日常の尊さを知っている。


 きっと、影子の目にはハルのそれとはまったく違う景色が映っているのだろう。


 少し先を歩いて、夕日越しに影子が振り返る。さらり、ほどいた黒髪がなびいた。


「アンタといりゃ、いつだってそれは特別だし、デートなんだよ」


 にひひ、と笑って不意打ちで出てきたその言葉に、ハルは思わず息をのむ。


 あつらえた絵画のような情景に、取って置きのセリフ。ハルはこの瞬間を切り取って、ずっとこころの奥に置いておくことを決めた。


 真っ赤になった顔を片手で覆い、泣きごとのように告げる。


「……なんとかならないの、その不意に見せる健気さ……!」


「ふへへ♡」


 照れ隠しのような顔をして、影子はハルのそばへと歩み寄った。


「さあ、そろそろおやすみの時間だ。今日は楽しかったぜ。また明日、ダーリン」


 そう言って、影子はハルの頬にキスをすると、影にもぐって消えてしまった。


 嵐のような一日は、嵐のように去っていった。


「……まったく、もう」


 振り回されっぱなしだったハルは、ひとり困ったような笑みを浮かべる。


 散々翻弄されていたのに、憎み切れない。


 いとしいとさえ思ってしまう。


 そういう影子がそばにいる日常が、たまらなく大切だった。


 また明日、そう言ってくれる影子は、約束通りまた明日ハルの布団の上でモーニングコールをしてくれるだろう。


 ……いや、本当はわかっている。


 保証された『いつも通り』など、ありえないと。


 自分たちは本当に綱渡りで非日常的日常を生きている。


 明日は何かが起こるかもしれない。


 今はただ、そうならないことを祈ることしかできない。


 かけがえのない今日一日という時間をこころに刻み込み、ハルはひとり帰路につくのだった。

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