№7 輝かしい日常

「クソガキは順調に飼い慣らしてるみたいだな」


 学食できつねうどんを食べながら放たれた影子の一言に、ハルはつい天丼を吹き出しそうになってしまった。


「言い方!!」


 口元をぬぐいながら急いで指摘すると、影子は、にひひ、と笑ってごまかした。


 ちなみに一ノ瀬は自主便所飯中である。


「ふはっ、いいじゃん、なついてんだろ。おにいちゃーん、って」


「えっ、なにそれオニショタ!?」


 大盛りカレーを食べていたミシェーラが、スプーンを止めて即座に反応する。ぐっと身を乗り出して、


「詳しく聞かせて! お風呂はいっしょに入ってるの!? 寝るのはいっしょの布団!?」


「……ミシェーラ……食いつきすぎ……」


「……オーウ……ごめんネ……」


 若干引いたようなハルの視線にさらされて、ミシェーラはすごすごと身を引いた。男と男がいっしょにいるだけで、なにがここまでミシェーラを興奮させるのか、ハルにはいまひとつピンとこない。


 改めて天丼を頬張りながら、ハルは二人に報告した。


「まあ、仲良くはしてるよ。いっしょに暮してもう一週間は経つけど、だんだん慣れてきてるとは思う。最近じゃ、近所の子供たちとも遊んでるし」


 ただ、あの枕の下の拳銃だけはなくならなかった。どれだけ普通の子供の顔をしていても、『殺人狂時代』のたましいはまだ戦場にあるのだ。それだけ戦場の記憶は『殺人狂時代』の中に深く根を張っていた。


「ASSBは?」


 ミシェーラの問いかけに、ハルはうなずいて返した。


「24時間ずっと、こっそり護衛をつけてくれてるみたい。いつ『影の王国』が『殺人狂時代』を奪還しに来るかわからないからね」


「ふぅん。あのオッサンも、相変わらずなに考えてんだか」


 きつねうどんのおあげをうまそうにかじりながら、影子がつぶやいた。


「逆柳さんもいろいろ動いてくれてる。今のところはなにも起こってないよ……今のところは、ね」


 そう、これは嵐の前の静けさなのだ。いつなにが起こってもおかしくない、ハルも『殺人狂時代』も、そんな危うい立場にいることはわかっている。


 だったらせめて、この安穏を思いっきり楽しみたい。今のうちに、できることはしてあげたいのだ。


 そう思わせるだけの色濃い影が、『殺人狂時代』には常に付きまとっていた。


 思いをはせながら天丼を食べ終えたころに、ちょうど倫城先輩が通りかかる。


「……塚本、話は『閣下』から聞いてる」


 こそっと耳打ちされるのは、愛のささやきではない。ASSBの高校生エージェントである倫城先輩も、『殺人狂時代』の事情は知らされているらしい。


「俺にもなんかできることあったら言ってくれ……っつっても、野球くらいしかできねえけど」


 ははっとさわやかに笑う先輩に、早速影子が突っかかってきた。


「てめえはすっこんでろ、犬っころ」


「相変わらず厳しいな、塚本影子。俺もなにかしたいんだよ」


「はっ、せいぜい『閣下』に仕込まれた芸でも披露するんだな」


「今度ワタシもいっしょに遊んでいい?」


「もちろんだよ。ミシェーラが元『街の灯』だって聞いたら驚くだろうし、安心もすると思う」


「安心?」


 ハルの言葉に、ミシェーラが首を傾げる。


「うん、元『七人の喜劇王』でも、こうして平穏無事な世界に戻ってこられるんだって」


「あ、そゆことネ! だったら、ワタシがんばるヨ!」


 ハルの意図を理解したミシェーラは、笑顔でサムズアップして大盛りカレーをかっこんだ。


 『殺人狂時代』にとって、ミシェーラ……元『街の灯』の存在は大きく響くだろう。かつて『七人の喜劇王』の一角であったミシェーラがこうやって普通に暮らしている姿を見れば、きっと『殺人狂時代』も安心する。


 平和な世界に受け入れてもらえる、そういう希望を抱くはずだ。


「アタシにも出張らせろ」


 きつねうどんを平らげた影子が横から言ってきたので、ハルはきっぱりと言った。


「君はダメ、どうやったって刺激するだろ」


「ちぇっ、わぁったよ」


 己の特性を理解している影子は、不満げにしながらもハルの言葉に従う。以前なら言うことを聞かなかっただろうが、今はそれだけの信頼関係が出来上がっているのだ。


「俺はいいよな?」


 倫城先輩のたくましい腕がハルの肩に回される。耳に息を吹きかけるように、


「……将来、ふたりの子供が出来たときのシミュレーションにもなるし」


「どこから産めっていうんですか!?!?」


 そんなささやきに、ハルはつい大声でツッコんでしまった。


「ははっ、冗談だよ」


「どこからどこまでが本気なんですか、先輩は……!」


「大丈夫、ちゃんと養子を取るから」


「そこ!?!?」


 そろそろツッコミが追い付かなくなってきたころ、追い打ちをかけるようにミシェーラが反応する。


「疑似家族!?」


 けもののように目をぎらつかせてその話題に乗るミシェーラに、さらに影子が乗っかった。


「んだよ、アタシだけ蚊帳の外かよ! つまんねーの!」


「塚本はどんな子がいい? 俺はいっしょに野球できるワンパクな子がいいな」


「ハルはママなの!? ねえ、育児するの!? ふたりで!?!?」


「こうなったら得意の調教でアタシが……!」


「ああああああああああああもう!!」


 混乱を極めた現場の中心に立っていたハルは、思わず頭を抱えて大声を上げてしまった。学食中からひそひそとないしょ話が聞こえてくる。


 恥ずかしい思いをしながら、一刻も早くこの場を立ち去ろうと、ハルは天丼の器を持って席を立ってしまった。


 追いかけられないようにと速足で歩き、器を返したハルは、いつの間にか自分の口元がゆるんでいることに気づく。


 そうだ、この非日常的日常が、なにより尊いのだ。


 この騒がしい平穏を守るためなら、なんだってしよう。


 みんながいて、その中に自分もいる。


 そんな日々が輝かしくないというなら、いったいなにが輝かしいのだろうか。


 それくらい、ハルにとって今の生活は大切だった。


「……まったく、もう」


 ひとり微笑みながらため息をつき、つぶやく。


 これから乗り越えなければならない山はいくつもあるだろう。


 しかし、その先に平穏が待っていると言うのならば、乗り越える気力もわいてくる。


 よし、と気持ちを切り替えて、ハルは教室へと戻っていった。

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