3-5 雑用係と、呪われた騎士たち

 台所の裏口から出てると、夜空に無数の星が出ていた。冷たい風に揺れる草を踏み、物音を立てぬよう静かに歩く。

 グエンを先頭に、ルネとアニスは北棟の人気のない窓を乗り越え、病室にたどり着いた。

 

「隊長」

 暗い部屋を、たった一つ、小さな灯が頼りなく照らしている。壁際のベットの周りに、背の高い二人が寄り添うようにしていた。


 薄暗い病室にいる彼らは、それぞれ包帯を巻いている。布のないところにはグエンと同じ、赤紫の斑点が出ていた。

 横たわる仲間を囲みながら、彼らも軽い咳をし、時おり苦しそうに胸を押さえる仕草をする。

 その痛々しい姿に、ルネは顔をしかめた。

 

「いつから意識が無くなりましたか」

「夕方ぐらいだ。昼間は起き上がれないが、呼びかければ意識はあった。寒い、痛いと苦しがって」

「午前の治療は」

「いつもと同じことの繰り返し。一時的に痛みは引いた様子だったが、その後は呼びかけても反応がない」

 

「……こうなってから、癒し手を呼ばなかったのですか」

「本当にあれは効果があるのか? 一応知らせはした。何か治療はしたようだが。この状態だ」

 グエンは口の端を歪めている。

「これで朝まで持たなかったら? 俺はもう信頼していない」

 

 横になっている青年は、彼らの中で一番体格が小さい。顔つきも若く、少年の面影が残っている。

 その汗ばんでいる額に、濡らした布がのせてある。ルネが額に手を当てるだけで、その熱の高さが伝わった。まぶたが時おり痙攣している。

 

 熱があるのなら、まだ身体が戦っているはずだ。

 ルネは横たわる男の手を握った。息が荒い。彼の呼吸が楽になるように、頭の下には折りたたんだ布があり、上向きにされている。

「出来るだけのことはします」

「頼む」

 

 グエンを眠らせ回復していく様子を見てから、ルネは自身の力について考えるようになった。

 癒し手の彼女らの力と、何が違うのだろう。

 癒しの力ならばその場で傷が治る。時間のかかる、この眠りの力は、病人の身体にも元々そなわっている、回復する力を助けるものではないだろうか。

 

 間に合うのか。

 意識のない身体が震え、荒い息をしている。

 彼の手を両手で握り、あたためる。この身体の内側を、ゆっくりと、癒しの小さな光の雨で満たすのだ。

「効果があるのか正直わかりません。間に合うのかも」


 熱で歪む顔は、自分よりも若い。

 こんな苦痛さえ受けていなければ、整った顔立ちの青年だ。剣を握るせいだろうか、両手で握った震える手のひらは厚く、節々がしっかりしている。

「レオンを助けてくれ」

 グエンの再度の懇願にルネは「やってみます」と頷いた。


 ◇


 静まり返った窓の外から、夜の虫の音が聞こえていた。

 ルネの治癒を見守るグエンたちには、とても長い時間に思えた。眠りの力を使っていたルネの集中が解け、握っていた手をそっとベットの上に戻す。

 上掛けを直して、先ほどと違って穏やかになった青年の寝顔を確認する。

「助かるか」

 眉をひそめているグエンが問う。

「……はっきりした判断は出来ません」

 見守っていたグエンと騎士の二人、アニスの顔を順番に、ルネは訴えるように見回した。

「明日もここに来たいと思っています。それから、皆さんにも同じ治療を、でも……」 

 どうやって。

 何とかここに通えるようにしなくてはいけない。しかし昼間も夜も、ルネに出歩く自由はない。

 夜更けに台所を抜け出して、果たして見つからずに通えるだろうか。それは一日の話ではない、通い続けなくてはならないのだ。


「これから彼女が協力してくれると約束してくれた」

「え?」

「あたしが通わせるわよ。台所の近くに誰かいないか確認してから、毛布に包まってあんたの身代わりやってあげる。そもそも遅くに、しかもあんな寒い場所になんて誰も来ないだろうけど」

「アニス。でもそうしたら、アニスが眠れなくなる」

「そんな場所でルネは寝てたんでしょ。私はあなたに借りがあるの。台所で寝るぐらい大したことじゃないし」

 口をとがらせて言うアニスに、ルネが控えめに微笑む。

「ありがとうアニス。ごめんね」

「謝んないでよ」

 終始、不機嫌な口調で言う彼女だが、その次の日から約束通り、ルネが台所を抜け出す夜に手を貸してくれるようになった。



 ルネは人々が寝静まる時間になってから、病室に通う。

 まずグエンは、病錬を仕切る職員に口止め料を渡した。アニスが台所の周囲に人が居ないことを確認し、ルネを外に出しカギを閉める。戻ってくるまで身代わりとして、台所の毛布に包まる。


 レオンはルネが急遽駆け付けた翌朝から夕方まで、こんこんと眠り続け、その日の夜にぼんやりと目を開けたという。

 交代で様子を見守り、そのとき隣に付いていたのは半分ほど寝かけていたグエンだった。そのことを、感謝の言葉と共にルネは聞いた。

 

 驚いたのは協力してくれたのが、アニスだけではなかったことだった。

 力の使い方を一緒に練習した癒し手や、使用人の中で、ルネに治療をしてもらったという身内を持つ人。

 彼女達がルネの時間を作ったり、病錬に通っていることが見つからないように、少しずつ手を貸してくれていた。

 

 マリエッタや、その周囲の癒し手たちの姿が目に入ると、何か気づかれるのではないかとルネは緊張した。常に蔑むような視線は感じていたが、とにかく目立たぬよう、雑用係の最下層として働く日々を過ごした。


「私が本気を出せばこのぐらい出来るのよ」

 と、アニスは得意げに言った。

 実際、アニスによる一部の秘密を話してもいい人選と、立ち回りが無くてはこんなに上手くいかなかっただろう。

 そこにはお金を使っての交渉もあったらしいが、口が堅い、協力してくれそうな人物の情報と選ぶ目が大事なのは確かだ。

 

 最もグエンは見つかったら見つかったで、

「そうなったら、俺たちを見捨てた王立騎士団の立場が不味くなろうが、国への配慮だろうがもう知らん。ここを出て勝手に報酬を払って、ルネに治療してもらう」

 と吹っ切れた宣言をした。

 真夜中の病室の隅。それを聞いたルネは、開き直りのグエンと対照的に、青い顔でおののき『絶対見つかってはいけない』と改めて決意した。

「そんな、恐ろしいことにならないようにしましょう」

 国に追われるなんて怖すぎる。

 

「死ぬ気になれば、国外に逃亡だろうがどうとでも出来るだろ」

 グエンは相変わらず涼しい顔で言いながら、ルネの手に紙の包みを渡した。

 包まれていたのは少し固くなったパンとチーズ、干された果物だった。

「……ありがとうございます」

「今は焼き菓子よりもこっちがいいかと思ってな」


 グエンに言われ、さっそくパンを頬張りながらルネは曖昧にうなづいた。

 食べ物は嬉しい。甘い小さな焼き菓子もそれはそれは嬉しいが、確かに常にお腹を空かせているルネには、お腹にたまるパンやチーズの方がありがたかった。

「もっと良いものを腹いっぱい、食わせてやりたいんだけどな」

 グエンは呟き、同時にルネの穴の開いた靴や、擦り切れて薄い元の色が分からない服をみてため息をつく。

「明日も頼むな」


 ルネは繰り返し、夜更けや、昼間街へのお使いを頼まれた振りをして病室へと通った。

 毎日でも通うつもりだったが、仲間たちの回復具合を見たグエンに「有難いが、山場は超えたようだし休んでくれ」と言われるようになった。


 それでも「私は大丈夫です。通えます」とルネは言いつのったが、

「休め。頼むから。昼間も上辺だけ仕事のふりして、全力で手を抜け。な?」と、なぜか疲れたように遠い目をされた。

 やがてレオンは勿論のこと、アレックとバートもルネから治療を受け、彼らは密かに回復していった。

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