№26 おかえり、影子

 それから一週間。


 ハルは完全に腑抜けになってしまっていた。


 ただ学校と家を往復する毎日で、休み時間はひとりで机に突っ伏して寝たふりをしている。学食にも行かなかった。きつねうどんなんか嫌いだ。


 ぼんやりと過ごす毎日。最初の内は一ノ瀬もなんやかんやで絡んできたが、なにかを察したのだろう、ここ最近はなにも言ってこない。


 ASSBは龍の『影』を殲滅したと大々的に報道した。世間はASSBを英雄視し、どうやら逆柳も左遷は免れたようだ。『君のおかげだよ』という上から目線の電話があった。


 ……どさくさに紛れて逃走したマスターの喫茶店にも、一度だけ行ってみた。


 初めからなにもなかったかのようにもぬけの殻になっていた。コーヒーの豆一粒残っていない。代わりに、置手紙がしてあった。


『塚本ハルくん、これを読んでいるということは、僕は敗北したのだろうね。君はよく成長した。もう教えることは何もない。君が察した通り、僕たちは組織だ。『影の王国』を作るために組織された、秘密結社ってところかな。『影の王国』の建国のためには君たち『影使い』は邪魔な存在だ。これから先、また今回と同じようなことが起こるだろう。僕が言うのも難だけど、どうか、君の知恵と勇気で乗り切ってほしい。師匠からの最後の願いだよ』


 まったくもって他人事だ。言い知れない憤慨に襲われて、空っぽの喫茶店の床に丸めた手紙を投げつけた。


 一応その手紙を逆柳に託し、あとはもう自分だって他人事だ。


 そして、影子は集合的無意識で知っていたのだろう。マスターが龍の『影』の主人で、『影の王国』がなにを意味するのか。それを知っていながら、黙っていた。影子なりの気遣いで、喫茶店にも現れようとしなかった。それはまったくもって見当違いの気遣いだったが、彼女なりにハルを思ってのことだったのだろう。責める気はない。


 ……いつもの昼休み、昼食もとらずに机に突っ伏していると、ふいにクラスメイトに呼び止められた。


「あ、塚本。倫城先輩が体育倉庫裏に来てくれって」


 倫城先輩。数々のあやしい行動についてはまだよくわかっていない。問い詰めるチャンスかもしれない、と席を立って体育倉庫裏まで向かう。


 昼の陽ざしが燦々と注ぎ、くっきりと影が浮かび上がっている。体育倉庫裏は果し合いや逢引スポットだ。もしかして、先輩も『影の王国』の協力者で、これから自分はボコられるのかもしれない。だが、それでも真相が知れるなら構わない。


「おう、塚本。来てくれてありがとな」


 相変わらず爽やかに笑う先輩。しかし、油断してはいけない。


 こくり、と目礼すると、一定の距離を保って対峙する。


「おいおい、そんなに警戒すんなよ。別に取って食おうとは思ってねえから」


 肩を組まれて、せっかく保っていた距離がゼロになった。居心地の悪さでもぞもぞする。


「今日はお前に伝えたいことがあってな」


「伝えたいこと?」


 何だろう、『影の王国』のことだろうか? 身構えていると、先輩は大きく息を吸い込んだ。そして、野球部の掛け声もかくやと言わんばかりの大声を吐く。


「……好きだ!!」


「…………は?」


 なにが好きなんだろう、と思った。


 そして、次第にこれが告白というものだと気付き始める。


「お前が仮入部してきたときから、ずっと見てた。最初はただのかわいい後輩だったんだけど、だんだん違うって分かり始めて……」


「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!?」


 詰め寄る先輩に壁際まで追い詰められて、ハルは狼狽した声を上げた。


「先輩は、男ですよね? そして、僕も男ですよね?」


「そうだけど? 最近じゃそういうの、世の中でも認められてるって聞いたけど?」


「いやいやいやいや、世の中が認めても僕はまったくのノンケなんで!」


 首を横に振っていると、どん、と近くの壁に手を突かれた。これが世間の女の子たちが憧れる壁ドンというやつか、やっぱりイケメンがやると迫力が違うな、と顔色を赤くしたり青くしたり。


「大丈夫だ、その内慣れる……」


 先輩のくちびるが、徐々に近づいてくる。


 キスされるのだ、と小動物のようにフルフル震えていると、ふと視界の端になにかが写った。艶消しブラックのスマホのカメラレンズだ。さっきからぱしゃぱしゃ撮っている。そして、その持ち主は――


「はーい、こっちのことは気にしねえでいいからなー。ほら、行け! そこだ! ぶちゅっと行っとけ!」


「影子……!?」


 まるでパパラッチのようにぱしゃぱしゃとカメラで逢瀬を激写している黒いセーラー服姿。にやにや、意地悪な笑みを浮かべながら、実に楽しそうだ。


 思わず先輩のからだを押しやって、カメラを操る影子に詰め寄った。


「どういうことだ!? 消えたんじゃ……」


「なーんだ、もう終わり? ツマンネ」


 カメラを納めた影子は、大げさに肩をすくめて答える。


「消えそうになったとき、カケラがアンタの影に戻っただろ。そこからこつこつこつこつ再構築して、本日お目見えー、ってワケ。んー、チカレタ!」


 そういえば、最後の瞬間黒い花びらが自分の影に落ちていった……気がする。


 そこからここまで復活したということか。


 バカ!とか、なんで今まで黙ってたんだ!とか、そういう言葉がよぎったが、にぃ、とした影子の笑みを受けて何も言えなくなった。


「アタシがいなくなって、さみしかったかぁ? んん?」


「べべっべべ、べつに!?」


「またまたぁ。強がっちゃってー♡ 毎晩枕を濡らして眠ってたんだろ? んん?」


「ああもう……感動の再会が台無しだよ……大体、登場のときから台無しだったけど」


 倫城先輩には悪いことしたなあ、とそちらに視線を向けると、先輩は腹を抱えて爆笑していた。


「先輩……?」


「あははははは! たしかに、『閣下』の言った通りだ!」


 『閣下』――逆柳がたしかそう呼ばれていた。


 すると、先輩は『影の王国』ではなく、ASSBの関係者……?


 先輩はハルに迫っていたときとは違ってきらりと歯をきらめかせながら笑い、


「今まで黙ってて悪ぃ。実は俺、ASSBの特別エージェントでな。塚本のこと、色々探らせてもらってた。例の作戦にも参加してたんだぜ?」


 知らなかった?と何事もなかったかのようにうそぶく先輩。


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。


「あ、でも、『好きだ』っつったのは、実はホント。んー、俺も告っちゃったなー」


 更に口ががくーんと開いた。ASSBの特別エージェントで、ゲイ……色んな意味で身の危険を感じる。道理で完璧超人のくせに浮いたウワサを聞いたことがないわけだ。


 あまりの真実のひどさに愕然としていると、影子に脛を蹴られた。足を抱えてごろんごろんと辺りを転がる。


「いっでええええ!! なにすんだよ!?」


「このアタシの帰還だってのに、なに桃色空気醸し出してんだよ。アンタ、その内この先輩に食われちまうぜ?」


 けけけ、と妖怪のように笑って影子が不吉な予言をする。


「やめてくれよ! 僕はそんなの……」


「アタシがいるしな♡」


「あ、う……」


「アンタが『死ぬな』って言ったから、最期の最後で生き残ったんだぜ?」


 立てた誓いを、影子は守り抜いたということだ。それを誇らしげにもせず、当たり前のように言って、影子はばしん!とハルの背中を叩いた。


「ったく、アンタはアタシがいなきゃなんもできねえからな!」


 あはは、と笑って影子が言う。


 そりゃそうだ、君は僕の『影』なんだから。


 ふたり揃わなきゃ、始まらない。


「お、やっべ、昼休みあとちょっとじゃん! 学食まだ開いてる? きっつねうどーん♪」


「はいはい……」


 駆け出す影子の後を追って、苦笑いで走り出す。


 目尻に少しだけ涙がにじんでいたのはないしょだ。


 


 


 ――そして今日も、非日常的な日常が始まる。


 光と影が交錯する、奇妙な日常が。

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