№7 モーニングコールの代償

「んん、たのちいねえ、ダーリン♡」


「……ウン……」


「どうしたの? 大丈夫? おっぱい触る? ぱんつのにおい嗅ぐ?」


「……ウン……」


「ひっどーい! アタシといるの、そんなにつまんない!?」


「……ウン……」


「……んだよ、さっきからそればっかじゃねえか。壊れかけのレディオかよ、アンタは」


「……いや、ね……ウン……」


 休日の夕方、影子と腕を組んで歩きながら、ハルはただただ機械的に返事をしていた。


 おかしい。


 今日は貴重な休日だったはずだ。


 なぜ自分は影子とデート……らしきことをしてるのだろうか。


 腕になつくようにすり寄る影子は至極ご満悦だ。一方、ネジ式の人形のようにぎくしゃくと歩くハルの両手には、数々のショッパーバッグがぶら下がっていた。すべて影子がたかって……いや、おねだりしてきたものだった。


 財布はプレス機にかけられたかのごとくぺしゃんこだ。小銭もほとんど残っていない。


 今日一日、影子の言いなりになってデート……っぽいことをしていたのには、たしか理由があったはずだ。


 あまり思い出したくないが、たしか今朝……


 


「おっはよー、ダーリン♡」


 夢とうつつの狭間で混濁する意識の中、うっすらと目を開いて声のした方を見る。そこには、ベッドで眠っていたハルに馬乗りになっている影子の姿があった。


「……ああ、……きみか……」


 もにょもにょとつぶやきながら、ハルは寝癖のついた頭をかいて大あくびをする。意識はまだ半分ほど夢に取り残されていた。


 最初のころこそこの過激なモーニングコール(直)にあたふたしていたハルだったが、今ではすっかり日常になってしまった。いつものことだと安心しきって、ハルはベッドに倒れて二度寝を決め込んだ。


「今日はどっかなー?」


 にやつく影子の手がさわさわと下半身を撫でる。刺激にも満たないその感触が、生理現象によってテントを張った股間に到達した。


「おっ、元気元気♡」


「……ああもう……それ、やめてくれよな……好きで元気なわけじゃないから……」


 夢見心地で抵抗らしい抵抗もせず、ハルは呆れたようなため息をつく。


 ……ここまでしてまだ付き合っていないのは、もしかしたら世間一般からするとものすごく異常なことなのかもしれない。


 かといって、影子はハルの答えをせかすようなことは決してしなかった。思いを告げられたときから、『ただ言いたかっただけ』と言っていた。


 とはいえ、このまま宙ぶらりんのままというのも情けない話だ。ひとりの男として、女に告げられた思いにはきちんと応じなければならない。


 だがしかし、だがしかし答えを出す勇気もいまだに出ないのも事実だ。たったひと押しでいい、誰かに背中を押してもらいたかった。自分ひとりで決着をつけられないだなんて、自分はずいぶんと意気地のない男だ。これではなんと罵られようとも仕方がない……


 などと、ハルが寝起きの脳みそをフル回転させて煩悶していると、ぱしゃり、と音がした。


 慌てて見下ろすと、影子が下げたボクサーパンツの中身をスマホのカメラで撮影していた。


「なななななななななななにをしてるの君!?」


「ん? なにって、ナニを撮影?」


 大急ぎでイチモツをしまうハルに、影子は、にひひと笑って撮影したブツを見せてきた。元気な様子がばっちり写っている。


「だってさー、あんまり元気だから、この元気っぷりをみんなにも見てもらいたいと思って♡」


「絶対にやめろよ!? いいか、これ前フリじゃないからな!? 絶対やめてくれよ!?!?」


 スマホを取り上げようと猫じゃらしで遊ぶ猫のように奮闘しているハルの手を、巧みにかわしながら影子が悪い顔をする。


「んー、どうしよっかなあ?」


「このっ! このっ! っていうか消してよその画像!!」


「いいよ?」


 あっさりと言って、影子は即座に画像を消去した。


 そのあまりのあっけなさに、ハルはとてつもなくイヤな予感がした。


 影子はにまにまといたずらな笑みを浮かべながら、


「はい、消したー。そんかわり、今日一日デートな!」


「……デート……?」


「んん、そ」


 先に交換条件を消化されて、ハルに拒否権はなかった。こんなもの、送りつけ詐欺と同じ手口だ。


 やられた、とげっそりしたため息をついたハルは、


「ああもう、わかったよ! 今日はどうせなにも用事なかったし!」


 ヤケクソじみた承諾の言葉を口にした。


 影子は、ぱっと顔を輝かせて指をひとつ鳴らす。


「やったねたえちゃん! アタシちょっと準備してくらあ! アンタもおめかしとかしてくれていいよん!」


 そのまま、あばよ、と言わんばかりに手を振って、ハルの影へと沈み込んでいく影子。準備とやらが何なのかわからないが、ハルもこころの準備をしておこう。


 デート。デートだ。


 自分と、影子が。


 今までふたりきりで遊んだことは数多くあった。普通に下校するときに買い物をしたり、ゲーセンに行ったり。


 しかし、明確に『これがデートでござい』と事前通告されたのは初めてだった。


 改めて言われてみると、どうにも緊張してしまう。いつも通りのはずなのに、いつもとは違うこの感じ。その感覚に、ハルはどうしても慣れなかった。


 たまにはいいか……と落としどころを見つけて、とりあえずハルは着替えることにした。と言っても、特別オシャレをすることもなく、ただの外出着である。


 上着を羽織り、部屋を出る。玄関から外へ出たところで、影子が影からにゅっと伸びてきた。


「お待たせ―♡」


 見計らったように出現した影子は、たしかにいつもとは違った。


 三つ編みにした髪を下ろし、メガネを外し、黒いワンピースを着ている。足元も黒いヒールパンプスだ。影子が着こなすワンピースは一見清楚だが、かなりタイトでスリットも入っており、胸元も空いていた。


 勝負服だ。まごうことなき勝負服だった。


 その気合いの入りように、ハルはつい怖気づいてしまった。


「さっ、いこっか♡」


 腕を組むとおっぱいが当たる。たぶん当てているのだろう。それくらいはわかる。


 影子に腕を引かれて、ハルはぎくしゃくと歩き出した。

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