№10 ASSBの脅威
夜までぎりぎり時間がある放課後、作業班を残して影子とハルは帰っていった。一ノ瀬もいっしょに帰りたそうにしていたが、影子に命令されると一ノ瀬はひとりで作業に戻っていった。完全に犬だ。
「あー……チカレタ。青春すんのも大変だな」
「君の特殊な青春と一般の青春を同列に語らないでもらえます?」
帰り道、のんびりとした様子でぼやく影子に、至極真っ当なツッコミを入れるハル。
影子はにひひ、と笑った。
「ま、疲れっけど楽しいな! やっぱシャバはいいわー」
十数年の間、ずっと自分の影に潜んでいた影子にとっては、この数日の学校生活はそれはもう楽しいに決まっている。
考えてみたら、ずっと影の中に閉じこもっている気分はどんなものだっただろう?
……あまり楽しい想像はできない。
そう思うと、もっと影子に外の世界を満喫してほしいような気がしてきた。
「よし、影子。今日は遊んで帰ろう。ゲーセンとクレープ屋ハシゴだ!」
「え、なになに、オゴリ?」
「あ、当たり前だ!」
実は今月のお小遣いはこころもとないのだが、きらっきらした瞳でこっちを見てくる影子の手前、見栄を張るしかない。
それからふたりは手始めにゲーセンに行った。レーシングゲームでは影子はガソリンスタンドにばかり突っ込み、シューティングでは二丁拳銃でがんがんゾンビを倒していった。メダルゲームでつかの間のギャンブラー気分を楽しんで、最後にちゅーぷり撮ろうぜ♡と強引にプリクラ機に連れていかれそうになったが全力を振り絞って阻止した。
ゲーセンを出たあとはクレープだ。女子の間でおいしいと評判の屋台で好きなもの頼めよと言うと、影子は躊躇なく全部盛りを頼んだ。おかげで財布の中身はすっからかんだ。それでも、うまいうまいとクレープを頬張る影子の笑顔を見ると、それも必要投資かなと思ってしまう。
クレープを食べながら歩くふたりだったが、ふとその進行方向に何者かが立ちはだかった。
ぶつかる寸前立ち止まるふたり。目の前に立っているのは、神経質そうな眼鏡にスーツのやせ気味の中年男だった。白髪交じりのオールバックの髪にはほつれひとつない。傍らには、ショートカットの同じくスーツ姿の若い女が立っていた。しかし若い女らしい溌剌とした感じはまったくなく、まるでアンドロイドのように無表情に控えている。
「塚本ハル君と、塚本影子さん、かね?」
返事をするより先に気付く。周りを、インカムを付けたスーツの男たちに取り囲まれている。人ごみに溶け込むようにあくまで自然に。
敵意も、殺意も向けられていない。ただ、逃すまいとする意志だけを感じる、訓練された猟犬たちのような動き。
輪の真ん中に立ってハルたちと相対する格好になっているオールバックの中年男が、どうやらボスらしい。中年男は神経質そうに眼鏡をくいっと上げて、
「失礼、名乗るのが遅れた。私はこういうものだ」
差し出されたのは、場違いにも一枚の名刺だった。
そこにはこう書かれている。
『対『ノラカゲ』支局 一級捜査官 逆柳律人』、と。
「ASSB……!?」
名刺を受け取って思わず悲鳴じみた声を上げてしまう。
マズい、影子は『ノラカゲ』ではないにしろ『影』で、ASSBとなんて水と油みたいなものだ。ASSBと聞いて影子の視線が鋭く、くちびるの笑みが深くなる。
「へーえ、一級捜査官たぁお偉いさんだ。そのASSBの猟犬どもが何の用だ?」
「ここでは話しづらいだろう、場所を変えよう」
「……イヤだ、っつったら?」
反抗的な態度の影子を見て、逆柳がスーツ男のひとりに目配せをする。ハルの背中に、ごり、となにか金属が当たる感触がした。見たことはないが、このシーンでは拳銃で間違いないだろう。
「君の大切な主人に穴があいてしまうが、それでも良いなら君ひとり残りたまえ」
「……ちっ」
舌打ちをして、視線で従うことを了承する影子。取り囲むスーツ姿の男たちが、波のように移動する。その波に飲まれて、ふたりもいっしょに動くことになった。
男たちはゆっくりと歩き、その内駅裏の再開発が進んでいる区画に入っていく。フェンスに囲まれた広い空き地に出ると、かけられた錠を外し、中へ。草が覆い茂る空き地のまわりには人影もなく、遠くで救急車のサイレンの音が聞こえるばかりだった。
「――さて」
くるり、と男が振り返る。同時に、スーツの男たちの輪が広がった。囲まれているのは自分と影子、中年男と付き従う若い女だけだ。
「我々ASSBのことはご存知……と言うほど世間一般には認知されていないが、ある程度の知識は持ち合わせていると思っておいて良いかね?」
「はい、あの、一応は……『ノラカゲ』を殲滅する組織、とだけ」
『ノラカゲ』という部分を強調して答える。影子は野良ではない。『ノラカゲ』とは違うのだと暗に訴えた。そもそも、影子が『影』であることはバレているのだろうか。
考えを先読みされたらしく、またしても眼鏡を上げる逆柳は能面のような顔で告げた。
「塚本影子……いや、君の『影』が昨日少々暴れたことも報告されている。『影』同士の争い……前例がなくてね、我々も対応に難儀しているのだよ。果たして、どちらが敵なのか、味方なのか、あるいはどちらとも殲滅対象なのか」
「か、影子は違います! あの龍の『影』と戦ったのは事実ですけど、別に僕を食べようとしたりはしないし……!」
「違わない」
ひたり、蛇のような視線がハルを捕らえる。思わず背中にどっと冷汗が伝った。逆柳は淡々と続ける。
「……と、上層部は判断した。『影』は『影』でしかない、と。ひとを食おうが食うまいが、『ノラカゲ』と戦おうが戦うまいが、人間そっくりに擬態していようが、本質は『実存』を喰らう悪しきイデアでしかない、と。『影』の存在は人間社会にとって害悪でしかない。あってはならない、イレギュラーな存在なのだよ」
「そ、そんな……!」
なおも抗議しようとしたハルを遮って、逆柳が片手を上げる。傍らの女がインカムに向かって何やら指示を送った。同時に、まわりのスーツ男たちが訓練された動きで懐から拳銃を取り出す。銃口はすべて、影子に向けられていた。
「はっ! 笑わせてくれるぜ。都合の悪いもんは全部害悪ってか? ずいぶん乱暴なんだなぁ、ASSBってのは」
「乱暴にならざるをえないのだよ。『ノラカゲ』という存在自体が『暴力』なのだからね」
「『暴力』、『暴力』ねえ……たしかにそうかもな。これをそれから見せてやる」
影子が足元の影からチェインソウを引きずり出そうとした、そのときだった。
「そうはさせない」
ばらばらばらばら、と上空から轟音が迫ってくる。見上げれば、暮れなずむ空に一機のヘリが接近してきていた。腹になにか円盤状の大きな装置を抱えている。
轟音が最大限になるとともに、ヘリがすぐ頭上までやってきた。装置が起動し、まばゆい光が直上から降り注ぐ。
「影が……!」
丸い機械から放たれた光で、影は残らず消えてしまった。残らず、だ。ほんのわずかな影さえ残っていない、完全なる光明。
「『無影灯』、というものを知っているかね?」
悠然と、逆柳が語り掛ける。
「手術室などで使われる、影を作り出さない光源のことだよ。『影』は影から出現する……その影がなくなれば、どうなるかね?」
「ちっ、徒手空拳かよ……!」
影子が舌打ちする。これで主力武器であるチェインソウは使えなくなった。珍しく焦ったような顔をしている。
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