3-4 追い込まれた雑用係は決意する
洗濯室の仕事が無くなってから、ルネの眠る時間は少し早くなった。
朝の仕事が増えたので、全体の睡眠時間にそれほど変わりはない。むしろ身体を休めるには向いていない環境に、疲労がたまっていた。
固く冷えた台所の床で毛布に包まっていたルネは、裏庭に通じる木製のドアを微かに叩く音に気が付いた。
「ルネ、起きてるんでしょ」
ドアの向こうから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
効き間違いだろうか。
ぼんやりとドアを眺めていると「ちょっと寝てるわけ」とささやき声が怒り口調になり、ノブが乱暴に回される。
ルネは慌てて起き上がり、カギを開けた。ドアを開くと共に、夜風がルネの瘦せた髪と、穴の開いた服を揺らした。
「やっぱり起きてるんじゃない」
「……アニス? どうして外から、それもこんな時間に」
驚きながら、その後ろの人影に気づいた。
「あたしは見つかったらやばいって言ったんだけど」
見上げる背丈の人はグエンだった。
アニスだけでも驚いたのに、信じられない。グエンは台所に顔を向け、床に丸まった毛布に視線を止めた。
こんな所で寝起きをしていると知られてしまっただろうか。自分の現状を知られルネは気まずくなった。
「すまなかった」
「……どうして来たんですか」
「彼女に怒られた意味がわかった。君の状況を軽く見ていた」
ルネは、グエンをあなたのせいでこうなったと怒ることは出来ない。
どうして自分がこんなひどい目に合うのだという、理不尽さに憤りは感じている。この感情をぶつけないように押さえるのは疲れる。だからグエンと顔を合わせたくなかった。
しかし、彼が病気で苦しんでいて、助けを欲していたのは当然だから。その行動を、彼を憎むことは出来ない。
「もういいんです」
治療をした自分が招いたことだ。
台所で寝起きをしているという酷い状況を見て、罪悪感を抱き、後悔しているのならいい気味だ。そのぐらいの気持ちを持つことは許されるだろう。
「すまない。実は、部下の病状が一気に悪化して……もう起き上がれない。話しかけても反応しない。意識が朦朧としている。頼む、来てくれないか」
「無理……です」
聞きたくない。もう自分がすることではない。
「治療院に逆らったら、私、こんなことになるんですよ」
自虐気味に笑ってしまう。
それなのに、グエンの言った『起き上がれない』『意識が朦朧としている』という言葉が頭の中で繰り返される。
「それでも頼みたい」
グエンは表情を崩さない。その姿勢を見て思った。ああ、彼は慣れているのだ。無茶な状況でも自分の意見を押し通すことに。自分とは違うのだと、皮肉な気持ちになってしまう。
拒否されても挫けない強さが羨ましい。
「部下が苦しんでいるんだ。長いこと同じ場所で一緒に過ごしてきた彼らを、目の前で失いたくない」
出来ませんと、強い意志で断らなくては。
目の前の大きな人はその場で膝をつき頼むと言った。彼は必死である。
「辞めてください」とルネは顔をそむけた。
「君しかいない」
「本当に、直せるかわからないんです」
心が傾いてしまう。
「それでもいい。回復せずとも君を責めることはない。どうか来てくれないか。すまない、本当にすまないと思っている」
断らなくはいけないのに。
いや、やろうと思えば、この人だったら本当は力ずくで、無理やり言うことをきかせることも出来るのではないだろうか。
例えばアニスを人質に、治療に来なければ腕を折ると言われたら、ルネは断れない。
けれど彼は今、身体を丸めるように頭を下げている。
固い床で寝てる。今後の絶望的な状況。これ以上背負ったら頭が悪すぎるのに。
「……分かりました」
それなのに、言い切ったらせいせいした。
成り行きを見守っていたアニスは、ずっとしかめっ面をしている。
彼女にいつか言われたように、お人よしで不器用だ。
もうこの道を行くしかないのだろう、私は。
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