№17 恋
『犬の生活』との謁見の翌日。
ハルは先送りにしてきた問題にケリをつけることにした。
影子のことだ。
一応学校には通っていてごく普通に振る舞ってはいるが、明らかにハルを避けている。音楽祭以来、ほとんど口を利かずにぎくしゃくしていた。
お互いがお互いを意識しすぎて、なにも言えないのだ。
しかし、『殺人狂時代』が言っていたように、きちんと向き合わなければならない。それが影子に対しての誠意というものだ。
そういうわけで、ハルは放課後、影子を体育館裏へと呼び出した。
しばらくひとりで待っていると、ふてくされたような顔をした影子が現れる。ある程度の間合いを置いた、まるで対峙のような距離感で足を止め、
「……んだよ?」
言葉少なに言う影子は、目も合わせようとしない。
ハルも目をそらしたままで、
「……お互い、もう覚悟を決めよう」
「は? 覚悟? もう決まってますけど?」
「ウソだ、君は逃げてる」
否定するハルに、ムキになった影子が食ってかかった。
「逃げてる!? このアタシが逃げてるだって!? 言うじゃねえかよ!」
「ほら、そうやって。それが逃げなんだ、もうバレバレなんだよ」
「なにがバレバレなんだよ!?」
「……君が、僕のことを好きだってこと。恋をしてるってこと」
一瞬の逡巡の後告げると、影子はぎょっとしたように目を見開いた。
そのままフリーズしたかと思ったら、大げさにため息をついて肩をすくめ、
「……はっ! うぬぼれんなよ、バカ。アタシがアンタなんかに恋だって? そんなはず……」
「じゃあ、ロッカーの中でのアレは何だったんだよ? 音楽祭で歌った曲だって、君が作ったんだろう?」
あくまで否定を続ける影子に、ハルは少しずついら立ち始めていた。しかし、影子はあくまでしらばっくれるつもりだ。視線を泳がせながら、
「の、ノリだよ、ノリ! その場の勢いってやつで……」
「前にも聞いたけど、君はその場のノリでそういうことができる女の子なの?」
「だから! そうじゃねえって言ってんだろ!」
「じゃあ、僕だから? そういうの、恋してるって言うんじゃないの?」
「は、はあ!? そんなはずねえだろ! 仮にそうだとしても! アンタこそ、まるで他人事みてえに決めつけやがって! どこから目線だ!?」
うろたえる影子から思わぬ反撃があった。今度はハルが狼狽する番だ。
「他人事だとは思ってないよ!」
「いいや! 当事者意識がまるでねえ! アタシがアンタに恋をしようがしまいが自分には関係ねえってツラしてやがる!」
「そんなことないよ! 僕だって、それなりに覚悟を決めて……!」
「じゃあ、アンタはアタシを抱けんのかよ!?」
「は、はあ!?!?」
いきなりアッパーカットを食らったような気分になったハルは、ぶっ飛んだ話についていけず、思わずすっとんきょうな声を上げていた。
たしかに、こっそり影子をアレのオカズにしたことはある。
しかし、実際にそういう関係になるなんて、イチミリたりとも考えていなかった。自分と影子は主従関係であって、決して肉体関係になることはないと思っていた。
それが今、突きつけられた問いかけがコレである。
抱けるか抱けないか以前の問題で、そもそもそういった想像すらできない。ハルにとっての影子の存在は、肉欲の対象にするにはあまりにも大切すぎた。
影子はその勢いのまま突っ走るように、ぎゅっと目をつむってこぶしを握り、
「恋するってそういうことだろ!? アタシと、その、キスしたり、セックスしたり、できんのかよ!?」
「そ、そんなこと急に言われても……!」
「ほーら、他人事だ!」
「違うって言ってるだろ! 恋っていうのはそういうものじゃなくて……だから! 話を聞け!!」
影子の暴走を鎮めようと、ハルは自分まで熱くなっていることに気づかないでいる。
そうして熱いやりとりを交わしていると、唐突に影子が声を荒らげた。
「じゃあ、恋ってなんなんだよ!?!?」
「知らないよ! 僕は初恋もまだしたことないんだから!」
「はっ! 所詮童貞にはわかんねえよなあ!」
「うるさい! 君だって、僕にあんなことして、むらむらしたとか見損なったよ!!」
「るっせえ!! 思いびとがあんな至近距離にいてむらむらしねえやつがいるかってんだ!!」
言い放ってから、しばしの静寂が訪れる。
思いびと。
たしかに影子はそう言った。
当の本人は、『しまった』という顔をして、ハルはきょとんとしている。
思いびと。要するに、影子はハルのことをそんな風に思っているということだ。
思わぬところで言質が取れて、お互い頭が真っ白になってしまった。
沈黙を挟まなければ、頭の回転が追い付かない。
思いびと……
「ああそうだよ!! アタシはたぶん、アンタに恋してんだよ!!」
すっかり開き直った影子が沈黙を破って怒鳴り散らした。燃えるようにうるんだ赤い目をまっすぐにハルに向けて、紙のように白い頬には珍しく朱が差している。ずかずかと歩み寄ってきてゼロ距離になると、まるでケンカを売るかのようにハルの胸倉をつかみ上げた。
「アンタとやらしいことしたいし、アンタをひとり占めしたいし、アンタの特別になりたい!!」
間近で大声を浴びせられて、ハルは目を白黒させて何も言えなくなる。
そんなハルに向けて、切なく震えた声を振り絞る影子。
「……もう、主従関係じゃ満足できなくなっちまったんだ……!」
事実上の告白だった。
声だけではなく、ハルの胸倉をつかんだ手も震えている。
あの影子が、だ。
頬を真っ赤にして涙目になって、吐血のように苦しみながら思いを伝えようとしている。
あの影子が、だ。
ハルに恋をしていると、高らかに宣言している。
あの影子が、だ。
さすがにハルの脳も処理速度が追い付かず、ぽかんとしてしまう。
あの影子が、自分に、恋を……
「話はそれだけだ!!」
胸を突き飛ばされて我に返ると、影子はぎろりとハルを睨みつけ、
「別に答えは聞いてねえから! 言いたかっただけだから! だから、今まで通り普通にしてろ! いいな!?」
そんな風にキレ散らかしながら、影子は乱雑な足取りでその場を後にした。
ひとりになったハルは、何度も脳裏で反芻する。
影子はハルに恋をしている。
影子はハルに恋をしている。
今まで誰かに恋したことも、もちろんされたこともなかったハルにとっては、何もかもが初めてのことづくめだった、
いちいち大げさに戸惑うな、と言う方が無理である。
影子の言う通りだった。
今ひとつ、当事者意識が持てないでいる。
こんな状況、完全に想定外だ。
青天の霹靂とはこのことだった。
真っ青に晴れ渡る秋空から降ってきたいかづちに打たれたかのように、ハルはひたすらぼうっとしてその場に立ち尽くしていた。
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