第16話 Xデー

 ______2023年4月7日 



 昨日の夜から降り続く雨は未だに止む気配をみせず、寧ろ、雨は先程よりも強く叩きつけられる。昼間でも薄暗くカーテンを閉め切ったあかりの部屋には外の明かりは届かない。その中で洗面台の光だけが弱々しく私を照らす。部屋は荒れ果て、全てが止まった空間を垂れ流しのテレビの音だけが淡々と響いている。


「もう……嫌……」


 部屋に閉じ籠ったまま、どれだけの時間が過ぎたのだろうか。去年までは、どんなに落とされようと必死に這い上がってきた。自分を奮い立たせては喰らいつく。でも、今となってはひたすらにもがく気力さえ残っていない。ましてやそんな考えにも至らず、思考は止まり、自分にさえ怒りをぶつける毎日。もう私の味方は誰一人としていなくなってしまった。例え、誰かに手を差し出されたとしても、素直に握り返せる様な私はもういない。

 私が私でいる事に耐えられない。もう何を考えたら良いのかも分からない。遅刻もしなくなったし、朝まで勉強もしたし、本だって読んだし、病院だって通った。かおるちゃんみたいになりたくて必死に頑張って頑張って頑張って頑張ってずっと頑張ってきたのに、何で何もできないの。どうして失敗ばかりなの。どうやったらこんな生活から抜け出せるの!!

 鏡を見ると無性に苛立つ。私の想い描く姿とは程遠い、荒れはてた醜い誰かと目が合うから。


「そんな顔しないでよ……!!」


 もうどうなってもいい。目に映る物を手当たり次第に私に投げつけ、その度に音を立てて鏡が割れる。


「なんで! なんで! なんで! なんでなんでなんで……もう……!!……はぁはぁ」


 外に出ていないせいですぐに息が切れる。そんな自分をまた、睨みつける。息苦しい。


「ずっとかおるちゃんみたいにしてきたのに……私だけこんなになって……もう……何で……何でかおるだけなの」


 鏡は衝撃に耐えきれず何枚にも割れた。もう私なんて二度と見たくない。その思いとは裏腹に、その破片の一つ一つが私である事に耐えられなかった私を映しては逃さなかった。


「はぁはぁ……そっか。かおるちゃんと同じなら……かおると……かおると一緒になれば……もう………こんなに辛い思いもなくなるはず」


 棚の扉を乱暴に開けて誰かが置いていったブリーチ剤を引っ張り出す。私にはもう今の自分でなくなるのならば何でもよかった。強引に封を開けるとそれを髪に塗りたくる。かおるちゃんの髪、綺麗だもんね。これで私も同じになれるよね──


 鏡の破片のせいで手足から血が流れる。それが傷口に染みて焼ける様に響く。でももう、何も痛くない。手も……足も……心も……これ以上傷がつくところなんてないんだから……


……そっか……そうだよね………………………………

二人でずっと一緒にいればいいんだ………………

辛いよ……こんな姿……苦しいよ……………………

……これで良いんだよね…………もう………………

私は頑張ったよ……でも疲れちゃった……………

………大丈夫……………………安心してね…………

…………………もうすぐ迎えに行くから……………

……こんな気持ち……もう抱えなくていいよね…

かおるちゃんなら理解してくれるよね……?……

……もう……こんなの耐えられないんだ…………

優しいかおるちゃんなら……許してくれるよね……??


 私は割れた鏡に映るかおるに話しかける。


「ふふっ……ほら……泣かないで。笑ってよ」


 血だらけの手でかおるの目を拭うと赤い血が頬を伝った。


「ぐしゃぐしゃでよく見えないや。そっか。そうだよね。これでいいよね」


 鏡の破片が散乱しぐしゃぐしゃに散らばる物の中からお揃いの眼鏡を拾い上げて、ゆっくりとかける。


「うん……これから迎え行くからね……」


 私は目の前に映るかおるに手を伸ばした。これからようやくかおると一緒になれる。その一心で。だけど鏡が血で覆い被されて顔がよく見えないや……でも、今の私にそんな事はどうでも良い。それは手に取ることができないとしても、私の目にはちゃんと映っている。


「これで私も楽になれる……」



 ──物は散乱し静まり返った薄暗い部屋の中でテレビの音だけが鳴り響く。


「以上、現場からお伝えしました」


「ありがとうございました。夜には一旦、雨が止むようですが、こうも雨が続いては、僅かに残っている桜も散ってしまいそうですね」


「そうですね、もう明日には全て散ってしまうと思います」


「更に、今夜は雨が止んでも、薄い雲で月が覆われてしまうでしょう」


「暗い夜道には十分に注意してくださいね」


「それでは次のニュースです」

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