№14 声にならない答え

 音楽祭の一件以来、影子がハルの前に姿を現すことはなかった。


 ハルもハルで、なんだかぼうっとして日々を過ごしている。


 あの歌は夢だったんじゃないか?


 そんな風に思う瞬間が何度もあった。


 それくらい、ハルにとっては衝撃的なラブソングだった。


「どうしたの、塚本ハル?」


 ベッドの上でぼうっとしていると、すでに眠る準備をしている『殺人狂時代』に声をかけられた。上の空だったハルははっとする。


 最近では、『殺人狂時代』もすっかり普通の生活に慣れていた。目を閉じてしっかりと眠り、昼には公園へ出かけて近所の子供たちと遊び、夜になれば夕食をたくさん食べて眠りにつく。そんな日常だ。


 ただ、今夜も枕元には拳銃を忍ばせているのだが。


「……ああ、いや、ね……」


 こんな子供にまで心配されるとはヤキが回ったな、と頭をかくハル。


 情けないついでに、つい口にしてしまう。


「君は、恋とかしたことある?」


「こい?」


 初めて聞いた単語のように復唱して首をかしげる『殺人狂時代』は、ひと呼吸置いた後、断言した。


「ないよ。そんな上等なもの、戦場にはなかった。あったのは損得勘定の駆け引きと、むき出しの性欲だけ。恋なんて、僕らにしてみたらとても手が出ない高級品だよ……殺したり殺されたりだった僕らにとっては、さ」


 皮肉げに笑う顔は、やはり普通の少年とは違っていた。


 きっと、影子も同じなのだろう。


 生まれた時から、運命という名の戦場に立ち続けていた。


 しかし、ハルに恋をしたことによって、徐々に普通の女の子になりつつある。


 それが『影』にとっていいことか悪いことかはわからないが、少なくともハルは理解したかった。


 そして、できれば応えたいと思った。


 しかし、応えるといっても、どうやって応えればいいのか?


 そもそも、ハルの気持ちはどうなのだろう?


 今までずっと、影子は『恋なんてなまぬるい』なんて吐き捨てるような女子だと思っていた。それよりも戦わせろ、と言い出しかねないと。


 そんな影子に恋ごころを突きつけられて、ハルの中には戸惑いしかなかった。


 思いがけないところからボディブローを食らったような気分だ。


「塚本ハルは、恋をしてるの?」


 穢れを知らない少年、とは言えないが、相変わらずまっすぐに見つめられて、核心を突かれた。


 どきっとしてしまう。


 そうだ、肝心なのはハルの気持ちなのだ。


 ずっと自分の影の中にいた影子には、しあわせな生活を送ってほしい。そのためにハルができることがあればなにかしてあげたい。


 影子を、どんな形であれ、しあわせにしたい。


 そう思うことは果たして恋なのか?


「……わからないんだ」


 『殺人狂時代』の純粋な問いかけに、ハルはため息とともに吐き出すように言った。


「何かにつけはちゃめちゃなことをするたびに振り回されてるんだけど、気が付いたら僕は笑ってるんだ。ドSで、意地っ張りで、戦闘狂で、口が悪くて、意地悪で、下品で……けど、かわいいところもあってね。好物を前にすると明るい顔をするし、何でもかんでも豪快に解決してくれるし、僕のことを慕ってくれてるし、強いし、芯があって揺らがないし、美人だし、それに……」


 ハルは続けざまにべらべらと影子のことを話した。まったくの蚊帳の外である『殺人狂時代』にとっては他人事だろうが、『殺人狂時代』は黙ってうんうんと聞いてくれた。


 ひと通り影子のことを話し終えたハルに向かって、『殺人狂時代』が決定的な一言を突きつける。


「それってさ、そいつのこと好きだ、ってことだろ。なんで言わないの?」


 きょとんとした『殺人狂時代』の言葉に、胸を射抜かれる。


 そうだ、なにをためらっているのか。


 影子の恋と、向き合わなければならない。


 しかし、自分の気持ちがラブなのかライクなのかわからない以上、今すぐに答えを出すことは難しい。


 影子のことはたしかに好きだ。


 だが、『好き』にもいろいろと種類がある。


 どれが自分の気持ちに一番近いのか、ハルは考えあぐねていた。もし間違った選択をしてしまったら、影子を傷つけることになりかねない。


 慎重に慎重を重ねて、答えを出さなければならない。


 悪いクセで、ハルは石橋を叩いて渡るがごとく及び腰になっていた。


「……そういえば、今日もなにか変わったことはなかった?」


 話題を変えることにする。『殺人狂時代』はうなずき、


「なにも。『影の王国』の影すら見当たらない。それより、音楽祭に現れた『ノラカゲ』……もしかしたら、『犬の生活』が操ってたのかもしれない。いくらなんでも出来すぎたタイミングだ」


 たしかに、その可能性は高い。『犬の生活』の『影』ならば、生まれて間もない『ノラカゲ』を操ることくらいたやすいことだろう。あわよくば幾人か生徒を喰わせて、ハル達に対して脅しをかけようとしたのかもしれない。


 しかし、『ノラカゲ』はASSB……倫城先輩によってあっけなく倒された。対策本部は『犬の生活』に関してはまったくの無力だったが、ただの操られた『ノラカゲ』ならば簡単に掃討できてしまう。


 『殺人狂時代』に何も起こらないことだって、対策本部の目が光っていることが『影の王国』に対する抑止力になっているからだ。


 逆柳は無駄を好まない。常に最適な一手を打ってくる。今も『犬の生活』への対策を講じていることだろうが……


「……たしかに、『ノラカゲ』は簡単に倒せる。けど、『犬の生活』本体を叩かなきゃ意味がない。あいつが本気を出したら、対策本部だって全滅だよ」


 『殺人狂時代』の言う通りだ。今はまだ示威行為の段階だが、いざ本格的な侵攻になれば『犬の生活』には手も足も出ない。なんとかして攻略手段を立てなければならないのだ。


「……大丈夫。君のことはきっと守るから。妹さんも、必ず取り返す」


 目的を間違えてはいけない。『犬の生活』を倒さずとも、『黄金狂時代』を奪還し、双子を守ることもできるのだ。わざわざ対峙する必要はない。


 両肩を握りしめるハルに、『殺人狂時代』は、ふっ、とほころぶような少年らしい笑みを浮かべて言った。


「……ありがとう、塚本ハル。打算抜きでそう言ってもらえるのは、生まれて初めてだ」


 今までどれほど血で汚れた権謀術数の中で生きてきたのだろう。そんな『殺人狂時代』も、やっと子供の顔で笑っている。


 なにもできないと嘆いていたが、たしかに一歩くらいは進んでいるのだ。


 微笑みを返したハルは布団に潜り込んで明かりを消した。


「おやすみ、『殺人狂時代』」


「おやすみ、塚本ハル」


 いつも通りに挨拶を交わして眠りにつく。


 いつか、あの枕元の拳銃がなくなる日が来ればいいのにな。


 そんな風に思いながら、ハルは浅い眠りを漂うのだった。

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