2-5 治療した本人が力を疑い、治療された側が呆れる
グエンは毎夜、洗濯室へ通う内に自身の身体の変化がわかるようになった。
数日前まで、床に踵をつけるたびに、脳に響く様な不快感を覚えていた。
そのため噛まれて身体に痺れが出てから杖を補助として、つま先に体重を乗せるように慎重に移動していたのだ。
今朝になって寝起きの手足を伸ばし、身体の感覚を確かめたとき、明らかに痺れが薄れた感覚があった。
病室の板壁から手を離し、踏み出す。一歩、二歩。
歩ける。思わず笑いが出た。
「嘘だろ。お前、歩けるのか」
アレックの声に、バートがぽかんと口を開ける。
「え」
グエンが部屋の端まで自力で歩ききるのを、部下たちは驚きと共に見ていた。
「隊長の回復力はおかしいって。普通じゃないって」
包帯を巻いた不自由な手で寝台を叩きながら、レオンが失礼なことを言って騒いでいる。
明らかに改善している。部下たちに早まって報告し、期待と失望をさせないように、まだ理由は告げていない。
しかし何も言わずとも、にやりと笑った上司の顔に部下たちは何か予感を感じていた。
◇
「ここまで回復出来るとは思わなかった」
グエンは今日も杖を補助的に持っているが、無くても歩けるのだと立ち上がる。しっかりと床を踏みしめて歩いて見せる彼を、ルネは呆然と見ていた。
疑念が湧いてくる。
……この男の人は、もともと歩けるのに私に嘘をついていたのではないか。
「本当に病気でしたか。私を騙してはいませんか」
「なんだその言い方は。だいたい騙して何の得があるんだ」
グエンは「まさか、そんな反応が返って来るとは」と呆れ、嘘だろ、とうんざりとした表情を作る。
「からかわれているのかと」
「からかってるわけがあるか。ありがとう。とても感謝している」
「……お役に立てて光栄です」
悔しくないかと、グエンが言った。
「雑用しかさせてもらえないで。ルネは、ここミネダの治療院の、最良の癒し手だろ」
「違いますよ」
「誰も直したことのない病を治したんだ。もっと自信をもっていい。交渉してやろうか? 待遇とか、給金とか」
「いえ、そういうの本当にやめてください」
「おかしいだろ、この状況」
迷惑だと言う顔で首を振ったルネに、グエンは不満そうに口をつぐんだ。
「力を使う予定が無くても、練習して忘れないようにしてたんだろ。間違いなく偉いよ、ルネは」
「ありがとうございます」
喜ばれて嬉しいという、素直な気持ちはある。
彼が回復したこと、自分にも人の役に立てる力があったこと、ルネは両方に喜びを感じていた。
が、まだ腑に落ちないものがある。癒しの力をほぼ失った自分に出来るのに、どうして他の人はこの方法で治療をしないのだろう。
力の少ない今の自分にでも出来ることから、眠りの力は、癒し手の力よりも劣る、気休めのような力だと思っていた。
それがどうして、病の回復に効くのか。
癒し手に出来ない? いや、まさか。
じゃあ、力の使い方を知らないだけなんだろうか……。
「君の力が間違いないことがわかった」
ルネの自身の力への疑問と、何となく抱えている不安とは逆に、グエンは核心に満ちた顔をしている。
「この病にかかっているのは俺だけじゃない。他にも苦しんでる仲間がいる。症状は、日に日に悪くなっている」
真剣な顔で、頼むと男は言う。ルネはこれから聞かされる内容に不安を覚え、顔を曇らせた。起こり得る、悪い変化を想像してしまう。
「頼む、仲間も助けてくれ」
ルネは、いいえいいえと首を振る。
「そんなことできません」
苦しんでいる人を助けたくないわけじゃない。でも、今も十分勝手な行動をしているが、これ以上、さらに目立つことをしたら。
「正式に、君に癒し手として治療をしてもらいたい」
「私は癒し手ではありません。なれないんです」
「こうして直してくれただろう。君が雑用として働くとは、一体どういった事情なんだ」
「それは」
私が弱いからだ。
父を亡くし、母と身を寄せていた山の治療院は、村ごと山火事で焼け出された。
その時に唯一の身寄りだった母も亡くした。
治療院の院長に出会ったのは、他の焼き出された人と同じく、一時的に身を寄せていた
山の治療院でも使っていた眠りの力を、ルネは身を寄せた救貧院でも、不安で眠れない人たちに気休めとして使っていた。母を失った辛い時期にも、人に感謝される、人の役に立てたことは、ルネの心を大いになぐさめた。
そこから能力があると見出され、院長に癒し手として拾われた。しかしその力は、ここミネダの治療院に来て、たった一年であっけなく消えた。
ルネと同じ時期に、治療院で働き始めた人は、癒し手として力を持続させ働いている。
治療院での生活は忙しく、マリエッタや周りの癒し手との不仲もあったが、仕事量としてはルネと他の人はほとんど同じだった。
それなのに。
ルネの体力と気力は消耗し、身体が耐えられなかった。身体と心に疲労を感じ、余裕がない日々を過ごすうちに、癒しの力は失われてしまった。
ミネダも田舎の町ではあるが、子供のころから暮らしていた、森や山が身近な生活と違っていた。その環境の変化もあったかもしれない。
他の人は業務を普通にこなしていたのに出来たのに、自分は出来なかった。
それがルネに負い目を感じさせる。
自分の弱さを目の当たりにする屈辱。その痛みをグエンに話すことが出来なかった。
「院長に話をする。王立騎士団として、最良の治療を望んでいると。そのためなら、事情を考慮してくれるだろう」
グエンは言い切る。この話は自分たちは勿論、ルネにも良いだろうと思っている。
しかし、ルネはこの件は、そう上手くいかないと思っていた。
自分の待遇の変化を期待する? 期待できるのか? いいえ、と仄暗い不安だけがルネの胸には広がっていた。
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