№12『影の王国』

 翌日。ハルはいつも通りに喫茶店に寄ってマスターに昨日のASSBの顛末を話した。


「ASSBが動いたか……物騒になってきたね」


「『無影灯』に『曳光弾』……どれもこれも、『影』を殺す装備ですよ。とっさに動かなかったら危なかった……」


「君はときどき、とても無茶をするからね」


 カップを磨きながら、マスターが苦笑する。


「その無茶が君をいつか殺してしまわないことを祈るよ」


「怖いこと言わないでください……それにしても、ASSBがあんなのなんて。『影』をいっしょくたにして殲滅しようだなんて、あんまりだ」


「それがお役所仕事ってやつさ。ASSBも政府直属の組織だからね」


「それにしたって!」


「影子ちゃんが無害な『影』であることを知っているのは君だけだ。連中からしてみれば恐るべき『影』でしかない。仕方がないとはこのことだね」


 マスターの言い分に、何も言い返せなかった。ただコーヒーを飲んで、押し黙る。


「けど、装備や人員が知れた今、打てる手は出てきたんじゃないかな?」


「それって、影子に逆襲しろって意味ですか?」


「はは、そうじゃないよ。打てる手はいくらでもある。頭のいい君ならわかるだろう?」


 自分は決して頭のいい類ではないのだが、マスターに言われると照れくさくなる。


 打てる手、か……考えてみるのもいいかもしれない。


「それに、影子ちゃんは君に忠誠を誓ったんだろう。君は主人として彼女を守らなければならない」


「黙って守られるタマじゃないと思うんですけどね……」


「それでも、君は身を挺して彼女を守った。それは賞賛すべき勇気だと思うよ」


「……影子が消えることに、黙ってられなかっただけです」


「そう、それこそが主人のこころもちだよ。君は『影』の主人たるにふさわしい」


 褒められすぎて、逆に居心地が悪くなってきた。コーヒーを飲み干すと、お代を置いていってきますと店を出る。背後から、いってらっしゃいとマスターの声が聞こえた。


 そして、いつも通りに店を出た途端出てきた影子に頭をひっつかまれ、いつも通りに登校した。


 いつも通りに奴隷と化した一ノ瀬にまとわりつかれる影子を眺めながらいつも通りに授業をこなし、昼休みに入る。黒板には、学園祭まであと6日!と書かれていた。


「きっつねうどーん♪ きっつねうどーん♪」


「君はほんとにきつねうどんが好きだな……」


「ただのきつねうどんじゃねえよ! 学食の! ジャンクな! きつねうどんが好きなんだよ!」


 いつも以上にテンション高くうきうきと学食の列に並びながら、影子は無駄にちからを入れた主張をする。どうやら体力はそこそこ回復したようで、今朝は6割ほどだと言っていた。


 きつねうどんに浮かれはしゃぐ影子に、こっそりため息をつく。昨日一瞬だけ見せたあどけない笑顔は幻だったのだろうか。今日も傍若無人だ。


 影子はきつねうどんを、自分はかつ丼を受け取って、空いている席を探す。ちょうどテレビの前の席が空いていたので、ふたり並んでそこに腰を下ろす。


「いっただっきまーす!」


 手を合わせてうどんをすすり始める影子。うめえうめえとすごい勢いで食べ進めるのを眺めつつ、自分もかつ丼に手を付ける。


 半分ほど食べ進んだところで、ニュースの音声が耳に入ってきた。


『――近ごろ目撃談の多い龍の『影』ですが、ASSBの調査は進んでいるんですか!?』


 どうやら、前に言っていたASSBの会見らしい。当然ながら、現場担当の捜査官である逆柳の姿はなく、ただ広報担当のお偉いさんたちがフラッシュを浴びながら並んで座っている。


『我々といたしましても、その件に関しましては目下捜査中です』


『もう13人も食い殺されているんですよ!? 対応が遅すぎるんじゃありませんか!?』


『ですから、我々も捜査を継続してですね』


『これだけ犠牲者が出てまったく情報が手に入らないなんておかしいんじゃないですか!?』


 龍の『影』――先日、影子が重傷を負わされた例の敵だ。


 やはり、あちこちで食い荒らしているらしい。マスターの勘は当たっていたのだ。


 そこで画面が急にスタジオに戻る。かしこまった様子のキャスターが慌ただしくスタッフと原稿のやり取りをしてから、カメラに向き直った。


『たった今、速報が入りました。龍の『影』のあるじであると名乗る人物から、声明文が届いたとのことです』


 思わず、かつ丼を食べる手を止めてテレビに見入る。龍の『影』にもあるじがいる――つまり、『ノラカゲ』ではないということだ。あの一連の事件はそのあるじの意志に基づいて起こっていたと言える。


 緊張した面持ちのキャスターが原稿を読み上げた。


『私は、人間社会の暗部に存在する『実存』。イデアを操る『影』のあるじ。近日、世界は影の中に沈むことだろう。世界は反転する。これはほんの序章に過ぎない。私は、『影の王国』を作る。イデアたちが自由に躍動する『影の王国』。『実存』はその意味をなくし、すべては『影の王国』に飲み込まれる』


「おい、影子……影子!」


「ん、ん、聞いてるよ」


 きつねうどんをすすりながら生返事をする影子と対称的に、ハルは生唾を呑みながらテレビを見つめる。


『……以上です。この声明文はASSBにも届いているようです。現場はどうなっているのでしょうか? 会見現場にカメラを戻します』


 再び会見会場に切り替わった映像の中では、さっきよりもずっとせわしなくフラッシュがまたたき、記者たちの怒号が飛び交っていた。


『『影の王国』とは一体なんなんですか!?』


『龍の『影』のあるじなんて、相手は『ノラカゲ』ではないのですか!?』


『近日なんらかのアクションが起こると思ってよいのですか!?』


『ASSBの対策は!?』


 今にも押し寄せようとする殺気立った記者たちに、広報部のお偉いさんたちはおろおろとするばかりだ。ASSBも逆柳のような切れ者ばかりというわけではないらしい。


「ごっそさん。あーあ、えらいことになってんなぁ」


 きつねうどんを食べ終え、まるで他人事のようにテレビに視線を向ける影子。そんな彼女に、食って掛かるようにハルが言葉をかぶせた。


「えらいこと、どころの騒ぎじゃないだろ!? あいつだよ! あの龍の『影』が、『影の王国』を作ろうとしてる……人間を一掃しようとしてるんだ!」


「へー、スゴイネ……で?」


「だから! 僕たちでなんとかしなきゃ! あいつと戦って生き残ってるのは、多分僕たちしかいない、対抗できるのは僕たちしかいないんだ!」


「いいじゃん、どーせお強いASSB様様方々がなんとかしてくれんだろ」


 違う。まったく情報を持っていない、交戦すらしたことのないASSBではこの件は対処できない。龍の『影』と交戦して唯一生き残り、いくばくかの情報を持っている自分たちが何とかしなければならないのだ。


 しかし影子はまったく乗り気ではない。


 ……焚きつけるしかない、か。

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