第13話 冬の桜


 ______1年前、大学最後の冬。



 河川敷の桜は全て散り、少し前まで辛うじて残っていた葉もなくなってしまった。部屋の外は集まった枝の間から向こう側が透けて見える様な、そんな季節になっていた。私は外に出ることがなくなった。外に出るとしても、食料を買うか、たまに精神科のカウンセリングに通うだけ。かおるちゃんはあの後、内定を告げられたらしい。


「おめでとう」


 私はその一言を伝えるだけで精一杯だった。

今頃は二人とも内定を貰って家でお祝いする、そう思っていたのに。自分の部屋を見渡すと溢れたゴミやそのままの食器が目に入ってくる。締め切ったカーテン、脱いだまま放置してシワが付いた服、散らかった床。まるでこの部屋が今の私の全てを表しているかの様だった。

 かおるちゃんは今頃何やってるのかな。

以前は毎日のように会い私を励ましてくれた。でも今は数件のメッセージを交わすだけ。


 そっか。卒業研究の発表が近いんだっけ。


 もうしばらく大学に行ってない。私は卒業できないから関係ないけど、かおるちゃんはそんな事を言ってられないくらい忙しいんだろうな。今日もベットから動かず何をするでもないまま、垂れ流しのテレビを眺める。


 私だって大学に行きたい。私だって卒業研究で忙しいって言いたい。私だって内定貰って働きたい。外に出て、友達と遊んで、たくさん笑って、私だって……


 そんな気持ちが身体中を駆け巡る。でも私の心は気持ちの流れに耐えられない。一日、一日と何もしないままに時間が流れて行く。それは過ぎていけば行くほど私の心を蝕み始め、脆くなった部分から崩れ落ち元の形が分からなくなっていった。


今日でカウンセリング最後にしようかな……


 私は崩れ落ちた心をなんとか上着で包み込み、溢れた心をポケットに詰めて外に出た。


「寒い」


 外では人と目を合わせない様に歩く。下を向いて歩けば、まだほんの少しだけ楽に歩けた。人混みは通らない。下を向いていても、視界に入ってしまうから。そうやってゆっくり、少しずつ進みながら、目的のところまで歩いていく。

 途中、橋の上から桜の木が見えた。いつもみんなで集まったあの場所だ。けれど、この季節は人気もなくそこには誰の姿も見当たらなかった。


 花びらが無いと誰も集まってこないんだ。落ち切った葉に細くなった木の枝。あれだけ集まった思い出の桜の木だが、その木は全てが散ると見向きもされずやがて周囲と変わらなくなってしまった。ほらね。どんなに頑張っても、結局、花が咲かないと意味がないんだよ──





 ──精神科の病院に着くと、整理券を受け取り座って待つ。その間さえ私には苦痛だったこれから人と話さなきゃいけない。もう、今日で最後にしよう、そう思いながら呼ばれるのを静かに待った。


「整理番号0407の方どうぞ」


 番号を呼ばれて中へ入るといつもの先生がいる。最初は自分で何とか立ち直りたかった。けれど、どう足掻いても何も変わらない日常から抜け出したくて、先生に助けを求めてたくさんの辛い事を話した。


 失敗が続く。


 成果が出てくれない。


 頑張るのが辛い。


 夜に考え込んでしまう。


 眠るのが怖い。


 人の成功を喜べない。


 周りからのプレッシャーに耐えられない。


 優しくされるのが苦痛に感じる。


 心と身体が思う様に動かない。


 人と話したくない。


 笑い方が分からない。


 泣きたくない。


 こんな自分が嫌い。


 でも誰かに頼りたい。


 助けて欲しい。


 もう泣いて過ごす日々を終わらせたい。


 自分を変えてくれる何かを掴み、何かを求め、何かにすがり付きたい。真っ暗な未来に差し込む光の様な、そんな何かを……私は必死に伝えた。


 けれど、今に至るまで何も解決しなかった。同情されて薬を貰う。ただ、それだけ。どうせ私の気持ちなんて理解していない。私には、淡々と作業をこなしているだけにしか見えなかった。どうせ、今回だってそう。もうこれで最後にしよう。


「こんにちは、桜 あかりさん。最近の体調はどうですか?気持ちに変化はありましたか?」


 ほら、常套句はもう聞き飽きた。先生から発せられた言葉の羅列は、枯れた私に湿度をもたらす事もなくひどく乾いた風となって私を通り過ぎた。

 乾いた土では花を咲かせる事が出来ない様に、それを頼りに蕾をつける事など私にはできなかった。

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