3-1 雑用係の不安は当たる
マリエッタの望みは、ミネダの田舎を出て王都で暮らすことだった。
ミネダの治療院は呪いの騎士達を受け入れた。
彼らの行く末が決まった後、マリエッタの父親である院長は、家族と共に王都ナティアの治療院へと移る見返りが準備されていた。
騎士たちの呪いは人へとうつる病ではないらしいが、人はよく知らないものを怖がる。
屍狼からもたらされるという不治の病は、人々に恐れを抱かせた。
王立騎士に最善の治療をすることは王立の治療院として当然とされるが、実は呪いの騎士の立場は今難しい所にあると耳にしていた。
家畜や人を襲う狼の討伐の失敗。
周囲に広げるかも知れない、よく分からない恐ろしい病にかかった不名誉な失態。
騎士団は名誉の回復を図ろうとしているらしいが、この失態がある者たちには望ましい状況だった。
現王の権力を削ぐ機会をうかがっていた、王弟派の貴族たちである。
そして王弟派と繋がりのあるのが、院長の妻の兄――つまりマリエッタの叔父。王都の叔父からもたらされた会話の一部から、マリエッタも彼らの微妙な立場を知った。
王都へ行きたい。
マリエッタのそれは、癒し手として王都ナティアの治療院へ勤めるという憧れではなく、華やかな立地と来院者の質の問題だ。
田舎の治療院では院長の娘として、好き勝手にふるまえる。王都へ行けば、それは難しくなるのは理解している。
しかし、人の輪の中での立ち回りは、上手い方だとマリエッタは自分で思っていた。
王立の治療院にいれば高貴な人との交流が増える。有望な貴族に見初められ、そのまま輿入れとなれば悪くない。あとは、まあまあの
騎士達の治療で、関りを作っておくのも、後々、何かに使えるかもしれない。
彼らは有望で裕福な騎士ではないのかもしれないが、田舎の若者たちと比べれば見目も振る舞いも悪くなかった。
昔から、屍狼という存在は定期的にあらわれ、噛まれては死人も出ていたという。発症が少なかったので、死人が多いとまでは言えない数ではあったようだが、これまで直す治療はないという。
治らないと言われている病は呪いだ。
王都ナティアの治療院で、有能な治療師や癒し手が出来る限りを施し、けれど病状に改善は無いという状況だと聞いている。
だからここにいる癒し手たちには、呪いの騎士の症状について、痛みの緩和ぐらいしかできない。
完治など無理なのだ。手を尽くしても無駄。最初から分かっている。
症状が進み、じわじわと弱っていく騎士様たちを見ているしかない。まあ、呪いなのだから仕方ない。
けれど騎士の呪いを解こうとする、健気な癒し手の献身的な姿は、きれいな絵になるだろう。
残された日々を送る騎士と癒し手であった令嬢の、悲しくも美しい悲劇は悪くない。事実と嘘で織り込まれた物語。やがて王都へ行ったのちこの経験をうまく話せば、娯楽を求める貴族の間で面白い噂になるかもしれない。
土と埃にまみれた田舎から離れ、王都の石畳と美しく着飾った人々の間で噂になる自身の姿。マリエッタの小さな口元に自然と笑みがこぼれる。
屍狼に噛まれた騎士達は回復せず病に倒れ、人員が減り、騎士団が失脚すれば、その計画の一端を担っていた王弟派の叔父の働きも認められる。
父とマリエッタは、王都ナティアの治療院で地位を得るだろう。
そんなマリエッタの予定を狂わそうとするのは、またあの自分の立場を知らない愚かな女だった。
◇
治療院の食堂のテーブルには、真っ白なクロスがかかっている。
大きな窓の外は眩しいぐらいの光と、裏庭に少し離れて干された洗濯物がはためく様子が見える。
治療院で出される食事は豪華とは言えないが、朝のうちに届けられる新鮮な食材を中心に丁寧に作られていた。
村の食堂とは違って、話し声も静かに、食器の触れ合う音が聞こえるぐらいだった。
その中でルネは自身は、口することが出来ない食事の匂いにひもじさを抱えながら、食事の配膳や片付けをしていた。
もっともグエンに、パンや菓子を渡されるようになってからは、だいぶ気が楽になっていた。今もポケットには、乾燥した木の実がお守りのように入っていた。
「例の雑用女。夜の洗濯室で病錬の騎士様に言い寄ってたらしいよ」
「癒しの力があるとか嘘ついて、身体に触ってたんだって」
「えぇ。気持ち悪すぎ」
耳をふさぎたい。聞き間違いだと、言われているのは自分では無いとルネは思いたかった。
「癒し手の力もない癖に、勝手すぎない?」
ルネは身のすくむ思いで、食堂の端で食べ終えた皿を重ねていた。
その耳にかたん、と何かが倒れる音が聞こえた。振り返ると、テーブルの上から白いミルクが滴っていた。
「早く」
マリエッタだった。
こぼした本人は皿の上から視線をうつすことなく、銀のスプーンを唇にはこび、優雅に食事を続けている。
言葉の続きは、拭きなさいという無言の命令だ。倒したのもワザとだろう。ルネがそんな彼女たちに近寄るには、強い意志が必要だった。
「失礼します」
テーブルの上を清潔なふきんでふき取るルネに、視線が集まる。
重い沈黙と好奇の目。
クロスを拭き終わると、別の布を取り出して食堂の固い床に膝をついた。床の上に出来た白い水たまりを、雑巾でふき取る。
と、頭に何かがあたり、それが流れた。冷たい。ルネの頭から流れる液体がまた白い水たまりを大きくする。
あ、と思ったがじっとしていた。
それが一番被害が少なくて済む。彼女らの思うとおりにさせたほうがいい。
「あなた、いつもお腹すいてるんでしょう? わたし優しいからミルクあげてるの」
マリエッタの甘い声。
雑用係に服など一着しかない、洗う暇が無いことも彼女達は知っている。いつ洗えるのかしらね。臭くなりそうと楽しそうに笑われ、ルネは静かに耐えた。
その場を離れてから、我慢しきれず涙がこぼれた。
だから自分に相応しくないことをしたくなかった。王立騎士に関わるなど、余計なことをしたくなかった。
時間がたてば彼女らも忘れると、飽きると思いたい。しばらく耐えるしかない。現状がそれほど良くなるなんて考えてはいけない。
どうせ他に行く場所なんてないんだから。
寝る場所があって、食べ物が貰える。ここを出て行ったら、それすら手に入らなくなるかもしれない。だから何も考えてはいけない。
◇
「あなたはこれから調理場の下働きです。洗濯室には二度と近づいてはなりません。どうしてだかわかりますね」
治療院を全体の人員を管理する婦長は、いらいらとこれ見よがしにため息をついた。
ルネは震えを押さえながら小さく「はい」と返事をするのがやっとだった。
調理場へ向かう途中で、年かさの女中とすれ違う。
「まったく余計なことをしてくれる。こっちだって忙しいんだから。なんであたしらが、洗濯までたたまなきゃならないんだ」
ルネはすみませんと小さく謝罪した。
余計なことを選んだのは自分だ。
けれど。あの時グエンを助けないなんて、選択はなかった。彼を治すことを選んだのは自分だ。
今、彼の病が良くなったのなら。後悔なんてしなくていい。
「あなたの荷物を台所へ持って来なさい。どうせ大したものはないでしょうけど」
「……なぜでしょうか」
「口答えは止めなさい。あなたは調理場の下働きとして、一番に準備を始めなくてはなりません。ここで寝起きをするのです」
「ここで、ですか?」
流石に驚いた。示された台所の一角は、ただの固い床だ。
「ええ、外に放りだされなかっただけ、良かったと思わなくてはなりませんよ。慈悲をくださった院長に、感謝しなければなりません」
返事すらできなかった。
張りつめていた気が抜けた。抗うことも出来ず、ルネは寝床からボロの毛布と、わずかな身の回りの物を持って指示された台所の隅に置いた。
グエンと会うことはもう無いだろう。
待遇の変化を笑う人の目に、精神が擦り切れそうな一日だった。ルネは小さく丸まって目をつむる。この先、耐えられるのだろうか。
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