№9 滑稽芝居

 翌日、影子は渋々影から出てきた。出てこないという選択肢もあったが、なんだか逃げているようでカッコ悪いと思ったのだ。せめて後始末だけはしようと。


 ふたり並んで登校の道を歩く。


 ……気まずい沈黙が流れていた。ふたりともぎくしゃくとした動きで歩いており、いつもより微妙に距離が開いている。


 しかし、いつまでも黙ったままではいられない。


 先に口火を切ったのはハルの方だった。


「……あの、さ……昨日のアレって……」


 目をそらしながらつぶやくと、影子は、ふん、とそっぽを向いて、


「勘違いすんなよ。ただむらむらしただけだ、そんだけ」


 突き放すような口調でそう言った。


「……誰でもよかったの……?」


「…………そうだよ?」


 逡巡の間があって、影子はついそう答えてしまった。


 その言葉に、ハルはあからさまにがっかりした顔をする。


 しまった、と思ったが、もう遅かった。


「君がそういう女の子だとは思ってなかった」


 ため息とともに落胆を示すハルに、なんとか挽回しようと影子はあたふたする。が、ハルの声は途切れなかった。


「いつもは下品だけど、こころは純潔だって思ってた。なのに、あんな……これからは、ちょっと見方を改めるよ」


「ま、待て待て待て待て!!」


 影子がしどろもどろになってストップをかける。ハルはちらりと影子を一瞥し、その釈明の続きを待った。


「違うくて!! そういう意味じゃなくて!!」


「じゃあ、どういう意味?」


 問い返すハルに、影子は頭を沸騰させながら必死になって言葉を探す。


「誰でもいいとか、むらむらしたとか、そういうんじゃなくて……ああもう!! 悟れよ!! いや、悟るなよ!?」


「何を言ってるのか、わけがわからないよ」


 ハルはあくまで影子と距離を置こうとしている。このままではマズい。しかし、都合のいい言い訳も思いを告げる勇気も、影子の中にはなかった。


「僕だから、ああいうことができたってこと?」


「……う……」


 言葉に詰まる。はいともいいえとも答えられなかった。ハルとの間に距離ができてしまうのはイヤだ。かといって、恋ごころを伝える決心もつかない。


 ひるんだような表情の影子に、ハルは追い打ちをかけた。


「……それって、もしかして……」


「か、勘違いすんなっつってんだろ!!」


 ハルの言葉を遮る声がひっくり返る。どこか、どこかに適当な言い訳はないのか!?


 赤い顔でぐるぐると考え込んだ挙句、影子はどうにかして落としどころを探った。


「……アンタは気ごころが知れてるから、むらむらをぶつけただけであって……そういうんじゃなくて……だから……!」


「『影』でもむらむらするの?」


「するよ!!」


 すっかりテンパった影子は、自分がとんでもないことを口走っていることに気づきもしない。ただ真っ赤な顔をしてわめき散らしているばかりだ。


「ああああああああ!! くっそ!!」


 三つ編み頭を搔きむしって、影子は大声を上げた。


「もうこの話は終わり!!」


「待ってよ、まだ話は……」


「ハルー! カゲコー! オハヨー!」


「おはようございます、影子様♡」


 引き留めようとしたハルのもとへ、タイミング悪くミシェーラと一ノ瀬が駆け寄ってくる。


 しかし、影子はこれさいわいとふたりに駆け寄り、すべてをうやむやにしてしまった。


 なんともすっきりしない展開に、ハルはなにかいらだちのようなものを覚える。


「なんだ塚本、冴えない顔して」


 いつも通り足音もなく声をかける倫城先輩に、ハルは不機嫌そうに答えた。


「……なんでもないです」


「ふぅん?」


 面白がるような表情の先輩に、ハルはいつも通りの話題を振って話をした。影子は影子でいつも通り一ノ瀬をいじめ、ミシェーラと笑っている。


 しかし、その日の『いつも通り』は明らかに昨日までのそれとは違っていた。


 取り繕っているのが見え見えの、滑稽な芝居のような空々しさ。


 そんな空気を感じながら、ふたりはあくまでいつも通りに振る舞おうと生徒たちの波に溶け込んでいった。


 


 教室でも、学食でも、影子はいつも通りの言動をしようと努めた。


 しかし、いつもよりも大げさな仕草はうそ寒さを含んでいて、それを自覚してより空虚な振る舞いをしてしまうという悪循環に陥った。


 影子はハルの方を見られず、ハルも影子に視線を向けることはなかった。


 昨日の出来事のせいで、ふたりの仲はぎくしゃくしていた。


 それを悟ったのか、ミシェーラにも心配そうに『なにかあったの?』と聞かれたが、ハルは否定するばかりだった。


 下品な冗談もいつも通りとはいかない。一ノ瀬さえ、普段とは違う何かを感じ取ったのか、腫れ物に触るような視線を向けた。


 放課後になって、影子は早々にハルを含むバンドメンバーを家に帰し、ひとりで練習をしていた。


 エレキギターをかき鳴らし、声の限りに叫んでいる間は気がまぎれたように思えたが、何か違う。


 ギターをほったらかしにしてぼうっとしていると、頭の中にはいつしかまったく別の譜面が出来上がっていた。


 メロディと歌詞を紙に書き出してみる。


 ……それは、立派なラブソングだった。


「……なにやってんだ、アタシは……!」


 ぐしゃり、その紙を握りつぶしてゴミ箱に捨てる。


 が、ラブソングは次々と浮かび上がってきた。


 アウトプットしないと爆発してしまうような気がして、影子は延々恋の歌を書き出してはぐしゃぐしゃに丸めて捨てた。


 やがて夕方になり、練習よりも作曲の方ばかりに気が行ってしまった影子は、己の情けなさをかみしめながらハルの影へと戻っていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る