№22 追跡行
ハルが逆柳に『黄金狂時代』の無残な死を伝えている間に、『殺人狂時代』はかつて妹だった炭のかたまりの前に立った。
「……『黄金狂時代』……」
もはやひとだったころの名残は、肉の焦げるにおいくらいのものだ。
炭化した妹のからだの一部を手に取ると、それはいとも簡単に指の隙間からこぼれ落ちていった。遺体すら満足に残らない死だった。
妹が生きていたという確かな証拠を探すように、『殺人狂時代』は灰をまさぐる。
やがて、いつも『黄金狂時代』が身に着けていたペンダントが出てきた。熱で色も形も変わっているが、金属製だったのでどうにか形を保っている。
ただひとつ、妹が生きてきたという物質的な証拠だ。
『殺人狂時代』の妹、『黄金狂時代』。
名前さえなかった少女が残した、たったひとつの存在証明。
そのペンダントを、『殺人狂時代』は自分の首にまとった。
その瞬間、思考が、感覚が、意識が、脳の限界まで鋭くとがる。
自分は『殺人狂時代』。
殺さなければならないものがいる。
ただそれだけを頭に刻み込んだ『殺人狂時代』のたましいは、今度こそ完全に戦場にいたころに戻っていた。
仇を討て。
追い詰めて痛めつけて、できる限り苦しませて、なぶり殺しにしろ。
たましいの深いところから、闘争本能がそんな命令をしてくる。
いいだろう、従ってやる。
それが自分の存在意義だ。
妹を弔ってやるのは、そのあとだ。
もう少し待っててね、『黄金狂時代』。
胸に落ちるペンダントをぎゅっと握りしめてから、『殺人狂時代』は逆柳への報告が終わったハルに向けて告げた。
「ここからは、狩りの時間だ」
血の気の失せた顔で舌なめずりをする『殺人狂時代』に、ハルの胸がざわつく。
「頼むから、先走らないでくれよ? 目的だった『黄金狂時代』奪還は失敗した。これからは『犬の生活』を捕捉して、可能な限り生きたまま連れ帰ることだ……って、逆柳さんが言ってた」
「知らない。必ず殺すんだ」
「落ち着いて……って言っても、無理だよね。だったら、僕らはできる限り君が『犬の生活』を殺してしまわないようにフォローすることしかできない」
妹を失った『殺人狂時代』のこころは、ハルごときではわかりきれないくらいに痛んでいることだろう。だから、無理に止めることはしない。子供の暴走を止めるのはいつだって大人の仕事だ。
「さあ、頭が少し冷えたら行こう。『犬の生活』は血痕を残していった。それをたどれば、行きつくはずだ」
「けど、気を付けないとネ……またなにか罠が仕掛けられてるかもしれない」
ミシェーラの言葉に、ハルはうなずいた。
「気を引き締めていこう。慎重に慎重を重ねて、罠を踏み抜かないように。さあ、行くよ」
いまだにうつろな目をした『殺人狂時代』を先頭に、ハルとミシェーラ、影子、『猟犬部隊』の面々が続く。
血の痕跡は廃工場の奥へ奥へと続いていた。それがまるでハル達を深淵へといざなう道筋のように見えて不気味に思う。
「……影子」
追跡の道すがら、ハルは影子に向かって呼びかけた。
「……んだよ?」
ここまでほとんど言葉を発していない影子は、不機嫌そうな表情で返す。まだあの告白を引きずっているらしいが、今はそんなことを言っていられない。
ハルはあるじの顔で告げた。
「君は『いつも通りにしろ』と言った。だったら、今だっていつも通りに振る舞えるなら、君は僕の従者だ。従えるね?」
幼子に言って聞かせるような口調のハルに、影子は無表情でこうべを垂る。
「……イエス、マイロード」
間があった。不承不承、だろう。しかし、今は気まずく思って連携が取れないようでは困る。ハルなりに釘を刺したつもりだった。
その返答に首肯をひとつ。そして、ハルはまたみんなといっしょに歩き出した。
答えの通り、影子はハルを守るかのように先に立って、『殺人狂時代』の後について進む。いつもなら闘争本能をむき出しにして、解き放たれた猟犬のように走り出すところだが、そんな様子はない。まだハルが手綱を握っているからだ。
私情を挟むな。それは影子にも、ハルにも言えることだった。
ハルだって、あんなことがあった直後に作戦決行となって戸惑っている。いつかは答えを出さなければならないが、それは今ではない。たしかなのはそれだけだった。
兵士の顔をした『殺人狂時代』が、決して速くはない歩調で血の跡をたどる。『殺人狂時代』も慎重になっているのだ。
ただ、頭は冷えているが、こころは復讐の暗い炎で熱された鉄のように燃えている。『犬の生活』を捕捉したあかつきには、宣言通り殺しにかかるだろう。
果たしてそれを止めることができるのか、それが懸念だった。
そもそも、『犬の生活』と対峙して勝つことができるのか?
『殺人狂時代』の『影』はたしかに強力だ。さらに影子もいるし、ミシェーラもいる。カードはすべて手の内にある。
なのに、この消えてくれない不安はなんだ?
「……ル、ハル!」
ミシェーラの声に、ハルは自分が堂々巡りの思考に陥っていたことに気づいた。
「……ああ、ごめん。なんだった?」
少しバツの悪い表情でもう一度話を聞く。
「ワタシの『影爆弾』で、この辺りを無差別に爆撃するノ! 隠れる場所がなくなったら、きっと『犬の生活』も妙な罠だって張れなくなる。出てきて真っ向勝負になれば、直接攻撃の手段がない『犬の生活』の詰みネ!」
たしかに、ミシェーラの言うことにも一理ある。だいぶん強引なやり方だが、逃げ続ける『犬の生活』を引っ張り出すにはそれが最適だと思った。このままでは果てしない追いかけっこが続くばかりだ。
やるしかないか、とハルはハラを決めた。
だが、どうしても拭い去れない一抹の不安がある。
なにか、まだ『モダンタイムス』の手のひらの上にいるような……
そんな考えを振り払って、ハルは答えた。
「そうしよう。逃げ場所をすべて潰す。ここなら周りの被害のことは考えなくてもいい。『影爆弾』のちからを存分に発揮できる。君のちからで、『犬の生活』を表舞台に引っ張り上げよう」
「そう来なくちゃネ!」
サムズアップするミシェーラの影から、真っ黒なオモチャの兵隊が次々と飛び出してきた。ミシェーラの『影』、『影爆弾』だ。影に潜り込み、その影を大爆発させる。かつてハル達も苦戦した能力だった。
『……現場は今、どうなっている?』
無線から逆柳の声が聞こえた。三々五々散らばっていく『影爆弾』たちを見送りながら、ハルはその質問に応じた。
「ミシェーラの『影爆弾』で『犬の生活』の逃げ場所を潰します。『犬の生活』が表に出てくれば……」
『ミシェーラ君の『影爆弾』……?』
「はい、それが最善かと」
『いかん、すぐに引かせたまえ。君らしくない選択ミスだ……』
「……え……?」
逆柳の警告に反応しきれないでいるうちに、ことは再び始まってしまっていた。
この時を待っていたかのように、廃工場の奥から無数の細いツタが伸びてくる。そのツタは『影爆弾』を次々ととらえ、小さな毒花を咲かせた。
逆柳の言いたかったことはこういうことか……!
たしかに、逃げ場所を潰せば『犬の生活』は出てこざるを得ないだろう。しかし、やはり先に動いては負けてしまうのだ。
『犬の生活』は根気強くこの瞬間を待っていたのだ。広範囲に展開され、それゆえに『クトゥルフの悪夢』の格好のえじきになってしまう『影爆弾』。先を読んでいたのは『犬の生活』の方だった。
ハルのイヤな予感は当たってしまった。
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