第18話 桜が散る夜に

「あはっあははっはぁはぁ」


 しばらく外に出ていないからか身体が重い。

 でも何だろう! もうすぐ楽になれる! その高揚感で身体の怠さも! 手の痛みも! 失くした心も! もう何も感じない……!!


 ねえ、何でそんなに逃げるの? いつも月みたいに穏やかで優しいかおるちゃんなら許してくれるよね??

 脱いだヒールが転がっている。それを一つ過ぎて、もう一つ過ぎる。


 アスファルトの上じゃ足が痛いよね。もうすぐ一緒に楽になれるからね。


 目の前にかおるのアパートが見えてきた。けれど、久しぶりに外に出たせいで身体が思う様に動かず、距離が縮まらない。彼女はもう自宅の扉の前に辿り着き、手元を忙しくさせている。鍵が上手く入らないみたいだ。


 そっか鍵が開かないんだ。そんなに慌てるからだよ。ほら、もう少しで追い付くからそこで待っていてよ……!!


「ああもう! お願い!! 開いて!!!」


 久しぶりの外の空気を吸い私の肺は拒絶反応を起こしている。走るのも限界が近い。それでもそこで手間取っているかおるに手を伸ばす……!! と、もうすぐで触れられそうというところで鍵が開き、かおるは扉の隙間から中へ滑り込む。


「私から逃げないで! 中に入れてよ。私も今凄く辛いんだ。だからもうやめにして一緒に楽になろ? ねえ、鍵を開けて??」


 ドンドンッと力任せに扉を叩く。


 何だろう、生まれた日から今日この瞬間をずっと待ってた。そんな気がする……! お願いそこにいるんでしょう??早く中に入れてよ……!!


鍵は開かない。中からは怯える様な声が漏れる。


 そっか、開けてくれないんだ、じゃあ……


 私はアパートの裏へと回り込み掃き出し窓に手をかける。ここも開かない。鍵がかかっている。


 もう! 何で入れてくれないの!?


 苛立ちの余り足で壁を蹴り飛ばす。足元に視線を落としたその時、ふと転がっている石が目に入った。私はすかさずそれを拾い上げると、かおるの家の窓に躊躇う事なく叩きつける。窓はガシャンッと音を立てて崩れ落ち、同時に奥の方からかおるの悲鳴が聞こえる。


「あははっ、かおるちゃん待っててね……今行くからね……!!」


 割れた窓から強引に部屋に入るとそこはいつものかおるの部屋の景色が広がる。でもテーブルも椅子も飾り棚も、何もかもが邪魔だった。近くにあるものは手当たり次第に薙ぎ倒す。

 棚にあった本は投げ出され、小物は吹き飛び、キッチンに乾かしてあった食器も床に放り出された。そして、包丁も。

 ああ、ようやくかおるに会える……!! 私は無意識に包丁を拾い上げ、玄関に向かう。

 そこには恐怖のあまり震えが止まらず座り込んで動けなくなったかおるがいた。近くには携帯電話が転がっている。

 私はそれを蹴飛ばし座り込むかおるを見下ろした。その瞬間、かおるの怯えて憔悴した視線が私と重なる。


「何だ、私たちようやく一緒になったんだね」


 ああ……! いろんな気持ちが溢れてくる……!! かおるちゃんお待たせ。私、憧れてたんだ。髪の色も綺麗だし、字も丁寧だし、勉強だってできる、いつも私を優しく照らしてくれる。私も頑張ったんだよ? ずっと、かおるちゃんみたいになれたらなって、必死に頑張ったんだよ? でも、だめだった。私もあんな風になれたらって思えば思うほど、何もかもが上手くいかなかった。もう私、耐えられないよ。眠れなくて、苦しくて、何もできなくて。でもね、私、思ったんだ。かおるちゃんがいるから頑張れるし、かおるちゃんがいるから辛い思いをする。ごめんね。私もう疲れちゃったみたい。だからさ──


「もう二人とも終わりにしよ??」


 私はフードを取ると、抱きしめる様に優しく、手に持ったそれをかおるに押し込んだ。


「あかりちゃん?……な、なんで……」


 驚きを隠せず言葉が詰まるかおる。それでも、ようやく絞り出した最後の言葉は宙に舞い、生温かいものが手を伝う。

 私はもう一度、ゆっくりと抱きしめた。

震えている身体が静かになるまでゆっくりと。

何かを伝えようと動かす手は私の肩に触れ、濁った吐息が漏れる。漂う口元と怯えた瞳がこちらをずっと見つめてくる。


「大丈夫。ずっと一緒にいるよ」


 私はかおるちゃんと優しく視線を合わせる。

すると、失くしていた想い出が少しずつ溢れてきた。初めて会ったあの日、かおるちゃんは優しく起こしてくれたっけ。しばらくしたらかっちゃんも来て、みんなでお花見もした。それから頻繁に集まるようになって、たこ焼きに変なもの入れようとしたり、お茶で乾杯したりもした。二人で出かけた事だってあった。私が落ち込んでる時にはお揃いの眼鏡をプレゼントしてくれたり……どの記憶を辿ってもそこにはかおるちゃんがいる。かおるちゃんはいつも隣にいてくれたんだ……でも……ごめんね。私はもう元には戻れないや。


 しばらくの間、互いに抱き合ったまま二人だけの時間が流れた。それは一瞬だったか永遠だったのかは二人にしか分からない。しかし、その時間は確かに存在していた。

 次第に伝わる息遣いは消え手はだらんと下がり震えが止まった。私はもう一度、優しくぎゅっと抱きしめると二人はいつまでも寄り添っていられる。そんな気がした。


「かおるちゃん……大好きだよ」


 そうだ。せっかく一緒になれたんだ。最後にまた桜を見に行こっか。



 ______連日の雨のせいかそこに花びらは見当たらない。これでようやく楽になれる。そんな表情を浮かべながらそっと根元に横たわる。手足からは血が流れ、それが桜の根を伝っては沁みていく。長かった。手当たり次第に縋りついては落とされる。そんな日々はもう続かない。これからはかおるちゃんとずっと二人でいられるんだ……私はもう孤独ではない。暗く閉め切った部屋に閉じ籠る事も、誰かに憧れて身を焦がす事だってない。目を開けば桜の木の向こうに朧月が浮かんでいる。静かな夜。


「綺麗だなぁ……これでようやく明日を気にしないで眠る事ができる……」


 雲が途切れ、少しだけ顔を覗かせるその月は優しい輝きを放ち、静かな夜の中を等しく照らした。



「何だか眠くなってきた……」



 暗くて辛い冬が明け、桜の花びらが散ってゆく。誰も寄り付かず閑散としていたその木には今、朧月が周囲を照らし、たくさんの葉が茂っている。私はもう、一人ではない。








 次第に身体が重くなり、そのまま近づいてくる眠気に身を委ねた。








 血だらけの身体からはだんだんと力が抜けていくのが分かる。








 私は心地良い脱力感に浸りながら、ゆっくり、ゆっくりと瞼を閉じた。








 もう外の景色が瞼で覆い被されそうになったその時、薄れていく意識の中で桜の花びらが一枚だけ宙に放り出された。








 それはしばらくの間、夜を漂い、右へ左へと揺られると私の元に落ちてくる。








 私は夜空に向かって手を伸ばす。








 何を考えていた訳ではなかったけれど、自然と身体がそう動いていた。









 もう少しで手が届きそう。そう思った時、花びらは私の手をすり抜けどこかへ消えてしまった。










「今のが最後の一枚だったのかな……」










 最後の桜が散る夜に私はそっと目を閉じた。












      「桜が散る夜に」

         -完-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜が散る夜に よるのとびうお @yorunotobiuo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ