№21 『黒曜石のナイフ』

 やがて炎が収まり、燃え尽きた『黄金狂時代』の遺体が、ぽろりと地面に零れ落ちる。ばらばらになった全身は完全に炭化していた。まだ熱の残る着火剤からは煙が上がっている。


 すべてが終わってしまった。『殺人狂時代』の愛する妹は、見るも無残な方法で処刑されてしまったのだ。


 まだ支配が解けないでいるハル達の前に、しずしずと黒いひと影が歩み寄ってきた。このときのためにあつらえたかのような喪服姿の『犬の生活』の姿だ。


「……ああ、なんという悲劇でしょう……おいたわしや……!」


 『黄金狂時代』だった炭のかたまりを前にして、『犬の生活』はまるっきりテレビの向こうの戦争でも見ているかのように他人事の涙を流す。そこには哀悼の意など一切なかった。


「……わかったよ……」


 『殺人狂時代』が小さくつぶやいた。負け犬の鳴き声のような情けない声で。


「……もう、『影の王国』には逆らわない……」


 こころを折られてしまった『殺人狂時代』は、よすがを失った子供の顔で泣いていた。


「……なにをやったって無駄なんだ、ってわかったよ……元に戻るから……」


 かなしみというにはあまりにも重い涙をこぼしながら、『殺人狂時代』は服従という選択肢を選んだ。


「ダメだ、『殺人狂時代』!」


 ハルが止めようとするが、『殺人狂時代』は憔悴しきった顔で泣きながら首を横に振る。


「……もう、なぁんにも、なくなっちゃった……妹は僕のすべてだったんだ……もう、どうなったってかまわない……」


「行っちゃダメだ!!」


 なんとか『殺人狂時代』をこちら側に引き留めようとしたが、無駄だった。


「……ごめんね、塚本ハル……僕は、行くよ……」


「『殺人狂時代』!!」


 声をからして呼び止めても、『殺人狂時代』を止めることはできなかった。


 また、失う運命なのか……!?


 ハルの脳裏に、かつて失った友情の思い出がよみがえった。


 また、繰り返す運命なのか……!?


「……よろしゅうございます……」


 完全に戦意を喪失した様子を見て取ってか、『犬の生活』は『殺人狂時代』の支配を解いた。


 よろよろと頼りない足取りで向こう側へと歩いていく『殺人狂時代』。ここを越えてしまっては、もう戻れない。ルビコンを渡ろうとしている。


 そのか細い腕を引き留めることすらできないハルは、ほぞを噛む思いでことの成り行きを見つめていた。


 『影の王国』に戻ってきた『殺人狂時代』を迎え入れるように両手を広げて、『犬の生活』が甘く言葉を紡ぐ。


「さあ、帰りましょう、わたくしたちの『王国』へ」


 その両腕に抱かれるように、『殺人狂時代』は全身のちからを抜いて『犬の生活』に身をゆだねた。


 そして、『犬の生活』の背中から真っ黒なナイフの刃先が生えた。


「……??」


 口元からこぼれ落ちる血液を不思議そうに手で拭い、胸元を見下ろす『犬の生活』。


 胸を貫く黒いナイフを握っていたのは、すっかり涙も涸れ果て、うつろな目をした『殺人狂時代』だった。


「……ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす……」


 今度こそ確固たる意志を持った呪詛を吐きながら、『犬の生活』の胸をえぐるように黒いナイフをこじる『殺人狂時代』。


 なにもかも演技だったのだ。あの絶望した幼い顔も、透明な色をした涙も。いや、半分は本心だったのかもしれない。だからこそ、『犬の生活』もハル達もまんまとだまされてしまったのだ。


 血を吐きながら大きく飛び退る『犬の生活』が、また『クトゥルフの悪夢』の毒花を咲かせようとする。


 そのツタにとらえられるよりも先に、『殺人狂時代』の影から無数の『影』のナイフがミサイルのように放たれた。


 そのナイフが向かう先は『犬の生活』本体ではなくその『影』だ。


 ざくざくと切り刻まれた悪夢のツタに呼応するように、『犬の生活』のからだ中から血が吹き上がった。


 『殺人狂時代』の『影』は、『黒曜石のナイフ』……『影』を切りつけた分、『影使い』にダメージが行くものだ。広範囲での『影』の展開が必須の『クトゥルフの悪夢』はいいマトだった。


「……ろすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす……みなごろしだ」


 いつしか幼い面影も涙も、なにもかも消え去った『殺人狂時代』の顔つきは、戦場にいたときと同じ表情になっていた。


 そこにあるのは、虚無。殺戮をなりわいとする機械人形だ。


 ぐら、とかしぐ『犬の生活』を見下ろすようにして、『殺人狂時代』は無機質な声でささやいた。


「まだまだだよ?」


 小さなからだを取り巻くように、無数の『黒曜石のナイフ』が浮かんでいる。そのナイフが、雨のように『犬の生活』の『影』に降り注いだ。


 紙切れのようにやすやすと切断される『影』の向こうで、『犬の生活』の全身から血が吹き出し、喪服をより暗い黒に染め上げる。これ以上ダメージが蓄積されれば、『犬の生活』は失血死するだろう。


 このまま広範囲に『影』を展開させて本体までさらしているのは愚策、と判断したのか、『犬の生活』は『影』をひっこめた。潮が引くようにハル達を縛っていた『影』が遠のいていく。


 『犬の生活』は傷ついたからだをひるがえし、廃工場の奥へと逃げ出していった。たしかに、それが得策だろう。


 おかげで、ハル達のからだも自由になった。なにもかも『殺人狂時代』の演技力のたまものだった。


 その『殺人狂時代』は仮面のような顔をして、単身『犬の生活』の後を追おうとしている。


「待って、『殺人狂時代』! ひとりで行くのは危ない!」


 慌てて腕をつかんだハルの手を振り払い、『殺人狂時代』は冷たく告げる。


「邪魔しないで」


「ひとりじゃ無理だよ! いつまた隙を突かれて『犬の生活』の影にやられるかわからない! できるだけ大人数で行った方がいい!」


「止めないでってば」


「そんなに死に急いで、『黄金狂時代』がよろこぶとでも思ってるのか!?」


 必死のあまり出てきてしまった死んだ妹の名に、『殺人狂時代』はぴたりと動きを止めた。あまり気分のいいやり方ではないが、今はこうするしかない。


 ハルは口調をやわらげて、


「……それに、『黄金狂時代』の遺体をちゃんとしないと」


「……わかった」


 渋々納得した『殺人狂時代』に、ハルは内心ほっとした。まだ完全には殺人マシンにはなっていない。妹の死を悼む気持ちはあるのだと。


 『黄金狂時代』は、残酷なやり方で失われてしまった。


 しかし、死してなお残したものはあるのだ。


 どれほど『モダンタイムス』が策を弄しようとも、決して消えないものが。


 無線機の向こう側に待機している逆柳が端的に言った。


『……状況を説明したまえ。まあ、おおよその予測はできているが』


「……はい」


 ハルが逆柳に『黄金狂時代』の無残な死を伝えている間に、『殺人狂時代』はかつて妹だった炭のかたまりの前に立った。

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