№13 『ニコイチ』

 手痛い敗戦から何日かの時間が過ぎた。


 『殺人狂時代』には、先日の一件は知らせていない。いつも通り近所の子供たちと遊んでいる。


 報告を受けた逆柳は、すぐさまプランを組み立て始めた。『犬の生活』の正体がわかった今、今度こそ悪手は打たないだろう。


 一方で、秋の音楽祭も今日で当日を迎えた。


 ライブハウス風の装飾を施され、薄暗い会場となった教室では、クラスメイト達が思い思いに組んだバンドで演奏をしている。ライトアップされた舞台で、また一組のバンドが拍手とともに演奏を終えた。


「てめえら、覚悟決めたな!」


 影子とミシェーラ、一ノ瀬、そして添え物のハルは、舞台袖で円陣を組んでいる。次がトリの出番だ。


 エレキギターを首から提げた影子は、檄を飛ばすようにちから強い声音で叫ぶ。


「ぜってえ成功させっぞ! ふぁいっおー!!」


『おー!!』


 全員で元気よく唱和して、影子たちはまぶしい照明に照らされた舞台の上にのぼった。


 マイクを手にした影子は、開口一番観客たちを煽る。


『てめえら!! 今日は生きて帰れると思うなよ!?』


 地球上のどこを探してもこんなマイクパフォーマンスはないだろう。あるとしたらデーモン小暮閣下のライブくらいだ。


 しかし見事に煽られてくれたギャラリーは、ステージ上の影子に向けて歓声を上げた。


『よぉし、いい根性だ!! じゃあ早速聞け!! そして死ね!!』


 マイクに向かって怒鳴り散らした影子は、バンドメンバーに向かって目で合図をする。不安げな一ノ瀬がドラムスティックでリズムを取り、影子が作った曲がスタートした。


 しょっぱなから頭にがんがん響くデスメタル。三つ編みを振り回してヘドバンしながら、影子はデスボで喚き散らした。


 そんなファックンロールに、聴衆がドン引きしていくのがわかる。曲の騒がしさも、歌詞の物々しさも、鬼気迫る様子の影子も、なにもかもが悪い意味での想定外だったのだろう。


 時折トライアングルを鳴らしながら、ハルはこっそりとため息をついた。


 やっぱりな、といったところだ。


 やっと一曲目が終わり、完全に引いた観客たちを前にして、ほつれた三つ編みのまま影子が怒鳴る。


『なんだてめえら!? まーだあったまってねえのか! ノリの悪ぃ豚どもだな!! しゃあねえ、次いくぞ、次!!』


 このままではバンドは大失敗だ。しかし影子は止まらない、止まれない。ぎろりと一ノ瀬を睨むと、今度は別の曲が始まり……


「なっ、なんだぁ!?」


「きゃあああああ!!」


「なに!? なんなの!?!?」


 メロディとも呼べないメロディを遮って、ギャラリーたちから悲鳴が上がる。


 見れば、黒い巨大なスライムのようなものが、右往左往する観客たちを飲み込もうとうごめいていた。


 『ノラカゲ』だ。


 あるじを持たず、ひとを喰うことだけを原動力に動いている『影』。


 見たところ、生まれて間もない『ノラカゲ』のようだが、その分食欲は旺盛だろう。動きが鈍く、逃げ惑う生徒たちをなかなか捕まえられないでいるのはさいわいだった。


 しかし、会場をパニックに陥れるには充分すぎた。


 一気に混乱のるつぼになった教室では、出口を求める観客たちがもみくちゃになっていた。出入口は『ノラカゲ』にふさがれており、閉じ込められた生徒たちが食われるのも時間の問題と思われる。


 さすがに演奏をやめた影子たちは、とっさに臨戦態勢に移った。


「ダメだ!」


「はぁ!?」


 それを止めるハルの言葉に、影子がいらだちをあらわにした声を上げる。


「君が戦ったら正体が『影』だってバレるだろ!」


「じゃあ、ワタシが……!」


「ミシェーラの『影爆弾』は周りにも被害が及ぶ! こんな狭い場所で発動させちゃ、みんなを巻き込んじゃうよ!」


「じゃあ、どうすりゃ……!」


 どうしようもない。ただ、この混乱をなんとかしなければならなかった。


「わ、私、避難誘導します!」


 止める間もなく一ノ瀬が壇上から降りて、観客たちになにか呼びかけた。しかし、その声はパニックになった観衆には届かない。


 なにか、手はないか……!?


 焦ってうまく考えが回らないハルの目の前で、一ノ瀬の背に『ノラカゲ』が迫った。


「危ない!!」


 叫ぶが、その声も届かなかった。


 振り返った一ノ瀬を前にして、『ノラカゲ』の黒いからだがぶわっと広がり……


 そのからだに、一発の光る弾丸が撃ち込まれた。


 ASSBの対『ノラカゲ』兵器、『曳光弾』だ。


「!?!?」


 慌てて薄暗い会場を見渡したハルの目に、拳銃を持った手が映った。


 その手の主は、ASSBの高校生エージェント、倫城一誠だ。


「せんぱ……」


 言いかけたハルに、しい、とくちびるに人差し指を当てて見せる先輩。


 さわやかに笑うその口元が、『ひとつ貸しな』と動くのが見えた。


 あざやかに『ノラカゲ』を仕留めた倫城先輩は、投げキスをひとつ残し、そのまま観衆の中に溶け込んでしまう。


 助かった……!


 ハルは涙目で膝から崩れ落ちた。ひとつ貸し、というのもなんだかイヤな予感しかしなかったが、当座の危機はしのげた。


 ……いや、まだだ。


 『ノラカゲ』が消えた後も教室のパニックは続いていた。集団ヒステリーを起こした生徒たちが、わけもわからず暴れている。このままではけが人が出るかもしれない。


 なんとかしてこの混乱を収めなければ……!


 いくらハルが『もう大丈夫だ』と叫んでも、観衆は騒ぎをやめなかった。薄暗がりが余計な効果をもたらしているのだろう、ロクに視界もきかない中、ただ混乱だけが伝染していく。


 そんな中、影子がハルに呼びかけた。


「おい! アコギあるか!?」


「あ、あるけど、なんで!?」


「いいから!!」


なにか考えがあるのだろうか? 慌てて舞台袖からアコースティックギターを持ってくると、影子はそれをぶん取って、マイクに向かって叫んだ。


『てめえら!! 聞けええええええええ!!』


 ひぃん!と声がハウリングする。もちろん、そんな呼びかけに観衆は耳を貸さない。


 構わず、影子はアコギを首から提げて演奏を始める。


 いつもは闘争に燃えている赤い瞳は、あたたかな生命の光の赤に変わっている。やさしくも悲しげなメロディが奏でられ、しばらくして影子が歌い出す。


『アンタは光 アタシは影

 交わることないふたつのいのち

 けど神様が手配ミスったおかげで

 出会っちまったふたつのいのち』


 まるで絹のような耳触りの透き通った歌声だった。さっきまであれほどがなり立てていた声と同じ喉から発声されているとは思えない、そんなやさしく切ない歌声。


『なんてことない日々の中で

アタシはアンタに恋をした

恋だ愛だの上等品

アタシにゃトコトン身に余る

実らないことが決まってた恋』


 目を伏せてしっとりと歌う影子の声に、次第に混乱していた観客たちが耳を傾け始めた。それくらい、魅力的な歌声だった。


 アコギを鳴らしながらマイクに息を吹きかけるようにささめき歌う影子。


『だからアタシはアンタに言うんだ

不敵な笑みでイエスマイロード

ファックな口上織り交ぜて

恋するこころに泥を塗り

隠し繕い騙し騙し』


 曲がサビに差し掛かろうとしたころ、ハルはようやく気付いた。


 これは、ラブソングだ。


 影子の思いを込めた、恋の歌だ。


 ひたすらにやさしく、そしてからだが引きちぎれそうなほど切ない歌声に、ハルはこの歌が向けられた先に自分がいるのだと、否応なしにわかってしまう。


 ああ、塚本影子は塚本ハルに恋をしているのだ。 


 でなければ、こんな曲は書けないし、歌えない。


 このラブソングには、影子の思いのたけがありったけ込められている。


 恋の歌は、ハルのこころをじりじりと焦がしていった。


『ああ神様

アタシはてめえをぶん殴りたい

出会っちまったふたつのいのち

出会わなければと何度思ったか

実ることない思いを抱いて

恋の徒花咲かせましょ

風のない真昼 ふと空を見上げれば

でっけえ太陽が見下ろしてる

こんなアタシを嘲笑うかのように

こんなアタシを嘲笑うかのように』


 サビを歌う影子の熱唱に、生徒たちはパニックも忘れて、すっかりとりこになってしまった。静まり返った教室の中に、アコギと影子の歌が響き渡る。


 悲痛な叫びのようなサビを歌いきると、影子は一拍置いて最初のメロディを静かにつま弾いた。


『アンタは光 アタシは影

交わることない

けどずっとそばにいる

ニコイチのいのち』


 『ニコイチ』。ああ、たしかにそうだ。ハルと影子はふたりでひとりだ。その片割れであるハルに、影子は叶わぬ恋をしている。


 曲が終わり、拍手が巻き起こる。混乱はすっかり去ってしまっていた。


 そんな恋の歌を聞かされて、ハルのこころはすっかり熱を帯びていた。切なくて、焼き切れそうなこころが叫んでいる。


 はやく、はやく、影子の本当の声を聞きたい、と。


 ステージ上で乱暴に頭を下げた影子は、そのままずかずかと舞台袖に戻ってくる。アコギを放り出し、うつむいたまま表情もうかがえない。


「……影子、」


 ハルがなにか言おうとしたが、それより先に影子はハルの影に沈みこんで消えてしまった。一切の会話を拒絶するかのように。


 こうなってしまってはどうしようもない。


 舞台袖の壁に背中をこすりつけ、ずるりとその場に尻もちをつくハル。両手で覆った顔は、すっかり真っ赤になっていた。


 ……いつからだ?


 いつから影子は、ハルにそんな思いを抱いていた?


 思い返せば、それらしい言動はいくつもあった。


 そのすべてを、ハルは華麗にスルーしてきたのだ。


 あのときのアレだって……


「……ああもう……!……バカか、僕は……!」


 自分の鈍さに嫌気がさす。影子の気持ちに気づかずに、ただいたずらに振り回していたのは自分の方だったのだ。


 ただの傍若無人なお下劣ドSだと思っていたのに……


 あんな身を焦がすような恋をしていたのか。この自分に対して。


 ばくばくと高鳴る心臓を押さえて、ハルはしばらくの間その場から動けずにうずくまっていた。


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