№6 少年時代

 『殺人狂時代』が来てから初めての休日。


 昼まで惰眠をむさぼっていたハルが目を覚ますと、『殺人狂時代』はすでに起きており、膝を抱えながら窓の外をじっと見ていた。


 そういえば、この子供の油断した顔というものを見たことがない。


 ハルの家に来てからすでに数日経っているというのに、まだ完全にはこころを許してくれないようだ。


「おはよう、塚本ハル」


「おはよう、『殺人狂時代』」


 あいさつを交わすと、『殺人狂時代』は首をかしげて言った。


「学校には行かないの?」


「今日は休みだよ」


 あくびをしながら答えると、ほう、という声が返ってくる。


 部屋着に着替えている間、ふとハルはいいことを思いついた。


「そうだ、今日は休みだし、ちょっと近くの公園まで出てみようか」


 着替え終わって提案すると、『殺人狂時代』は少し渋い顔をする。


「……潜伏先から動くのはちょっと……」


「大丈夫だよ、ここは戦場じゃない。ASSBも常時警備してくれてるし、羽を伸ばすくらいなんてことないよ。それに、周囲の環境を下見しておくことも大切なんじゃないかな?」


 ものは言いようだ。再度提案すると、しばらくうなっていた『殺人狂時代』がようやく首を縦に振った。


「わかった。退路の確保のためにも、周辺環境を確認しにいく」


 ずっと引きこもっていたら思考のドツボにはまってしまう。少しは子供らしく遊べばいいのだ。


「そうこなくちゃ。さあ、早速出かけよう」


 ハルの子供のころの服を着た『殺人狂時代』の手を取ると、ハルは自室のドアを開けた。


 


 まず寄ったのは、小さいころによく通っていた駄菓子屋だった。


「……なんだここ? 阿片窟?」


「いやいやいや……違うよ。子供向けの安いお菓子やオモチャを売ってる店」


 久しぶりに来たなあ、と見まわす店内は、小さい頃よりも狭く感じられた。それはハルが大きくなったからだろう。薄暗い店内の隅には埃がうっすらと積り、裸電球でぼんやりと照らされたガラス箱の中にはいかにもチープそうな駄菓子が並んでいた。昔と少しも変わらない。


 懐かしさをかみしめていると、奥からのそりと老婆が出てきた。どこか妖怪じみた、かっぽう着姿の小さなお年寄りだ。


「なっ、なんだ!? モンスター!?」


 突然の奇怪な老婆の出現にビビり散らした『殺人狂時代』は、慌ててハルの陰に隠れて警戒心をむき出しにした。


「お久しぶり、おばあちゃん」


 くすくす笑いながらハルが言うと、老婆はもごもごと口元を動かして、


「……ああ、塚本さんとこの……よう来たねえ……また小さいの連れて……」


 どこかぼんやりとした声音でつぶやく老婆を見て、それからハルを見て、『殺人狂時代』は交互に視線をやる。


「駄菓子屋のおばあちゃんだよ。おばあちゃんも全然変わってないなあ」


「……要するに、店主か……?」


「そういうこと」


 ハルの返答にようやく警戒を解いた『殺人狂時代』は、今度は店内の駄菓子に注意を向けた。


「……なんだこれ?」


「そのケースから欲しいものを欲しいだけ取って、おばあちゃんにお金を払うんだよ。オモチャもあるよ。好きなの選んで」


「……好きなの、って言われても……」


「そっか、駄菓子屋のこと全然知らないもんね。じゃあ、興味のあるもの。面白そうなもの。なんでもいいよ、今日は豪遊しよう」


「……じゃあ……」


 おそるおそる、といった手つきでガラスケースから駄菓子を取り出す『殺人狂時代』。ナイフや拳銃を扱うよりも緊張した顔をしている。いくつかの駄菓子とオモチャを選んで、ハルも昔よく買っていた駄菓子とシャボン玉セットを手にして、老婆に小銭を渡した。


「……ありがとうね……またおいで……」


「はい、またね、おばあちゃん」


 見送る老婆に手を振って、ハルと『殺人狂時代』は駄菓子屋を後にした。


 次に向かったのはいつもの公園である。


 ブランコに座ったふたりは、早速駄菓子を開いて食べ始めた。


「……これは……」


「どう? 日本の駄菓子は」


「……どこかで食べたことがあるような気がする……」


 棒カステラをもそもそと頬張りながら、『殺人狂時代』の褐色の頬が少し緩んだ。どうやらお気に召したらしい。


 きいこきいことブランコをゆるく漕ぎながら、そんな『殺人狂時代』の様子を微笑ましく見守る。


「……これはなんだ?」


「ヨーグルだよ。僕にもひとつちょうだい」


 小さな牛乳瓶のような容器を手渡すと、『殺人狂時代』はヘラで中のクリーム状のものをすくって、こわごわと口に入れた。


「……おいしい……」


 ぱちぱちとまばたきをして、驚いたような表情の『殺人狂時代』に、ハルはふふっと笑って見せた。


「僕も昔好きだったなあ」


 言いながら口に運んだヨーグルは、少し大人になった自分にとってはあまりおいしいものには感じられなかった。どうやら、これが成長というものらしい。


 無心にヨーグルを食べる『殺人狂時代』の隣で、ハルはカルメ焼きを食べていた。


「……これはなんだろう……うーん、なんだろうな……」


 カラフルな棒ゼリーを吸って首を傾げたり、


「……この味、どこかで食べたような……」


 いかくんをかみしめながらうなったり、『殺人狂時代』の表情はくるくると変わった。それが子供らしくて、ハルの口元も自然にゆるむ。


 あらかた駄菓子を食べ終えたふたりは、シャボン玉を作って遊び始める。


 最初はうまくできなかったが、ハルの説明を受けて、『殺人狂時代』はいくつものシャボン玉を作り出しては上空で割れてしまうまで楽しそうにしていた。


 そのかたわら、ブラインドのカードパッケージを開封して、不思議そうにする『殺人狂時代』。


「『オベリスクの巨神兵』……? なんだ、このカード?」


「ああ、それ遊戯王カードだよ。子供たちの間で流行ってるの。一部大きなオトモダチにも」


 ハルがそう解説すると、『殺人狂時代』はカードを表にしたり裏にしたり、説明書きを読んだり、顕微鏡を覗く科学者のように眉間にしわを寄せる。


「そのカード、中古だと三千円くらいするよ。いいの引いたね」


「……こんな紙切れにさんぜんえん……日本人の考えることは、やっぱりよくわからない」


 目を見張ってカードを注視する『殺人狂時代』に、ふとそばから声がかかった。


「あ、それ遊戯王カードじゃん!」


「『オベリスク』だ!」


「すげー!」


 それを皮切りに、近くで遊んでいた子供たちがわらわらと集まってくる。戸惑いながら助けを乞うようなまなざしをハルに投げかける『殺人狂時代』だったが、ハルはあえて見えていないフリをした。


 そうしている間にも、子供たちは『殺人狂時代』を囲む。


「交換しようぜ!」


「デュエルも!」


「……あ、あの……僕、全然知らなくて……」


「ええ!? 遊戯王カード知らねえの!?」


「マジかよ!」


「じゃあ教えてやるからこっち来いよ!」


「おれのデッキ貸してやる!」


「ほら、こっちこっち!」


 がきんちょたちに連行されていく『殺人狂時代』のSOSを最後まで無視して、ハルは遠巻きに遊戯王カードで遊び出した子供たちを見守った。


 最初は子供たちのテンポに巻き込まれておろおろしていた『殺人狂時代』だったが、次第にその輪に溶け込むと、カードゲームに勝ったり負けたりしながら歓声を上げるようになった。


 こうして見ると、まるっきり普通の子供だ。


 まだ、子供らしく笑えるくらいの救いはあるらしい。


 やっぱり外に連れ出してよかった、と思うハルだった。


 やがて夕暮れが訪れ、子供たちは三々五々自分の家に帰っていく。


 『殺人狂時代』もたくさんもらった遊戯王カードを抱えながらほくほくとハルのもとへ戻ってきて、


「カードたくさんもらったから、今度またでゅえるする……!」


 頬を赤らめながら笑った。


「よかったね」


「うん!」


「じゃあ、僕らもそろそろ帰ろうか」


 『殺人狂時代』の手を引いて、家路をたどる。


 遠くでは豆腐屋の笛が鳴っており、家々からは夕餉の準備をしているにおいが漂ってきた。


 こうしてだんだんと平和な世界に慣れていってほしい。


 普通の子供になればいい。


 もうこわいことやかなしいことは起こらないと、そう教えてあげたかった。


 ふいに『殺人狂時代』の頭を撫でてみたが、ナイフを突きつけられることもなく、笑顔を返してくれた。


 それだけで、今日の収穫は充分だ。


「今日の晩御飯なんだろうね?」


 そんな他愛ないことをしゃべりながら、ふたりは手をつないで家に帰っていった。

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