2-1 王都より遠い地の癒し手たちは、王立騎士の噂をする

 あまり眠れなかった。

 いつもより遅く起きたルネは、慌てて古びて固い寝台を降りた。手早く髪をまとめながら、昨夜の行いについて余計なことをしたと後悔していた。

 眠りを促す術を久々に使ったので、力の程度を誤ったのだ。

 

 まさか、そのまま寝てしまうなんて。

 眠りたいという相手の要望に応えられたのだから、一応成功したと言える。

 が、本来なら少し眠気を感じる程度にして、自身のベットへ戻り横になって貰う予定だった。

 それが洗濯室で眠らせてしまうとは。

 

 身体に包帯や、発疹、手足の震えなどはあったが、病気だという割には、髪も身体もしっかりしていた。ゆるい病衣の上に羽織っていた上着や靴も、安物には見えなかった。

 話し方からしても堂々として、きっと身分の高い人なのだろう。

 

 あの場に一人残していくのは申し訳なかったが、そういった人であれば、洗濯室で眠っていたとしてもルネのように酷く怒られはしない。そう判断して、洗濯室を離れたのだ。


 ルネのくたびれた靴の、その親指の先には穴が開いている。

 暗くてよかった。普段から身に着けるものとして慣れてはいるが、粗末な身なりを恥じる気持ちはまだある。ほつれと落ちない汚れのある前掛けを身に着け、ドアの外に出た。

 


 ルネの部屋のある三階は、下働き女中の寝泊まりしていた。狭い階段を降りかけた時、階下から声が聞こえた。

「マリエッタ様の、新しいショール素敵」

 癒し手として治療院へ向かう、自分よりも年若い女性たちがいて、ルネは表情をこわばらせた。

 

「一昨日、王都からいらした叔父様が贈ってくださったの。とってもやわらかくて、軽いのよ」

 小柄な身体から、艶のある肩掛けをふわりと広げたマリエッタに、羨ましいと少女たちが憧れの眼差しをむけている。


「隣国でも人気が出ている商品らしいけど」

「そうなんですね」

「でも、残念ながら今年は狼の被害が多くて、特に手に入りにくいって叔父様が言ってたわ」


 いつもと違う時間に階段を下りようとしたせいだ。

 戻っても音で気づかれていまうかもしれない。ルネは内心で、ため息をつく。見つからぬように階段の影で、彼女たちが通り過ぎるのを待つことにした。

 

「もしかしてマリエッタ様の叔父様は、この前病錬に入った方たちに会いに来たのですか?」

「え? お父様と話があるとは言っていたけど、私にはよく分からないわ。けれど、どうして?」

「だって」


 おどおどとしながらも、どうしても聞いてみたいという好奇心にかられ、彼女は思い切って口を開いた。

「マリエッタ様たちが治療しているあの方たち、王立騎士団の騎士様という噂があります」

「まあ、どこからそんなお話が」

 マリエッタと呼ばれた娘が眉をひそめる。

 

「いらっしゃった時の馬車に、王立騎士団の紋章が刻まれていたのを見たって人が」

「それにこの辺りの人と、まず見た目が違いませんか」


「ミネダの町の、頭はぼさぼさで、いつも野良着の人とは違う雰囲気ですよね」

「そんなことを言ってはいけないわ。でも噂になってしまっているのね」

 首都から離れたこの町では、王立の騎士を見る機会など、あまりない。

 領主に公爵がまれに訪ねた際の護衛ぐらいであり、それも事前に知る人など少なかった。

 白地に金の装飾。王立騎士団の揃いの隊服を身に着け、艶のある毛並みの騎馬を操る姿など、そうそう見れるものではない。

 

「教えていただけませんか」

「気になって仕方ないんです。マリエッタ様たちが診てらっしゃる方は、王立の騎士様ですか?」

「困ったわ。ねぇ、皆さん内緒にしてくださる?」

「勿論です!」


 若い娘たちは、期待に満ちた表情で一心に頷いている。

「……実は、そうなの。病と言うか、狼の呪いだろうと言われていて」

 さまざまな驚きの声が上がる。本物の騎士様、呪いってなに怖いと、口々に言う。


「凶暴で不気味な狼が北の領地に現れてるという話があるの。難しい状況だけど、でも癒しの力で騎士様たち、少しずつ良くなっていると思うわ」

「さすがマリエッタ様ですね」


「これは秘密にしてね。小さな病院の中ですし、自然と広まってしまうかもしれないけど、騎士様たちも騒がれることを望んでいないわ。王都の治療院から移動してきたのも、静養が必要だからと言うお話だから」


「そうだったんですね。ええ、私たち絶対言いません」

「言いません。……でもマリエッタ様、騎士様のお話、ときどき聞かせていただけませんか? どんなお話してるか気になります」

「呪いの騎士様を救うなんて憧れます」

 甘えたような声に、何もありませんよと口元を押さえて微笑む。堂々とした笑みは、自分が他人にどう見えているかわかっている自信のようにも見えた。


「あら、あの人こんなところで何をしてるのかしら。下働きの癖にこんな時間に」


 ルネははっとして身を引いた。

「盗み聞きなんて気持ち悪い。やっぱりあの人、育ちがまともじゃないのよ」

「院長先生が慈悲で、治療院に置いてあげてるのに」

「先生もお嬢様もお優しいですね。結局癒し手の才もなかったのに、雑用させて寝る場所とご飯をあげるなんて」


「だって、お家がなくて可哀そうなんですもの」

 困ったように笑うマリエッタの声と、複数の強い視線を感じた。


「でもあなたって」

 床の木目を見ていたルネの視線が動揺して動く。

「本当の、役立たずなのね」


 仕方のない人と小首を傾ける愛らしい仕草と、一瞬視界に入ってしまった冷たい目に、ルネの身体は強張った。

「さあ、行きましょ。私たちは今日も忙しいのよ」

 そうね、と笑い合う声と、靴音が通り過ぎる。

 余計な失敗をしないようにと思っていたのに。


「ただでさえ、愚図なんだから気を付けなさいよ」

 最後に、言われた忠告。聞きなじみのある声に、ルネははっと顔を上げる。

 

 その声の主は振り返らなかった。

 半年前までは、普通に話していた。

 彼女は、――アニスは、とっつきにくい話し方をするだけで、自分でそれに気づいたら慌てて謝るような子だった。だから今の言葉は優しさの忠告だと思いたい。

 けれど心に余裕のない今のルネは、ただ嫌われてしまった、と結局そう思うことしか出来なかった。

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