№11 『犬の生活』

 ある日のこと。


 ハルは逆柳からの呼び出しを受けて、ASSB本部へと赴いた。


 いったい何の用事だろう、といぶかしげに思いながら会議室のドアをくぐると、そこには珍しく思案顔の逆柳が待っていた。


「よく来てくれた、塚本ハル君」


「いえ、僕もなにか進展が欲しかったところなので……」


「ならば朗報だ。手放しに『朗報』と断言できるものではないがね」


「……なにがあったんですか?」


 パイプ椅子に座りながらハルが問いかけると、いつも逆柳のそばに控えている女性秘書が一通の封書を持って歩み寄ってきた。


 封書を受け取り、目で確認してから開くと、達筆な文字で書かれた手紙が現れた。


 いわく。


 『拝啓、『影の王国』対策本部長様。わたくしは、『七人の喜劇王』の一角、『犬の生活』でございます。ご挨拶は省略させていただきます。一度『殺人狂時代』の処遇について、塚本ハルさんにお会いしたく存じます。警備はしていただいてもかまいません。すべて無駄になりますので。ああ、おいたわしや。それでは、明日の16時、地図の場所でお待ちしております。敬具』


 ……唐突すぎる展開に、ハルの目は丸くなった。


「……これは?」


「……今朝、私宛に届いた封書だよ」


 『七人の喜劇王』の新たな一席、『犬の生活』。本物だとしたら、『影の王国』対策本部長である逆柳にこんな手紙を寄越してくるとは、大胆不敵すぎる。


 名指しされた本人である逆柳はあごの下で手を組みながら眉間にしわを寄せていた。


「正直、本物か偽物か、愉快犯か、陽動か、はたまた狂気なのか、私としても見当がつかない。しかし、いずれにせよこういったものが届いた以上、『影の王国』対策本部としては動かざるを得ないのだよ」


 逆柳が悩むのもわかる。今事情を知ったハルも戸惑いを隠せないのだから。


 対策本部はこの件に関して動くようだが、すべては呼び出しを受けたハル次第だった。


「ついては、指定の日時にその場所まで出向いてほしい。警備は万全にしよう。万全とは言えないが、身の安全は保障する。これは『影の王国』対策本部に対する宣戦布告だ。ここで臆して黙り込むことはできないのだよ」


 逆柳はあくまでも理詰めだった。


 それは納得のできることだったので、ハルは首肯して、


「わかりました、行ってみます」


「よろしく頼む」


 うなずく逆柳に封書を返すと、話はそれで終わりらしい。


 封書にはGoogleマップの地図がついていた。明日の16時にその場所までひとりで来いということらしいが……


 


 というわけで、学校に手を回して公休扱いにしてもらったハルが出向いた先は、ごく普通のファミレスだった。老若男女でにぎわう明るい店内、ドリンクバーにやる気のないいらっしゃいませ。


 きょろきょろと辺りを見回していると、一風変わった人物を見つけた。


 かんざしで長い銀髪を結いあげた、豪奢な喪服の女性である。白い肌の妙齢の女性は、巨大な旅行用キャリーカートに大きな袋をいくつも持っていた。黒いモーニングヴェールに覆われた面立ちは美しく、切れ長の目を細めながら一杯数十円の紅茶にジャムを入れたものを飲んでいる。


 おそらくは、あれが『犬の生活』だろう。まさか外国人女性とは思わなかったが。


「……あの、」


 ハルは念のため確認しておくことにした。


「『犬の生活』さん?」


 おそるおそる女性の顔を覗き込むと、ようやく視線がこちらに向く。


 そのまなじりから、ほろりと涙がこぼれた。


 ぎょっとしたハルの両手を握りしめ、『犬の生活』ははらはらと泣きながらヴァイオリンのような声で言った。


「ああ、塚本ハルさん、ごきげんよう、おいたわしや……」


 いきなり泣かれて戸惑ったが、とりあえずこの人物が『犬の生活』で間違いないらしい。それだけ確認すると、ハルは向かいの席に腰を下ろした。相変わらず『犬の生活』は目元を真っ白なハンカチで押さえている。


「……ああ、こんなことってあるのでしょうか……おいたわしや、おいたわしや……」


 泣いている『犬の生活』を一瞥もせず、やる気のない店員が注文を取りに来た。ドリンクバーだけ頼むと、ハルはなんとか『犬の生活』を泣き止ませようと話のとっかかりを探る。


「……すごい荷物ですね」


 まず目に入ったのはそれだった。これから海外旅行に一か月行く、と言われても納得の、大量の荷物だ。何が入っているのかはわからなかったが、普通に持ち歩く量ではない。


 ハルの思惑通り『犬の生活』はようやく泣き止み、涙の残滓をハンカチで拭って答えた。


「ええ。わたくし、ここに住んでおりますもので」


「……住んでる?」


 意味が分からなかった。ここはファミレスで、ホテルではないはずだ。たしかに24時間営業はしているが、住居としては適さない。それを、『住んでいる』……?


 不思議そうな顔をするハルに、『犬の生活』は沈鬱な面持ちで告げた。


「わたくし、ひとりではどうしてもさみしくて、さみしくて、ひとがいるところでしか生きていけないのです。おいたわしや……」


 またしても泣き出した『犬の生活』を見て、ハルは自分の中のシグナルが点滅するのを感じていた。


 ……なんだ、こいつ……?


 異様なオーラを発しながら泣き続ける『犬の生活』は、とてもじゃないが常識の範疇では測れない存在だった。


 まずは、常識を捨てることから始めよう。ハルはそう決めた。


 ぴたりと泣き止んだ『犬の生活』は、目を伏せて紅茶を飲み、


「さて、お話をいたしましょう」


 まったく読めないペースで核心に切り込んだ。


「『殺人狂時代』はどうしていますかしら?」


 ふらふらとしていると思ったら、急に間合いを詰めてくる。そんな剣戟を連想しながらも、ハルは相手のペースに吞まれないようにと自分に言い聞かせた。


「元気にしてますよ。あなたたちから離れてほっとしてるみたいだ」


「……そうですか……」


 その返答で満足したのか、『犬の生活』はこくりとうなずき、それっきり紅茶を飲みながら黙ってしまった。


 これは、あの『モダンタイムス』以上に読めない相手だ。厄介だと言わざるを得ない。


 ハルは今度は自分から切り込んでみることにした。


「……『黄金狂時代』は、『殺人狂時代』の妹は、無事なんでしょうね?」


 まさかひどい目に遭わせていないだろうな?と言わんばかりの口調でハルが問いかけると、『犬の生活』はカップをソーサーに置いて答えた。


「ええ、ええ。もちろん。おいたわしや……」


 どっちなんだよ!?とツッコミたい気持ちを抑えて、ハルは一呼吸はさんだ。


「元気にしていますか?」


「それは、もう。虎視眈々と脱出の機会をうかがっているようでございます。『モダンタイムス』はそう簡単に篭絡できる相手ではございませんが……おいたわしや……」


「ああ、もう泣かないでください!」


 また目頭を押さえる『犬の生活』を慌てて止めるハル。ぐ、と息をのんだ『犬の生活』は、涙をこらえて次の言葉を口にした。


「……どうか、あの子を返してはもらえませんか? わたくしたちにはあの子が必要なのです」


 微妙にハルとは目を合わせずに、おどおどとした口調で頼み込む。


 しかし、ハルにはそんな泣き落としは通用しなかった。


「……人質を取ってでも、ですか?」


 冷たい声で問いかけるハルに、『犬の生活』の目にみるみる涙がたまっていく。


「ああ、そんな風に思われているのですね……おいたわしや……」


「他にどんなとらえ方をすればいいんですか? 『黄金狂時代』は『モダンタイムス』に監禁されてる。『殺人狂時代』をおびき出すエサとして。『殺人狂時代』が妹を愛してやまないことを知っているからこそ、そうしているんでしょう?」


 追い詰めるように畳みかけるが、『犬の生活』はハンカチで目元を押さえながら涙交じりの声で反論した。


「いいえ、わたくしたちはあの子たちを『保護』していたのです」


「……保護、だって?」


 つい棘のある返し方をしてしまったが、『犬の生活』はその棘には全く動じなかった。いったいどこに地雷があるのか、いまひとつわからない。


「ええ、『保護』です。あなた方がASSBに保護されているように。本来、『影使い』の性質としてはわたくしたちの世界の方が居心地がいいはずですもの」


 『影使い』の性質。自分とは真逆の『イデア』を操る存在。平和を望めば望むほど、その『影』は鋭く牙をむく。普通に暮らそうと思えば思うほど、『影』はその日常を破壊する。


 ならば、望みを叶えるためには、人間を排除した『影』だけの王国が必要なのではないか。


 モノクロームの非日常が。


「……あなただって、そう思うでしょう?」


 初めて目を覗き込まれ、ハルは内心を見透かされたような気がしてどきりとした。その目はすぐに逸らされてしまうが、青い瞳の色はずっと網膜に焼き付いていた。


 その残像を振り払うようにぎゅっと目をつむり、ハルは目を開けて『犬の生活』に宣言する。


「いいや、あの子は返しませんよ。他ならぬ本人が戻りたがってないんだから、返すわけにはいかない」


「……交渉決裂、ですか?」


「そうなりますね」


「ああ、おいたわしや……」


 『犬の生活』のまっ白なかんばせを、透明な涙が伝った。うつむいたまま、はらはらと泣いている。


 どうやら、これで話は終わりのようだ。『犬の生活』は黙り込んだまま、一向に顔を上げようとしない。これ以上は何を言っても無駄だ。


 結局ドリンクバーに行くこともなく、ハルは席から立ち上がろうとした。


 が、そのとき。

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