№25 散り際の影桜

 はっとして顔を上げれば、いつの間にかそこら中にいたASSBの防護服を着た男たちが銃を乱射している。確実にからだを削り取られた龍の『影』は一旦身を引いた。


「おやおや、ずいぶんと満身創痍じゃないかね」


 背後から声がして、振り返るとそこには逆柳がいた。いつも通りの神経質そうなオールバック。スーツ姿の若い女性を付き従えて、逆柳は眼鏡をくいっと上げた。


「どうして……?」


「愚問だね。通報があったからに決まっている。これだけの大騒ぎ、聞き漏らすようなASSBではないよ」


 そう言っている内にも、『猟犬部隊』たちの銃弾は『影』を削っていった。総力戦、といったところか。物量ならこちらに分がある。


「左遷前のひと暴れ、存分に鬱憤を晴らさせてもらおうではないか」


 初めて、逆柳の目に獣じみた光が宿った。


 しかし所詮は人間のちから、龍のからだは4分の一ほどにはなったが、まだ殲滅には程遠い。大きな尻尾で隊員たちを蹴散らし、牙で食い散らかし、龍の『影』はいまだに健在だった。


 次第に『猟犬部隊』も追い詰められていく。


「……あー、見てらんねえ」


 油の切れた人形のような動きで、影子がハルの肩から離れていった。


 なにかするつもりだ。


 イヤな予感がする。


「……影子?」


「ここまできちゃあ……やるっきゃねえな……」


 そう言うと同時に、影子の足元の影が大きく広がる。


 黒い沼地のようなそこから現れたのは、ありとあらゆる刃物だった。


 包丁、ハサミ、カッター、ナイフ、ドス、キリ……


 山のように現れた刃物を、影子は投げナイフの要領で次々龍の『影』に投げた。どれだけ鋭いのだろう、刃は龍の鱗を深々とつき通って、噴水のような血しぶきを上げた。


 まるで剣山のようになった龍の『影』は痛みにもだえ、苦し紛れに尾を振り回す。


 ……だが、聞いたことがある。


 『影』の具現化できる『影』には総量があり、それを超えて主人のもとに戻らなかった場合、『影』は消滅してしまうと。


「もういい影子! 早く僕の影に戻れ!」


「はっ、冗談! メインディッシュは残ってるだろ……!」


 傷まみれのからだを引きずり、チェインソウを拾った影子は回転数を最高にまで上げた。耳をつんざくようなエンジンのいななきがこだまする。


「ハル!」


 今にも飛び出さんとする影子が振り返った。


 そこには、いつか見た、普通の女の子みたいなあどけない笑顔があった。


「――ありがとな!」


 そう言い残すと、影子は刃物の群と共に一直線に龍の『影』へと駆け出して行く。


「おおおおおおおおお!!」


 雄叫びを上げ、刃物を投げながら一気に跳躍。


 龍の『影』の頭の上まで到達すると、ちからいっぱいチェインソウを振り下ろした。


 が、『影』は寸前、牙でチェインソウを受け止め、ちからが拮抗する。


「ナメんな! 勝つのは……生き残んのは、アタシだ!!」


 影子が力を込めると、その牙はガラスのように砕け散り、そのまま『影』の頭部は真っ二つになる。重力に従うまま胴体までを切り裂き、ふたつに分かれた龍の『影』は、ずうん!と地面に倒れ伏した。辺り一面が黒い血の海に変わる。


 この勝負の勝敗に、誰も口を挟まなかった。


 影子の、勝ちだ。


 しかし、彼女はダメージを負いすぎている。


「影子! 影に戻れ!」


 切羽詰った声で呼びかけるが、彼女は振り返りもしない。


 ぼろぼろになった黒いセーラー服の背中が小さくつぶやく。


「……ざーんねん、もう遅い」


 見れば、セーラー服のみならず、彼女の全身が風に吹かれる塵のようにさらさらと崩れ始めていた。黒い花吹雪のように消えゆく影子を、ただ茫然と見送ることしかできない。風に揺れるスカートがどこまでも儚かった。


「あーあ、楽しかった。めちゃめちゃ楽しかった……」


「消えるな……消えるな、影子!」


「そんな顔すんなって……アタシは眠いんだ、ぎゃあぎゃあ喚くな」


「影子!」


「んじゃま、おやすみ……」


 さあ、と風が吹いたと思うと、影子の形は跡形もなく崩れ去ってしまった。はらり、影子の残滓である黒い花びらが自分の影に触れる。


 後には静寂だけが残った。


「……あ……あ……ああああああああ!!」


 ハルの慟哭が夕暮れ時の廃墟に響いた。膝を突いたハルは何度も何度も拳で地面を叩きつける。涙も出ない。


「なんで! なんでだよ!! いっしょにいるって言ったじゃないか!!」


 誰も、なにも言わなかった。


「影子、なんで……!」


 その問いかけに答える者もいない。


 世界に夜が訪れようとしていた。


 『影』たちが眠る時間だ。


 しかし、影子は違う。永遠の眠りに就いてしまったのだから。


 夕暮れに伸びる影からはなにも現れはしない。


 ハルはしばらく、咆哮しながら地面を殴りつけていた。

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