2-4 雑用係は治療をして、焼き菓子を貰う

 前回は騎士隊長だというグエンを洗濯室で眠らせてしまったが、それはあってはならないことだった。


 噂の騎士がこんなところに居るなんて、しかも寝ていたなんて、誰かに知られては困る。

 そこに関わっているなんて、知られたら終わりだ。


 酷く叱られ、挙句の果てには追い出されるかもしれない。

 そうなってもルネに帰る場所はない。

 幼少期に居た故郷である、山間の集落は山火事で焼け落ちた。両親も居ない。戻る場所なんてない。

 治療院を追い出されてしまったら、家も仕事も無くなったら、どこでどう生きて行けばいいか、ルネにはわからなかった。


 だから、何としても洗濯室で眠らせるわけにはいかない。

 彼が眠くなる少し手前で力を止める。絶対にそれだけは守らなくてはいけない、と自分に強く言い聞かせ、ルネは慎重に眠りの力を使うことにした。

 

 癒し手の力の源は、天の女神イルタの慈悲から来ているという。

 祈りを通じて、女神の加護である癒しを人へと伝え渡す。

 その通り道としての仲介役を果たすのが、癒し手の役割である。魔術師の使う、地の男神ガルダの生み出した魔力を元とする魔術とは対になる存在として、癒しの力はあった。


 女神イルタへの祈り、力の代行者としての役目が癒し手にはある。

 それらはミネダの治療院に来てから教わり、ルネが知ったことだった。

 山間に住んでいた頃も、魔術と癒しの力について聞いたことはあった。ぼんやりと女神と男神の言い伝えも、幼少期大人から聞かされた気はする。

 

 眠りの力については、母は森の精霊の昔話をしていたが、結局解釈が違うだけで似たような力かもしれない。

 力の違いについてはよくわからないが、大事なのは癒せるかどうかなので、ルネにとっては割とどちらでも良かった。


 

 ルネとグエンは、夜の洗濯室で顔を合わせる回数を重ねた。

 その度に、お互いに関する会話も増える。

 彼に関する内容は出来るなら、何も知りたくないとルネは思っていた。それは、余計なことに巻き込まれたくないからだ。

 とはいえ、自分の身に降りかかるかもしれない何らかの事態に対処するにも、病を治すにも原因を探るためにも、彼自身をある程度知る必要はある。

 首を突っ込んだのは結局自分だ。腹をくくるしかない。

 

 それでも出来る限り、彼を眠らせること以外は関わらないようにする。それぐらいしか、面倒ごとに巻き込まれない対処法としては思いつかなかった。


 

 薄暗い洗濯室の、古くくたびれた長椅子と、少し歪んだ木箱。グエンとルネはそれぞれに、お互い向き合うように座っている。

「北の領地を、妙な狼の群れが荒らしている話は聞いたことがあるか?」

「いえ」

 ルネはマリエッタ達が噂話をしていたことを頭に浮かべたが、それは何も知らないに等しかった。


「もともと北方には放牧の羊や、牛を狙う狼の被害は、毎年あったことだが」とグエンが話を始める。

「人が噛まれる被害は、これまでもあった。ただ去年から雨の少なさで、草木の伸びが悪くてな。そうなると、木の実なんかを食べていた小さな生き物たちも減って、結果、腹を空かせた獣たちが増えた」

 ルネは考えをまとめるために、ゆっくり相槌をうつ。

「そのために、他の年よりも人の飼う放牧や家畜への、狼被害が大きかったということですか?」


「そうだ。しかも、羊や牛だけではない。少人数で住まいを移して動く、羊飼いの民が襲われて死人が出始めた」

 追い払うために弓を放った男に噛みつき、数人がかりで狼は追い払ったらしいが、その間にも数人が噛まれ、男達は翌日から熱が上がり始めたという。

 寝付いた男達の病状は悪化し、そのまま起き上がれなくなったとグエンは報告を受け、実際現地に出向いた。

 粗末な寝床に横たわり、男達は赤黒く皮膚をただれさせ死んでいた。

 

「それから被害が広がって、警備隊として、異常な獣の被害を抑えるため目撃された村で配置についた」

 暗闇で対峙したあれは、普通の狼ではなかった。


 剣で腹を引き裂き、目を潰しても向かってくる。折れた前足で。骨が毛皮を突き破った身体で。

 白く濁った目、垂れるよだれと体液の悪臭。

 完全に動けなくなるまで跳びかかってくる姿は、生き物として狂っていた。その恐ろしい光景は、今もグエンの脳裏に染みついている。

 

「奇妙な狼に、噛まれたものが、この病を発症している。同種の狼同士が、飢えで互いに喰い合ううちに、本来の狼と違うものになる。あれは、そういった化け物だ」

 グエンは一度、言葉を切る。自分より年若い女性に話すのを逡巡し、言葉を探した。

「その姿形は、まともな生き物ではない。もう死んでいるような怪我を負っても、動く。足が折れ、立ち上がるのがやっとの状態でも向かってくる、不気味な姿から屍狼しろうと呼ばれている奴らだ」

 

 不潔な傷から、膿んだり高熱を出すといった話はある。

 その場合の対処は傷を洗って清潔にし、あとは日にちを置いて回復を待つしかないと聞いていた。

「どこを噛まれたたんですか」

「左腕」

 跳びかかってきた一匹を切り伏せ、その反対から向かってきた狼に、グエンは左の肘の辺りを噛みつかれた。

 左腕を噛まれて、全身に病が回るものだったらしい。



「杖を突いているのは、足を直接噛まれたことが原因ではないのですか」

「足自体は噛まれてはいないが、しびれが酷くて、力を入れて立ち上がるのが難しい」

 雑用係のルネが、呪いじみた病など治療できる力はない。だとしても、何か出来ることはあるだろうかと考えていた。


 考え込むルネの前で、持参してきた布の包みをグエンが開く。中には茶色の薄い紙に巻かれた包みがった。

「取り敢えずの礼ということで」

「え?」


 渡されたのは、騎士隊に差し入れで届けられた日持ちのする焼き菓子だった。

 使用人であれば、よほど待遇が良くなければ、食事は最低限なものだ。それにしてもルネの袖からのぞく腕も、栄養がだいぶ足りていない貧相さだった。

 その上、この夜更けに治療を頼んでいることで、疲労は増え、睡眠も減っている。

「え、いいんですか」

 ルネの視線は、手元の菓子とグエンの顔を行ったり来たりしている。


「いや、むしろこれだけで悪いな。持ち帰って見つかるのが、まずいんだったら、ここで食べてったほうがいい」

「あ、ええ。ありがとうございます」

 何時もお腹を空かせていたルネは、眩暈がしそうなほど、食べ物が嬉しかった。


 確かに持ち帰る途中で誰かに見つかっては、言い訳が難しい。貰った目の前で食べるなど、はしたない、恥ずかしいとは思ったが、それよりも空腹の方が勝っていた。


 見たことのない整った形をしたそれを、指先でつまむように持ち上げる。

 匂いが甘い。

 勿体ないとは思ったが、遠慮がちな一口から、あっというまに食べてしまった。

 こんな美味しいもの食べたことない。周りはカリカリと焼しめられ日持ちするようになっているが、内側はまだ柔らかい。


「んん」

 思わず声が出た。バターと、砂糖のたくさん入った味に、食べ終わった後の余韻に浸ってしまう。

「気に入ったみたいで良かった」

 目の前で見られていることを思い出し、ルネは恥ずかしくなった。

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