№25 自罰の磔刑台

 『殺人狂時代』が倒れ、残ったのは『ナイトメア』状態の影子と、身動きの取れないハルと少数の『猟犬部隊』だけだった。


 もう打つ手はない。手持ちの札はすべてさらした。あとは全員が『犬の生活』の手によってなぶり殺しにされるのを待つばかりだ。


 詰んだ。そう悟ったハルは考えるのをやめようとした。


 恐怖に身を任せようとした。


 が、寸でのところで思いとどまる。


 ダメだ、思考を止めるな。


 まだ負けてない。


 どこかにまだ勝機があるはずだ。


 折れそうになるこころで、必死に恐怖に抗い、ハルはこの極限状態を乗り切る手段を必死に探そうとした。


 一方の影子の意識も、ガラス戸の向こう側のようなところに囚われながらも、そこから逃れようとあがいていた。


 『犬の生活』に支配されながらも嵐のように暴れ、思う。


 なにやってんだ、アタシは。


 主人……思いびとのひとりも守れずに、いいようにされて。


 ただひたすらに、間抜けで無様。それが今の自分だった。


 ちくしょう、ちくしょうと悪態をつきながら、見えない壁を殴り続ける。が、その壁はがんとして揺るがない。


 そのガラス戸の向こう側の影子は、いつもの赤い瞳を真っ黒にして、ツタに絡め取られてうなだれていた。隣ではハルが必死にこの状況を打破する手段を講じている。


 なのに、なにをやってるんだ。


 どうしてアタシはこんなにも無力なんだ。


 殴りつける透明の壁に、こぶしの形をした血の跡がついた。ずるり、と血の跡を引き、影子は壁の向こう側でひざまずく。


 これで、終わりなのか……?


 壁の向こう側、黒い目をした影子は、うなだれたまま立ち上がり、自分の影からチェインソウを取り出した。


「次は、『影使い』……塚本ハルさん……ああ、自分の『影』に殺されるだなんて、おいたわしや……」


 涙で顔の血を洗い流す『犬の生活』が指を振り上げると、どるん、とチェインソウがうなりを上げた。高速回転する微細なやいばがいななき、ハルをまっぷたつに引き裂こうとしている。


 振り上げられたチェインソウを目にしながらも、ハルは決して考えることをあきらめなかった。


 まだだ、まだなにかある……必ず!


 まっすぐに見つめる瞳を壁越しに目にして、影子は震えながらくちびるをかみしめていた。


 ああ、まただ。


 またアタシは思いびとを殺しちまう。


 あだ花の恋のまま、自分の主人を無残に食い殺しちまう。


 ……それでいいのか?


 影子の中に、ひとつの炎がともった。消えかけていた闘志の炎だ。


 ひざまずいていた影子は立ち上がり、よろけながらもしっかりとその場に立った。


 恋した相手を殺して、罪の意識にさいなまれて、恋に憶病になって……


 その結果が、このザマか?


 ぎゅっと血まみれのこぶしを握り締めると、震えが収まってきた。


 これが運命だ、なんて、そんなおためごかしで片付けていいのか?


 ……いいわきゃねえだろ!!


 誰の鼓膜も揺らさない絶叫を上げながら、影子は透明な壁にちからの限りこぶしをぶつけた。


 こぶしはぐしゃぐしゃの肉と骨のかたまりになるが、同時に見えない壁にもひびが入り、徐々に崩れ落ちていく。


 アタシは抗う!!


 これが運命だなんて、クソくらえだ!!


 誰にも届かない宣言をして、影子はいつも通りにやりと笑った。


 チェインソウを振り上げていた影子もまた、そのまま動きを止める。


 もはや熱暴走しているような思考の中で見上げた影子は、真っ黒な瞳から赤い血の涙を流していた。『影』ではありえない、鮮血の色。


「……また、抗った……この影は、いったい……!?」


 『犬の生活』が驚愕の声を上げる。女王に対して反乱を起こす不届きものがいるとは思っていなかったようだ。


 ハルも驚いていた。そして、同時に歓喜していた。


 やはり、最後のカードは影子だったのだ。


 かけがえのない自分の『影』。


 ハルがあきらめなかったように、影子もあきらめなかった。


 結果、奇跡の手札が生まれたのだ。


 影子の手から、チェインソウが滑り落ちる。


 さあ、と瞳から黒い色が引いていき、もとのいのちの赤が宿った。


 影子がもろ手を広げると、その場に展開していた『クトゥルフの悪夢』を塗りつぶす勢いで足元の影が海のように広がっていく。


 黒を黒で侵食し、影子の影は廃工場のすべてを飲み込んだ。


 これからいったい、何が起こるのか……?


 固唾を呑んで見守っていると、血の涙を流す影子が空を仰ぐようにつぶやいた。


「……なにまよってたんだ……かっこわりぃ……」


「……影子?」


 ハルが呼びかけるが、影子にマトモな意識はないらしい。うわごとのような口調で、


「……この恋が許されるとしたら……アタシは、アタシ自身の手で、アタシに罰を与えよう……」


 何かの予兆のように、広がった影の海の水面が小さく波打つ。


「……そうすることで運命を打倒できるとしたら、アタシは……!!」


 波は次第に大きくなっていき、脈動するように揺れた。


 ふと、影子が視線を下ろす。その先には、目を見開いているハルがいた。


 影子はハルに恋する乙女の恥じらうような微笑みを向け、


「……あいしてるよ、ダーリン」


 はっきりと告げられた言葉にはデジャブを感じた。が、以前言われたのとは決定的に意味が違う。あのころとは、もうなにもかもが変わってしまったのだ。


 影子、と言葉を返そうとしたとき。


 大きく揺れた波が、一斉に逆巻く。


 それは天を衝くほどに高くそびえたつ磔刑台となった。いくつもの磔刑台につるされる『クトゥルフの悪夢』は、串刺しにされてびちびちとのたうつ。


 そして、影子もまた磔刑台にはりつけられた。人類のすべての罪を背負う聖人のように手足を拘束されて、


「ぐ、うっ! あああああああああああああああああああああああああ!!」


 ひどいというには生ぬるいほどの苦痛に、影子はけもののような悲鳴を上げた。血を吐き、なおも襲い来る責め苦に声をからして叫ぶ。


「影子!!」


 叫ぶハルに答えることすらできない。


 いいんだ、これがアタシなりのケジメのつけ方だ。


 ドSのクセに自罰的とは笑わせる。


 絶え間ない苦痛に絶叫しながら、こころのどこかで影子は思った。


 誰も罰を与えてくれないなら、罪を償うために自らに罰を与えよう。


 反則かもしれないが、これが影子の出した結論だった。


 運命に打ち克つ、唯一の手段だった。


 体中を串刺しにされるような、内臓のすべてが燃え上って煮えくり返るような責め苦で、影子の体力はすぐになくなってしまう。


 やがて叫びの残滓を置き去りに、影子のからだははらはらと黒い破片となって散っていった。


「影子……!」


 ハルが急いでそのかけらを拾い集め、無理矢理に自分の影にしまい込むと、『影』の磔刑台も崩れ去った。


「お願いだから、もういなくならないでくれ……!」


 涙交じりの懇願とともに、ハルは自分の影に額をこすりつけて土下座のようにうずくまっり、そのまま動かなくなってしまった。

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