№24 勝負の時間

「……『犬の生活』本体はそう遠くないところにいるはずだ、行こう」


 ハルの言葉に、『殺人狂時代』はうなずきもせずに先に行ってしまった。


 傷ついたミシェーラを『猟犬部隊』の救護班に預け、ハルもまたその後を追う。


 『犬の生活』も、逃げながら仕掛ける機会をうかがっているのだろう。だが、『無影灯』のヘリがいまだに旋回を続けている以上、『影』は出せない。さすがに承認が下りるまで手間がかかっただけあって、『無影灯』はASSBの奥の手だった。


 敵味方問わず、だが、『影使い』はこの光の下では普通の人間といっしょだった。当然、影子も『殺人狂時代』も攻撃手段を持たない。が、『猟犬部隊』がいる以上、数的にはこちらの圧倒的有利だった。加えて向こうは手負い、あの『クトゥルフの悪夢』が発動しないのならば、あとは追い詰めるだけだ。


 血の跡をたどり、廃工場の奥へと進む。だんだんと血の色が鮮血の赤になっていき、『犬の生活』が近づいているのだと知れた。


 やがて一同は、廃工場の最奥へとたどり着く。血の跡はそこで消えていた。他に出入口らしきものは見当たらず、ここが終着点らしい。


 つまりは、『犬の生活』を追い詰めたということだ。これでハルたちの勝利が決まった。


 ホバリングする『無影灯』のヘリの爆音に負けじと、鋼の色のナイフを握りしめた『殺人狂時代』が叫ぶ。


「出てこい!! 償え!!」


 悲痛な咆哮に返答はなく、『犬の生活』は沈黙を貫いた。この期に及んで降伏はしないつもりだ。それとも、なにか他に手があるというのだろうか? この状況で?


 勝ちはもらったも同然だというのに、ハルの中には言いしれない不安ばかりが増殖していった。


 『殺人狂時代』がさらに声を上げようとした、そのとき。


 上空を旋回していた『無影灯』のヘリがふいに、ぐら、とかしぎ、制御を失ったまま墜落してしまう。ばりばりとすさまじい轟音を立てながら廃工場にめり込み、やがて爆炎を上げて動きを止めた。


 まさかのどんでん返しはあったのだ。いまだに状況を把握しきれていないハル達に、


『……これは……『犬の生活』が何らかの手段でヘリに直接乗り込み、操縦者を傀儡にしたか……上空とはいえ高さはそうない。廃工場の屋根を伝ったのか……? いずれにせよ、失策だ……』


 珍しく悔しげにつぶやく逆柳の声が、無線機から届く。しかし、小爆発するヘリの音にかき消されてよく聞き取れない。


 『犬の生活』は、すでに行動を起こしていたのだ。傷ついたからだのままどうにかしてヘリに侵入し、パイロットを支配して墜落させた。


 これで『無影灯』の効力は失われたわけだ。廃工場の最奥には再び光と影のコントラストが生じ、両者ともいつでも『影』を出せる状況となった。これでまた勝負の行方は分からなくなった。


 『殺人狂時代』が一気に警戒態勢に入る。影から無数の『黒曜石のナイフ』が出現し、『殺人狂時代』を取り囲んだ。


「……今度あのツタを出してみろ……ぐさぐさの剣山にしてやる……!!」


 鋭いまなざしで油断なく辺りを見回しながら、『殺人狂時代』が憎しみに煮えたぎったつぶやきを口にした。


 ハルも影子も残った『猟犬部隊』も、いつ何が起きてもいいように構えながら『犬の生活』の次の一手を待つ。今度こそ、先に動くわけにはいかない。


 その場に静寂がわだかまった。誰一人として動かない。緊張だけが永遠に続くような感覚にさいなまれ、ハルは叫び出したくなった。


 いつまで続くとも知れない我慢比べののち、先に動いたのは『犬の生活』の方だった。


 突如として辺りの影という影から、爆発的にいくつもの極太のツタが伸びてくる。廃工場全体を黒いツタで覆いつくそうとする勢いだ。


 これほどの質量の『影』を出しているのだ、『犬の生活』も相当に消耗しているに違いない。これが最後の一手なのだろう、文字通り総攻撃なのだ。


 『殺人狂時代』が黒いナイフの雨でツタを削っていくが、ツタの勢いは止まらない。何本かのツタをずたずたにしたが、太いツタがあとからあとからわいてくる。


 影子もチェインソウを振るって何本ものツタをぶった切っていくが、それでも波濤のように押し寄せるツタになすすべもなく絡め取られてしまった。


「……くそっ……!」


 『殺人狂時代』もつかまり、『曳光弾』で応戦していた『猟犬部隊』も残らずツタのえじきとなる。


 全員がツタの『影』に動きを封じられ、すべては振出しに戻った。


「……痛み分け、といったところでしょうか」


 廃工場の奥から、ようやく『犬の生活』が姿を見せる。白い肌を真っ赤な血で染め、絞れば大量に血液がこぼれそうな喪服を引きずり、真っ青な顔をしてからだを引きずり、夢見るような口調で。


 かろうじてだが、『犬の生活』の勝ちだった。この局面で先手を打ち、勝負に出て、なんとか勝ちを拾った。


 一方のハルたちは、完全に動きを封じられて敗北が確定している。もうどうしようもなく、まさに手も足も出ない。あとは『犬の生活』の思うがままだ。死に方も選べず、ただ一方的になぶられるだけの獲物だった。


「ちくしょう!! ちくしょう!! ひとでなし!!」


 今度こそ本当に泣きわめきながら、唯一動くくちびるで『犬の生活』をののしる『殺人狂時代』。だが、所詮言葉だけでは敵はイチミリも傷つかない。


「あなたがそれを言いますか、『殺人狂時代』?」


 かなしそうにそう言う『犬の生活』への罵言は止まらなかった。


「妹は、『黄金狂時代』は特別だったんだ!! なのに!! なのに!!」


 今まで戦場にいるときの状態で保ってきた理性が崩壊し、爆発した感情に煽られるがままに涙をこぼし、悪態をつく『殺人狂時代』。その姿はどう見ても無力な子供でしかなかった。


 しかし、悪夢の女王の前では、皆が等しく無力な子供だ。


 そんな女王は血だらけのままいつくしむような笑みを浮かべ、


「そんなあなたは、自らのやいばで死になさい」


 す、と『黒曜石のナイフ』に指を向けると、一斉にその刃先が『殺人狂時代』に向く。目を見開くと同時に、無数に浮かんだナイフが『殺人狂時代』の影に突き立った。


 瞬間、『殺人狂時代』の矮躯のあちこちから血しぶきが上がる。


「……ちく、しょう……!」


 血液交じりの涙を流しながら、『殺人狂時代』はその場に倒れた。じわじわと血だまりが広がっていく。いのちの灯がけいれんとともにはかなく揺れた。

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