№20 火刑

※注意※


本話では非常に残酷なシーンが描かれております

グロゴア耐性のない方は閲覧非推奨です










 『黄金狂時代』の足元にわだかまっていた影が急速に範囲を広げ、廃墟全体を覆いつくすまでになる。もちろん、ハル達や『猟犬部隊』の影も侵食された。


「しまった……! 『黄金狂時代』はとっくの昔に『犬の生活』の支配下にあったんだ……!」


 今更気づいたところでどうしようもない。広がった影のあちこちに黒い毒花が咲き乱れ、全員が身動きの取れない状態に陥って、文字通り手も足も出なくなる。


 すべては『犬の生活』……いや、おそらくは『モダンタイムス』の仕掛けた罠だった。ハル達は見事にその術中にはまってしまったのだ。


『……あー、聞こえてるぅ?』


 ざざ、とノイズの音をかき分けて、どこかに設置されているらしいスピーカーから『モダンタイムス』の声が聞こえてきた。


『やあやあ、みなさんおそろいで! 小生、雌伏して時を待ってたところだよぅ! これじゃあまるでお誕生日会じゃないかぁ! ハッピーバースデー小生! 今日誕生日じゃないけど!』


 相変わらずハイテンションにまくしたてる『モダンタイムス』に届くかどうかもわからないのに、『殺人狂時代』は怒りの声をぶつけた。


「妹になにをした!?」


『ああ、『殺人狂時代』! 小生はねぇ、一等君に会いたかったんだよぅ! だってさぁ、君ったら小生たちを置いて出て言っちゃうんだものー! さみしかったよぅ!』


「ふざけるな!! 妹を返せ!!」


 喚き散らす『殺人狂時代』に、『モダンタイムス』はとぼけた声で応じた。


『そこにいるじゃないか! もっとも、こころここにあらずだけどねぇ! ヤツは大変なものを盗んでいきました! あなたのこころです! ってねぇ!』


「どこにいる、『犬の生活』!? 出てきて妹を解放しろ!!」


『ざぁんねん! 『犬の生活』はひどく臆病だからねぇ、こっそり隠れて影から見てるよぅ! ねぇ、『犬の生活』ぅ?』


 もちろん、それに答える声はなかった。


 『犬の生活』の『クトゥルフの悪夢』は、『ナイトメア』タイプの女王だ。本来は有効にはならないはずの『影使い』すらその支配下に置く。意識はあるし口元は動くが、指一本たりとも動かせない。


「ふざけるな、ふざけるな!! 妹になにをしたんだ!?!?」


『べっつにぃ? ただちょぉっと小生の生オナホになってもらっただけだよぅ! いやぁ、お上手だねぇ、『黄金狂時代』は! さすがハニートラップで戦場を生き抜いてきただけのことはあるねぇ! 小生すっかり搾り取られちゃった! てへ!』


 『殺人狂時代』はもう叫ばなかった。


 ただ、くちびるを震わせながら絶句して、目を見開いている。


『それとぉ、君たちを釣るエサにもなってもらったよぅ! 『殺人狂時代』が小生たちのエサとなりえるのと同じくらい、『黄金狂時代』だって君たちのエサ足りえるんだよぅ! 『影使い』が欲しいのはお互い様でしょ? 現に、君たちはこうしてここへ来た! 歓迎するよぅ!』


 そう言って高らかに笑う『モダンタイムス』。


 ただ怒りに震えるだけに見えた『殺人狂時代』は、狂気に憑りつかれたような目をして繰り返しなにかをつぶやいている。


 それは、呪詛だった。


「……してやるころしてやるころしてやるころしてやる……!!」


『あっはは!! 君の妹さんも、そんな目をしながら小生のイチモツをしゃぶってたねぇ! やっぱりきょうだいだ、似てる似てるぅ!』


「……ろしてやるころしてやるころしてやるころしてやる……!!」


『あー、それはもういいよぅ! どうせ身動き取れないんでしょ? 『犬の生活』はすべての『影』の上に君臨する悪夢の女王だ! 女王には誰も抗えない! 何もできなくて悔しい? ねえ、悔しいのかなぁ?』


 煽りに煽る『モダンタイムス』に向かって、無力化された『殺人狂時代』はただひたすらに呪いの言葉を投げかけるばかりだ。今はそうすることしかできなかった。


 ハルもまた、このやりきれない展開にきつくくちびるをかみしめる。すべては『モダンタイムス』の手のひらの上、お引き寄せられたハル達は目論見通り『影』の女王によってからだの自由を奪われた。


 逆柳の戦略が悪かったとは言えない。両者エサをぶら下げて膠着状態に陥っている以上、どちらかが動かなければ話は進まなかった。ここでこちらが動かなければ、『影の王国』は永遠に動かなかっただろう。


 そして、先に動いた方が負ける。何事もそうだ。逆柳は『勝てない戦いには臨まない』と豪語していたが、これは最初から負けることが決まっていた戦いなのだ。すべては始まったときから勝敗が決していた。


 ベターではあるがベストではない。そんな選択をした逆柳に初めて泥をつけた『モダンタイムス』は、スピーカーの向こうで、ぱちん、と手を叩いた。


『と・いうことで! 『黄金狂時代』の役目はこれで終わりぃ! お疲れさまでしたぁ! 小生ももう生オナホには飽きちゃったしぃ、ここで生かしておいてもどーせロクなことしないでしょ? なので! ここで捨てちゃおうと思います!』


 何をする気だ? イヤな予感しかしない一堂に向かって、『犬の生活』に操られた『黄金狂時代』が、そのスカートをつまんで淑女のように一礼した。まるでこれから舞台に上がる女優のように。


 そして『黄金狂時代』は、廃墟の真ん中にそびえ立つ鉄の柱へと歩いて行った。十字架のような形をした鉄塔の足元には着火剤のようなものが撒かれており、それらはすべて濡れている。さっきからするガソリンくささは廃工場特有のものだと思っていたが、まさか……


『はいはーい、ちゅうもくぅ! 幼い戦場の魔女にふさわしい処刑ってなにかなぁ? そりゃあ火刑に決まってるよねぇ! だって魔女だもの! 魔女は火あぶりにするのがしきたりだからねぇ! 様式美ってやつさ!』


 ゴキゲンな『モダンタイムス』の声が響き渡る中、『黄金狂時代』は操り人形の動きで鉄の柱によじ上り、その十字架の枷で両手足を戒めた。自らの足で火刑台に上った『黄金狂時代』を確認したのか、『モダンタイムス』がへらへらと半笑いで告げる。


『でもねぇ、小生やさしいから、最後のお別れくらい言わせてあげようと思うんだぁ! ね、『犬の生活』!』


 その言葉を合図に、『黄金狂時代』の支配が解ける。


 漆黒だった瞳が兄と同じ琥珀の色に戻り、正気を取り戻した『黄金狂時代』は、火刑台にはりつけにされているという状況に混乱した。


「……え!? なに、これ!? 私……!?」


「『黄金狂時代』!!」


「お兄ちゃん!?」


『ほぅら、感動の再会だ! けどゆっくりはしていられないよぅ? そぉれ、点火点火♡』


 ぼっ、と鉄の火刑台の足元から火が上がった。炎はまたたく間に『黄金狂時代』の足元まで及び、やがてその身を焦がし始める。


「お兄ちゃん!! 助けて、おにいちゃん!!」


「『黄金狂時代』! 『黄金狂時代』!!」


「いやだ! いやだよ、お兄ちゃん!!」


 半狂乱で叫ぶきょうだいをしり目に、巻き起こった炎は着実に『黄金狂時代』のからだを焼いていく。


「いたい!! いたいよ!! いたいよおにいちゃん!! いたいいたいいたいいたいいたいいたい!!」


 ハルはこのとき初めて知った。


 本当に炎に焼かれているものは『熱い』などとは言わないのだ。


 ただただ痛い。それだけなのだと。


 もう『黄金狂時代』の膝から下の皮膚はめくれあがっていた。足首から先に至ってはすでに炭化し始めていて、爪先だったところからは溶けた脂肪と血液が混じったものがぽたぽたと滴り落ちている。それが時折着火剤に、じゅ、とあとを残し、たんぱく質が焦げるイヤなにおいが充満した。


 胸が悪くなって吐きそうになったが、自由を奪われている今、それすらままならない。ハルはひたすらに生唾を飲み込んでいた。


 絶え間なく苦痛を訴える悲鳴が聞こえる。炎はすでに『黄金狂時代』の下半身を炭化させ、胴体まで覆おうとしていた。


「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいいたいいたいいたいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいたすけておにいちゃんたすけておにいちゃんたすけておにいちゃnたすけておにいちゃんたすけ」


 叫ぶ声はかすれきっていて、もうのどまで熱が回っているのだろう。炎は内臓を焼き焦がし、排泄物や胃液がこぼれていく。


「ひぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」


 最後の悲鳴はもうひとの言葉ではなかった。屠殺される豚の方がまだ幾分か人道的な扱いをしてもらえただろう。絶叫はしぼんでいき、炎が肺まで回れば、空気だけが漏れる音になる。


 それが、『黄金狂時代』の最期の声だった。


 ただ見ていることしかできなかった。


 最後の挨拶をさせてやろう、だなんて、とんだ悪趣味だ。


 『モダンタイムス』は、生きたまま焼かれる『黄金狂時代』の悲鳴を、『殺人狂時代』に、ハル達に聞かせるために支配を解いたのだ。


 『殺人狂時代』は、もう呪詛すら吐かなくなっていた。琥珀の瞳は最大限まで見開かれ血走り、切れるほどかみしめたくちびるから、つ、と血の赤が伝った。

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