№28 『閣下』の後始末
『『無影灯』ヘリを一機全壊させたことについて、始末書を書かされたよ。この私が、始末書だ。始末書だよ。私の人生で初めての汚点だ。まったく、全身に泥を塗りたくられたような気分だ』
逆柳はそう言って、電話越しに大げさなため息をついた。どうやら始末書を書かされたことを相当に根に持っているらしい。
『腹いせに、今後の『無影灯』ヘリの装備について、運用について、出動要請の遅延について、原稿用紙に換算して100枚ほど書き綴って提出してやったよ。ペーパーレス社会の今時に、わざわざ手書きでね。上層部は目を点にしていた』
なるほど、『閣下』らしいいやがらせだった。その『始末書』という名の現場からの文句を受けて、上層部がどう動くかだが……おそらくは、たいして変わりはないのだろう。逆柳自身も、それがほんの少しの抵抗だとわかっていてやっているのだ。
『……そういった意味でも、今回は私の負けだ。今までできるだけ負けないようにしてきたのだがね……なるほど、黒星をつけられるというのはこういった気分なのか。ともかく、私は『モダンタイムス』の持つ駒に対して有効な一手を打つことができなかった』
「……『黄金狂時代』を失ったのも、想定外の事態が起こってしまったから、ですか?」
少しだけ責める色を含んだハルの言葉に、逆柳はふっと苦く笑った。
『釈明の余地もない。まったくもってその通りだ。今度ばかりは、私の読みが甘かった。希望的観測や慢心があったのも否めない。予想外のアクシデントに対応しきれなかった。そのおかげで、『黄金狂時代』君を失ってしまった』
言葉の通り、逆柳は言い訳をしなかった。こういうところは潔い男だ。ただ淡々と己の負けを認めている。今まで体感したことがなかったであろう、敗北の味をかみしめているに違いない。
しかし逆柳はおそらく、この敗北すらも糧にして、さらに躍進することだろう。タダでは転ばない、それが『影の王国』対策本部長の意地だ。挫折を覚えて、それを乗り越えて、ひとは成長する。もしかしたら、今回敵はとんでもない塩を送ってしまったのかもしれない。
この男は、これからもたくさんのカードを切って、代償を支払い、今度こそ不敗の人生を送っていくことだろう。
受話器の向こうの逆柳は、いつも通り神経質そうなバリトンボイスで、
『完全敗北だ。『黄金狂時代』君も含め、失ったものは大きい。が、得たものはある』
得たもの。それは新たなる『影使い』である『殺人狂時代』のことだろう。新しい手駒を得た逆柳は、今度はどんな手を打ってくるのだろうか?
そして、『七人の喜劇王』の『犬の生活』の席が潰れた。こちらも痛手を負ったが、敵も同じようにダメージを負ったのだ。
『犬の生活』の最期を思い出して、ハルは胸が締め付けられるような心地になった。『私のお友達』と、そう言っていた。最後の最後で、『犬の生活』はハルを友達だと認めてくれたのだ。
が、ハルはその思いに応えることができなかった。『犬の生活』もそれを期待していなかったのだろう、あっさりとみずからのいのちを断ってしまった。
『黄金狂時代』はもちろん、できることなら『犬の生活』も救ってやりたかった。そう思うのは傲慢が過ぎるというものだろうか。
『『影の王国』の残る『七人の喜劇王』は、『モダンタイムス』と『独裁者』、そして長良瀬久太君のみ。今回で敵の手威力を削ぐことはできた。『独裁者』の正体も動向もまだ不明のままだが、『モダンタイムス』と長良瀬久太君のことはある程度把握できている。今後そう分の悪い戦いにはならないはずだ。無論、油断はしないがね』
『独裁者』、か……最後に残った、『七人の喜劇王』の一席。どんな人物なのか、どんな『影使い』なのか、想像もできない。おそらく『モダンタイムス』は、この得体のしれない『王』を最大限に有効活用してくるだろう。ああ見えて、逆柳に泥をつけるほどの策士だ。油断は大敵だ。
そして、久太……かつての友達とも戦うことになるだろう。『七人の喜劇王』のいずれかの一席となった久太は、ハルにとっては劇薬のような相手になる。真正面から対峙したとき、果たして再び勝つことはできるのだろうか?
……今度こそ、救い出すことはできるのだろうか?
もう二度と失いたくない。強く思ったハルは、今回の戦いを改めて振り返った。
囚われの『黄金狂時代』を救い出そうとASSB側に亡命してきた『殺人狂時代』。それを追ってきた『犬の生活』。残念ながら『黄金狂時代』はひどいやり方で処刑されてしまったが、『犬の生活』は堕とすことができた。そして、『殺人狂時代』という新たな戦力も得た。
『我々は最善を尽くした』
ハルの内心を見透かしたように、受話器の向こうで逆柳が告げる。
『失ったものばかりに目を奪われていることは、生産的ではない。今回、君は最後の最後まであきらめなかった。その結果、塚本影子君は覚醒し、『犬の生活』をかろうじて退けることができた。胸を張りたまえ、塚本ハル君。前を向きたまえ、塚本ハル君。君にはまだ、やってもらいたいことが山ほどあるのでね』
逆柳なりの励ましだった。実に合理的な、逆柳らしい言葉の数々に、ハルは納得せざるを得なかった。
そうだ、失ったものばかり数えていてもキリがない。進まなければ。散っていった『黄金狂時代』や『犬の生活』のためにも。
もう二度と失わないように、ベストを尽くせ、塚本ハル。
「……善処します」
『ぜひそうしてくれたまえ。それに、君と塚本影子君の関係性を語る上でも、得るものはあったのではないかね?』
唐突にからかうような調子で問いかけられて、ハルは苦笑いしながら肩を落とした。
「……まあ、そうですね」
『その点は私のあずかり知らぬところではあるが、関係醸成でパフォーマンスが向上するのは良いことだ。これからも、私の駒となってよく働いてくれたまえ。対策本部は、必ず『影の王国』を潰す。私はもう、負けない』
「そうですね、これ以上失うのはもうごめんです」
『同意見だ。お互い健闘しようではないか……失敬、そろそろ会議があるのでね、次に会う時までどうか健勝で』
「ええ、逆柳さんも」
そう言い残し、逆柳は通話を切った。手の中のスマホを見下ろしながら、ハルはため息をつく。
まだまだ、戦いは続く。
今度もまた、失うかもしれない。ひどく苦い思いをするかもしれない。死んだ方がマシだと思うことがあるかもしれない。
しかし、終わらせなくてはならない。
きっと、それがハルの使命なのだろう。
ハルと、影子の。
「……もう、こんなことは終わらせなきゃいけない」
自然とひとりごちたハルは、『殺人狂時代』と同じように、運命に抗う覚悟を決めた。
定められた破滅を壊せ。
壊して壊して壊しまくれ。
破壊は僕らの得意技だ。
そうだろう?
……誰にともなくこころの内側で呼びかけ、決意も新たに、ハルはこぶしを握り締めた。
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