№11 主と従

 逆柳が挙げた片手をゆっくりと下ろした。銃声、火薬のにおい。一瞬見えた銃弾はまばゆく輝き、光の尾を引いて影子へと殺到する。


 四方八方から銃撃された影子は、踊るようにからだを震わせながらその身に光る銃弾を受けた。その場に膝を突くと、そこらじゅうにあいた穴から足元に真っ黒な血だまりができる。しかし死んではいない。急所は外れたようだ。


「ちっきしょ……こないだので体力ロスしてなきゃこんなハナクソ攻撃……!」


 悔しげにつぶやき、息を荒くする影子。先日の龍の『影』との交戦で、体力はまだ回復していないのだろう。普段の影子なら、こんな攻撃は簡単にいなしてしまうはずだ。


「――『影』のコアは心臓の部分にある」


 片手をあげた逆柳の一言で、再び銃口が影子に向けられた。今度は狙いあやまたず、左胸に向けて。


「終わりだ、『影』よ。消えてなくなれ」


 このままでは影子が殺されてしまう。


 影子はずっとずっと、自分の影に潜んでいた。そしてやっと出てこられたばかりなのだ。蝉にだって七日間は外の世界を謳歌する権利がある。


 にやりと意地悪く笑う影子。


 きつねうどんに目を輝かせる影子。


 学園祭に向けて奮闘する影子。


 そして、自分を守るために戦う影子。


 平穏な日常に降ってわいた非日常。自分の生活はめちゃくちゃになったが、それでも――


 影子との生活は、楽しかった。


 そして、潔く、美しく生きる影子の姿を、心底うらやんだ。


 その炎のようないのちの輝きが、今、消されようとしている。


 ……自分にできることは、ひとつしかない。


 逆柳が手を振り下ろし、スーツ男たちの引き金が引かれる瞬間、ハルは動いた。


 影子のもとにダッシュして、その心臓をかばうように覆いかぶさる。痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じ、きつく影子を抱きしめて。


 ――痛みは恐れていたほどではなかった。


 ただ、背中を鞭でひっぱたかれたかのようにめちゃくちゃ痛かった。


「いっでええええ!!」


 思わず悲鳴を上げる。だが、悲鳴を上げられるということは死んではいないということだ。銃弾をからだに浴びながら、まったくダメージがない。


 涙目で足元を見下ろすと、今まさに光を失おうとしている小さな玉のようなものが散らばっていた。


「……あれ?」


「『曳光弾』は、『影』にだけ効果を発揮する。人間にとってはただのゴム弾なのだよ」


 想定外、といった風情で逆柳が解説する。ただのゴム弾、ということは、殺傷能力のない武器でタコ殴りにされただけ、ということか。


「しかし、驚いた。まさか『影』をかばうとは。自分がどれだけの愚行を犯したか、君はわかっているのかね? 『影』は人類共通の大敵なのだよ?」


「あ、ああ、当たり前だ! か、影子の主人は、僕、で、それで……だから! 守るのは当然のことだろう!――影子は、僕のものだ!!」


 人類共通の大敵? 知ったことか。


 影子は自分を主人と認めてくれた。それにふさわしい態度でいなければ、影子に申し訳が立たないじゃないか。


 軽く目を見開く逆柳に啖呵を切って、それでも尾を引く恐怖にハルの声は震えていた。


「…………」


「『閣下』、そろそろひとが集まります」


 沈黙する逆柳に、隣に控える女が耳打ちする。いつしか上空をホバリングしていたヘリは飛び去り、辺りに影が戻ってきた。逆柳がインカムに向かって指示をすると、スーツ男たちはいっせいに銃を懐にしまい、ばらばらに散開する。


「……興味深い」


 ぽつり、能面顔のままつぶやいて、逆柳が背を向ける。それに付き従う若い女。


「君たちは実に興味深い。しかし、『影』は『影』だ。今日は日が悪かった。後日、改めて殲滅させていただくので、どうか逃げないでいてほしい」


「『閣下』」


「では、失礼する。消え去るまでの数日を、せいぜい楽しんでくれたまえ」


 そう言い残して、逆柳は空き地を去っていった。次第にざわめきが近づいてくる。ひとが集まってくる、と言っていた。ヘリが飛び、銃声が聞こえ、あれだけの騒ぎがあればこんな辺鄙な場所でもひとは寄ってくるだろう。


「いつまで押し倒してんだ、このムッツリスケベ……!」


 がつん!と顎に影子の肘が飛んでくる。そういえば、銃弾を浴びて倒れこんだままで、これでは影子を押し倒しているようにしか見えない。


 くらくらする頭を支えながら影子の上からどくと、


「せっかく助けてやったのに、その言い分はないだろ!?」


「るっせバーカ! バーーーーーーーカ!! マジでバカ!」


「バカバカ言うな!」


「だって、バカじゃん!? あんなもん、人間には害のない銃弾だって知らなかったんだろうが! アタシの代わりに死ぬつもりだったのかよ!?」


「そうだよ!」


 勢いで言ってしまうと、影子は頭を金づちで殴られたかのようなぽかんとした顔を見せた。構わず続ける。


「死んだって構わなかったさ! 影子は僕を主人と認めたんだろ!? 自分のものを守るのにいのち張ってなにが悪い!?」


 ゴム弾で撃たれた背中がじんじんと痛かった。涙目で喚き散らすように吐き出すと、荒い息を整えるために深呼吸をする。


 その間、影子は何も言わなかった。棒を呑んだような顔で赤い目をぱちぱちさせている。


 ……それからしばらくして、ふっ、と影子が笑った。


 それはやがて大爆笑に変わる。


「あっはっははははははははははははは!! やっぱアンタおもしれえわ! あーもう、マジでバカ。天然記念物級のバカ。超特大ホームラン級のバカ」


 腹を抱えてバカだバカだと笑う影子に釣られて、こっちも苦笑いのようなものがこぼれた。


 しかし、脛に強烈なキックを入れられて、その苦笑いも消え去る。脛を押さえて地面を転がりながら、


「なにすんだよ!?」


「バカだっつってんだよ。アタシみてえなロクデナシの『影』一匹にいのち張って、なにやってんだよ……アンタが死んだらなんにもなんねえじゃねえか」


 先ほどの爆笑から一転、影子はバツが悪そうな顔をしてつぶやいた。よろめきながらなんとか立ち上がり、目を見開いてその表情を見つめる。


「主人を失ったら、『影』はどこへ行けばいいってんだよ? 野良になるのはイヤだ……アンタの隣が、いいんだ」


「影子……」


「バカでもヘタレでもドMでもムッツリスケベでも女々しくても陰キャでも、アタシにはアンタしかいねえんだよ、大バカ。それを、軽々しくいのち張ってんじゃねえ。アンタは剣でも盾でもねえ。アタシが、アンタの剣であり、盾なんだ」


 そう言うと、影子はその場に片膝を突いた。まるで忠誠を誓う騎士のようにハルの手を取ると、額に当てて目を閉じる。


「アタシは、アンタのもんだ。アンタの敵は残らずアタシがぶっ潰してやる。アンタの不安は残らずアタシが蹴っ飛ばしてやる。アンタのピンチは残らずアタシが叩き壊してやる。だから、アンタはなにも心配しなくていい。自分のことだけ考えてろ。アタシなんかのためにいのち無駄にすんじゃねえ……アタシは、アンタのもんだ」


 それは、影子なりの誓いの言葉に聞こえた。己の主人に立てる、忠誠の誓い。一滴一滴、砂漠に水がしみ込むようにその言葉はハルの耳に吸い込まれていった。


 ひんやりとした額の温度を手で感じながら、答える。


「……うん、君は僕のものだ。だから、誰にも渡さない。たとえ相手が『ノラカゲ』だろうと、ASSBだろうと――絶対に、誰にも渡さない」


「……バカにゃ、なに言っても無駄だな」


 へっ、と笑って立ち上がる影子。その表情はいつもの意地の悪いにやにや顔でもなく、闘争に明け暮れる真っ赤な笑みでもなく、年相応のあどけない笑顔だった。


「けどま、それでこそアタシの主人ってもんだ」


 呆気に取られたようにその表情に見入る。今まで見たどの表情も充分に魅力的だったが、これはとっておきだった。一瞬、影子がただの普通の女の子に見えた。


 しかし、それも一瞬。次の瞬間には胃の辺りに強烈なボディブローを叩き込まれる。腹を抱えてうずくまっていると、がし、といつものように頭を鷲掴みにされた。


「オラ、見せもんじゃねえぞ! それより、もうすぐひとが集まる。とっととズラかるぜ」


「……はい……」


 これじゃあ、どっちが主人かわかったもんじゃないな……


 こころの中でぼやきながら、ハルと影子は足早に空き地を後にした。

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