№16 届かない言葉
『犬の生活』はすがるような視線をハルに向けて、
「なぜ、お友達をかなしませてはいけないのですか? かなしませてしまえば、お友達はいなくなってしまうのですか?」
子供のような問いかけに、ハルはひとつひとつ答えていった。
「簡単ですよ。あなたは友達といっしょにいて、かなしい思いをしたいですか? そんな友達といっしょにいられますか?」
言い聞かせるように疑問符を投げかけると、『犬の生活』はしばらくしゅんとした顔をして黙り込んでから、
「……いえ」
「でしょう? 友達って、対等なんですよ。どっちが上とか、どっちかが負担を強いるとか、そういうことがあれば友情は簡単に崩れる。自分がしてほしいことは、友達がしてほしいこと。それを頭にしっかりと叩き込んでおかなきゃならない」
「……わたくしが、してほしいこと……」
かなしませない、さみしくさせない、寄り添ってほしい。
『犬の生活』はそう言っていた。
「元『街の灯』……ミシェーラ・キッドソンだって対等な僕の友達です。勇気ある決断をして、僕の友達になってくれました」
「ああ……『街の灯』……あなたたちの側へ行ってしまった子ですね、今は『殺人狂時代』も……」
「どうやら僕はそういう縁に恵まれているみたいで、以前は敵対していたはずのひとも最終的には僕の友達になってくれるんです。人望なんててんで持ち合わせてないんですけど、そういうめぐり合わせがあるんでしょうね」
「……元『街の灯』は、どのように暮らしていますか……?」
「ごく普通の女子高生として、青春を満喫してますよ。いっしょに遊んで、いっしょに勉強して、いっしょに笑い合って……楽しくやってます。困ったことがあればお互いなんでも言える関係だと、僕は思ってます」
「……お友達、なのですね……」
「ええ、大切な友達です」
「なんとも、数奇なものですね……」
敵同士だったはずが、いつの間にか友達になっていた。ハルにはそういう特性があるらしい。敵ばかり作る影子とは真逆の性質だ。
影子のことを思い出して気まずくなったハルに、『犬の生活』がため息をついた。
「……どうして、『影の王国』にいると、お友達ができないのでしょうか……?」
「そりゃあそうですよ。全人類を消そうとしているんですからね」
「けれども、人間がいるからこそ、かなしいことが起こるのです」
『犬の生活』は眉根を寄せて苦鳴のような言葉を吐く。
「わたくしは、このおいたわしい世界から人間を排除することによって、そのかなしみから救おうとしているのです」
「それが、あなたが『七人の喜劇王』になった理由?」
「ええ、ええ。その通りです」
ハルの言葉に、『犬の生活』は何かを拝むような仕草でうなずいた。
だが、それは間違っている。
少なくとも、ハルの信念とは違っていた。
「ひとが消えればかなしみも消える? じゃあ、あなたは本当にひとりぼっちになってしまう。あなたのそばであなたのかなしみを慰めてくれる友達まで消してしまおうっていうんだから」
「……それは……」
『犬の生活』が言いよどんだ。
これを好機と見て、ハルは畳みかけるように言葉を継いだ。
「友達ができれば自分がどれだけ矛盾したことをしているかわかりますよ。大丈夫、僕が友達になります。安心して」
『犬の生活』に不足しているのは、客観的な視点だ。その自分本位の考えを捨てない限り、友達などできないだろう。これから先、ずっと孤独にさいなまれて生きていくことになる。
打算抜きで、ハルは『犬の生活』を孤独から解放してやりたいと思い始めていた。誰だって、ひとりはさみしい。弱い人間なら余計にそうだろう。ひとのぬくもりを求めてさ迷いながら、誰とも深くつながれずにいる。そんな『犬の生活』をあわれに感じたのだ。
友達の作り方を知らず、ただひたすら自己矛盾を繰り返す『犬の生活』。救えるものなら救ってやりたい。
ハルが見守る中、沈黙を貫いていた『犬の生活』が再び口を開いた。
「……おいたわしや……」
ひどく切なげな吐息とともに出した答えは、結局それだった。
「やはりわたくし、どうしても信じきれませんの……人間というものを。人間不信のクセにさみしがりだなんて、とんだお笑い種ですわね……」
自嘲の笑みも泣き笑いのように見えた。
「けれど、人間はかなしみを生み出す。それが、揺るがない運命」
きっぱりと告げた『犬の生活』は、もはや完全にハルを拒絶していた。何を言っても無駄なようだ。
「……ごめんなさい、あなたとお友達になれればよかったのに……おいたわしや……」
交渉決裂、か。以前はそのあとに攻撃があったが、今回はない。夜だから、ということもあるが、きっと昼でも『犬の生活』はハルを無傷で帰してくれただろう。
「……わかりました。無理強いはしません。けど、次会うときは戦場だ。分かり合えなくて残念です」
「……おいたわしや……」
ほろほろと流れる涙をハンカチで押さえながら、『犬の生活』はお定まりの言葉をつぶやいた。この言葉も、涙も、すべては自分に向けられたものなのだ。さみしがりの『犬の生活』は、完全にこころを閉ざしてしまった。
またドリンクバーを取りに行くことはなかったな、と思い出しながら、ハルは小銭を置いて席を立った。
「せめて、あなたが安心して眠れる夜が来るように祈ってますよ、悪夢の女王」
「……お気持ちだけで充分ですわ……」
それを最後に、ハルは『犬の生活』に背を向ける。
お互いに言いようのないやりきれなさに襲われながら、ふたりの道は分かれたのだった。
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