第9話 せめてキスくらいはあれよ!

「はっちゃん、あの」


 言葉を探していると、慶次郎さんが口を開いた。セイ君の頬を舐める猫式神の背中をゆっくりと撫でるが、嫌がる素振りはない。さすがは陰陽師。


「これは、その、僕のワガママと言いますか」

「何よ。もったいつけて」

「いや、だって、はっちゃんにもご迷惑をかけることになりますし」

「あのね、慶次郎さんはイチイチ前置きが長いのよ。そんなに予防線張らなくていいから。それに何となくもう予想がついてるし」

「えっ、そうなんですか!?」


 大きな目をこれでもかと見開いて、アワアワしてるけど、いやむしろつくでしょ。なんていうか。


「セイ君のことでしょ」

「そ、そうです」

「もし、セイ君の両親が引き取りに来なくて、本人達に養育の意志がないんであれば引き取りたいって話なら」

「ひええ。なぜそこまでわかるんですか」

「わからいでか」


 慶次郎さんの考えることなんてわかるよ。


 たぶん彼は、セイ君をかつての自分と重ね合わせたのだ。自分には理解のある家族もいたし、環境も整っていたけど、もしそうじゃなかったら、と。いまのセイ君と同じようになっていたかもしれないと思ったのだろう。


 なんてもちろんこれはあたしと慶次郎さんの勝手な想像だ。実際は、ただちょっと育児に疲れてここに助けを求めただけかもしれない。だからあともう少しすれば、両親が迎えに来て、何事もなかったようにセイ君は親元ですくすくと育つのかもしれない。けど。


「もしそういう話なら、それは慶次郎さんのワガママじゃないよ」

「え」

「あたしもそう思ってた。セイ君を、ウチの子として迎えようって」

「はっちゃん……!」

「ま、まぁ? もしそれで、自分の子どもを諦めることになるとしても、それもそれで運命かなーって? ほ、ほら、痛い思いしないでラッキー、くらいの気持ちでね? なんちゃって」


 もしそうなるとしたら、そりゃあ悲しいけどさ。自分の子どもはやっぱり欲しいけど。だけど、かといってセイ君をほっとけないよ。


 暗い話にしたくなくて、わざと明るい声であははと笑い飛ばす。


 と。


「はっちゃん」


 ぎゅっと、真正面から抱き締められた。ちょちょちょ! 子どもの前! いや、寝てるけど! 寝てるけどね!?


「諦めるなんて言わないでください。僕は、セイ君がいても、僕達の子どもまで諦めるつもりはないです」

「え、そ、そ……なの?」

「そうです。ただ、僕の力不足なのか、一向にその気配がないようで、大変申し訳なく……」

「は?」


 力不足も何も!

 アンタ何もしてないけど!?


「ちょ、あのさ。一応確認するんだけど」

「どうしました、はっちゃん」

「慶次郎さんってさ、赤ちゃんがどうやったら出来るとか、知ってる……よね?」

「それはもちろん!」


 だ、だよね。二十八歳だもんね。そうだよね。あーびっくりしたぁー! いや、だとしても、おかしくない? え? あたし何かされたっけ!?


「結婚した男女がですよね!」


 手ぇ――っ!?

 お前! そこはせめてキスくらいあれよ!

 手って! 手って! お前!


「そんなわけあるかぁぁぁっ!」

「ひぇっ!? は、はっちゃん、そんなに大きな声を出したら――」

「あっ、し、しまったぁ!」


 案の定、あたしの声に驚いたらしいセイ君は、びくりと大きく身体を震わせて泣き出した。彼の頬を舐め続けていた猫式神も、ふっ、と消えてしまった。


「ご、ごめんごめん! セイ君ごめんね! びっくりしたよね! よしよし」


 慌てて抱き上げて立ち上がり、ゆらゆらと優しく左右に揺れる。つられて立ち上がった慶次郎さんもそれに合わせて意味なく揺れ始めた。いや、あなたは良いのよ。


「はっちゃん、僕が。今日はもうお疲れでしょう。代わりますから」

「いいの?」


 差し伸べられた手にそっとセイ君を乗せる。セイ君は、最初こそ人見知りしていたけど、この五日間ですっかり慣れてくれたようで、あたしが抱っこしても、慶次郎さんが抱っこしてもぐずることはない。


「もちろん。僕だって、お父さんになるんです。はっちゃんも、お母さんになってくれますか?」

「当たり前でしょ。とりあえず、赤ちゃんの作り方はね、間違ってるから」

「えっ、違ったんですか!?」

「いつ誰から聞いたやつかわからないけど、たぶんそれ、子ども向けのやつだから。あとでちゃんと大人向けのを歓太郎さんに――いや、あいつからレクチャー受けたらとんでもないことになりそうだな。ケモ耳達に教えてもらいな」

「わかりました」


 なんか一気にどっと疲れたけど、まぁその意志があることがわかっただけでも良しとしよう。ていうかこの人、保健体育の授業受けてないの!?


 あとはまぁセイ君の両親と連絡がつけば言うことなしなんだけど。そこはまぁ歓太郎さんが頑張ってくれてるみたいだからお任せかな。さすがにあたしは首突っ込めないし。


 なんて思っていると、だだだだだ、と廊下を走る音が聞こえた。こんなに騒がしい人なんて一人しかいない。その、歓太郎さんである。


 こちらに何の断りもなく、すぱん、と障子が開いた。そこにいたのは予想通り歓太郎さんだ。予想外だったのは歓太郎さんが巫女装束でいたことと、こめかみに血管を浮き上がらせてゼェゼェと肩で息をしているところだろうか。あたしはこの人がこんなに焦っているところをたぶんまだ見たことがない。


「騒々しいよ、歓太郎。廊下は走っちゃ駄目だ。セイ君の教育に良くない」


 慶次郎さんが、なんだか父親のようなことを言っている。うん、意外とこの人は良いお父さんになるのかもしれない。


「そんなこと言ってる場合じゃないんだ。慶次郎、いますぐその赤ん坊をはっちゃんに渡せ」 

「え? 何で?」

「良いから!」

「どしたのよ、歓太郎さん」


 まぁ良いけど、と言いながらセイ君を受け取る。腕の中の小さなセイ君はキョトンとした顔をしている。それでも歓太郎さんにも興味があるのだろう、手を伸ばしてぱたぱたと振っている。それを見て、歓太郎さんは疲れたように笑いながら手を振り返す。そうして、視線をセイ君に固定し、一応の笑顔を貼り付けたまま、私達に言った。


「その赤ん坊が何者なのか、わかった」


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