№18 負けられない戦い
影子の盛大な自爆テロから数日が過ぎた。
ハルの方が情けなくなるほど、影子は宣言通りいつもと同じようにしていた。ハルとも普通に話をするし、下品な冗談を言っては笑っている。
しかし、こころの中までは覗けない。影子が今、どんな気持ちでいるのか、ハルにはまったく想像ができなかった。
それゆえに、ハルは日々をもだもだと過ごしていた。
……そんなハルに、『閣下』から呼び出しがかかった。
なんとなく緊張しながらASSB本部に出頭すると、逆柳はいつもの会議室で待ち構えていた。目の下には濃いクマができているが、憔悴した様子はなく、いつも通りに冷静で神経質そうな表情を浮かべている。
「やあ、塚本ハル君。ご足労痛み入るよ。まずはかけたまえ」
促されてパイプ椅子に腰を下ろすと、逆柳はあごの下で手を組んで、
「早速だが、本題に入ろう……と、いうセリフは、風情が皆無で私は嫌いなのだがね。とにかく、本題だ」
回りくどい言い回しで告げると、逆柳はそのまま話の核心に切り込んだ。
「対策本部は数週間、『黄金狂時代』奪還に向けて動いてきた。そのおかげで、『黄金狂時代』の居場所も特定済みだ。ついては、『殺人狂時代』君にエサになってもらって、『影の王国』を引きずり出したいのだが、どうかね?」
この男の配下だ、優秀に決まっているが、ここまで早い段階で『黄金狂時代』の位置を特定できたのは驚きだった。なにかと『影使い』や『影』に隠れがちだが、逆柳の『猟犬部隊』、そして対策本部も相当なものだ。
驚きつつも、口をついて要らぬ一言が出てしまう。
「……相変わらず、ひとを駒として扱うのがお上手ですね」
「おや、この私に皮肉かね? 今君を言論で弾圧する方法が82通りほど思い浮かんだが、実践してみるかね?」
「……やめておきます」
どうせこてんぱんにやられるのだから、ディスカッションはしないでおこう。両手を上げたハルは、その手を下ろし、真剣なまなざしを逆柳に向けた。
「……ふたりは、絶対に安全なんでしょうね?」
慎重に投げかけた質問に、逆柳が答えるまでに少しの間があった。
「想定外の事態がなければ、ね」
「勝ち続けてきたあなたらしくもない、予防線を張るような言い方ですね」
「私は勝ち続けているのではない、いまだに負けていないだけだよ。負けいくさに挑まない、ただの臆病者だ」
自嘲の笑みを浮かべた逆柳は、肩をすくめてそう言った。
賢い男だ。黒星をつけていない理由がよくわかる。
「話が脱線してしまった。それで、『殺人狂時代』君はこの作戦に乗ってくれると思うかね?」
「乗ると思いますよ。『殺人狂時代』は妹を取り返すためならなんだってするでしょうね。そういう子です」
この数週間いっしょに寝起きして、それくらいは断言できるようになった。
近所の子供たちと遊んでいても、ぐっすり眠っていても、『殺人狂時代』のたましいは戦場にある。
そして、妹のために、ある。
たとえ手足をもがれるよりもひどい目に遭ったとしても、妹のためならば『殺人狂時代』はそれを受け入れるだろう。
「いいだろう。では、作戦の詳細を説明する。『殺人狂時代』君にも伝えてくれたまえ」
女性秘書が資料を持ってきてくれた。
それをもとに、逆柳が立案した作戦を詰めていく。
慎重に慎重を重ねた、しかしときには大胆な、逆柳らしい作戦だった。
ひと通りの説明が終わると家に帰され、ハルは布団の上で膝を抱えていた『殺人狂時代』にそっくりそのまま逆柳の作戦を話して聞かせる。
「……それでいいの? 本当に妹は、『黄金狂時代』は無事に帰ってこれるの?」
眉根を寄せる子供に、ハルは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「君をエサにするような作戦だけど、勝率は悪くないと思う。今回はあくまで『黄金狂時代』奪還が目的だ、荒事にならないならそれに越したことはないけど……」
「いいさ、駒にされるのは慣れてる。それで妹が帰ってくるなら安いもんだ。僕も戦うよ」
抱えていた膝を伸ばして、『殺人狂時代』は苦笑いした。
「……こわくないの?」
つい尋ねてしまって、愚問だったな、と思い直すハル。
それより先に、『殺人狂時代』が質問に答えた。
「それが僕の運命、存在理由だからね。存在理由を失う方が、死ぬよりもこわい。戦いと、妹……僕には、それしかないんだ」
「そんなことないよ!」
また感情が先走って言葉になる。
「君にはまだ可能性がたくさん残ってる。普通の子供に戻れるんだよ。なりたいと思えるものになれるんだよ。今はまだ地を這う芋虫なのかもしれないけど、大人になれば、好きなだけ空を飛べる。なんだってできる可能性のかたまりが、君なんだ」
ハルはそう言うと、『殺人狂時代』の手を両手で握りしめた。
「だから、自分にはそれしかないとか、そんなかなしいことは言わないでくれよ……!」
「……うん」
これだけ力説しても、『殺人狂時代』のこころには響いていないことがわかる、かわいた返事。今はそれでいい。妹が帰ってきて、普通の子供になったときに、根拠のない万能感を思うさま味わってほしい。
なんてことない日常を、妹といっしょに取り返してほしい。
これは、そういう戦いなのだ。
「……ありがとう、塚本ハル。そんな風に言ってくれるひと、初めてだ」
納得はしていないが、思いは届いたらしい。『殺人狂時代』はさみしげに笑って、
「あんたを頼って本当に良かった。出会えてよかったよ、塚本ハル」
まるで別れのあいさつのようなことを口走るものだから、ハルは無理矢理にその会話を中断することにした。
「……作戦決行は明日の昼間だ。明日に備えてもう寝よう」
「うん」
うなずいた『殺人狂時代』が布団に潜り込むのを確認してから、ハルは部屋の明かりを消した。
「おやすみ、塚本ハル」
「おやすみ、『殺人狂時代』」
このやりとりもすっかり定着してしまった。
しかし、『殺人狂時代』にはいまだに名前がなく、枕元の拳銃が消えることもない。
本当の意味で安心してはいないのだ。
『殺人狂時代』のこころは、まだ戦場をさ迷っている。
『黄金狂時代』が戻ってきたら、今度こそ本当に平和な世界に慣れてくれるだろうか。子供らしく屈託のない顔で笑ってくれるだろうか。
すべては、明日の作戦の成否による。
そういう意味でも、絶対に負けられない戦いなのだ。
もちろん、打倒『影の王国』というのが主目的だが、ふたりの子供の未来もかかっているのだから。
絶対に『黄金狂時代』を救い出す。
そして、かけがえのない日常に戻ってこよう。
布団の中でこぶしを握るハルは、そのまま目が冴えてあまり眠れずに夜を過ごした。
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