十 壁。

 すっかり気絶してしまったリッカードが目を覚ましたのは、二日後の事だった。

 右腕、同拳と右足の甲を骨折していて、直るのに最低でも三月みつきはかかると医者に言われた。

「リック。生きててよかった……!」

 セイラには半泣きでそう言われ、ベスティはしばらく口をきいてくれなかった。

 それでも出されたスープはおいしかった。

「……ほんとにごめん!」

 何とか機嫌を直してくれと謝り通すこと十三回目。彼女はようやく折れてくれた。

「……次無茶したら許さないから。」

「約束はできない。」

 一度あることは二度ある。それに宝石店をやっている以上、年に二回くらいは強盗に入られるから、難しい話だった。

「じゃあ、無茶しそうなときは事前に言って。」

「事前に言えるのは無茶って言わないと思うんだが?」

 ベスティが鋭い視線を向けてくる。

「何か言った?」

「ちゃんと言います。」

「よろしい。」

 そこで彼は、さっそく言わねばならないことに気づいた。

「今から無茶する。」

「何よ?」

「仕事する。」

「馬鹿なの?」

「しょうがないだろ?店開かなきゃお金作れないし、工具修理止めてたからみんな困ってるだろうし。」

「それは……そうね。」

「感覚が鈍ってるだろうから、今日一杯練習して、明日から店開く。」

「確かに、無茶ね。」

「俺ら庶民ははお貴族様と違って、疲れたから休むなんて許されないからな。」

「じゃあ、私も手伝うわよ。」

「いいのか?」

 今まで店の事情には立ち入ってこなかったベスティだったから、リッカードはだいぶ驚いた。

「スズカから言われてたんだろ?あんまり干渉しすぎるなって。」

 彼女は頷いた。

「辞めたの。」

「……は?」

 リッカードは聞き取れたし、理解したが、しかし信じられず聞き返した。

「アイレア家のメイド、辞めてやったのよ。」

 ちょっと誇らしげに言うが、いったい何がそんな表情をさせるのか理解できなかった。

「何で?!」

 アイレア家は名家だ。そこをやめるということは、他の貴族のところではまず間違いなく雇ってもらえなくなる。

 結束。それがこの国の貴族の性質だ。

「セイラが純血だって分かって、私じゃ手に負えないから帰ってこいって言われたの。」

「うん。」

「アイレア家にはお世話になったけど、あなたも言ったでしょ。私メイド向いてないって。」

「言った。」

「だから、この際だから良いかと思って。……というわけで。」

 ベスティは姿勢をきれいに直して、恭しく頭を下げた。

 そして顔を上げると、表情はとても明るく、辞めたことを全く後悔していないのが伝わってきた。

「これから面倒見てちょうだいね。ご主人様。」

 しかも前と違って、ご主人様の言い方が自然で、違和感がなかった。

 それは一向に構わないリッカードだったが、しかしどうしても言いたいことがあった。

「辞める前に一声かけてくれれば、俺が言って何とかなったかもしれないのに。」

「あんた……ご主人様、聞いてた?私向いてないかもって思ったから辞めたの。それにほら、あの家の人たち頑固だから、私を残したとしても、もう一人送り込んでくるわよ。」

「確かに。」

 頑固なのは思っていたが言わなかったことである。

「……それに、言ったでしょ。私がご主人様って呼んだのは、リックが初めてだって。」

「そうだっけ?」

「そうよ。」

「そうか。」

 とりあえず頷いて、工具修理に取りかかることにした。ベスティもついてきた。

 セイラも膝の上で寝かせてくれと言ってきたのだが、さすがに鈍っている腕の下で眠るのは危険すぎると考えて、後でということににした

「私の膝の上なら貸すけど?」

「リックのじゃなきゃ嫌。」

 そう言って彼女はベッドで眠りについた。

「……あの子ね、さっきのさっきまで、ずっと起きてたのよ。」

「マジか。」

 木を打つ音。それを鳴らしているリッカード自身、懐かしく心地よい音だった。

 その傍らで、作業場の入り口の枠に寄りかかり、ベスティが彼が眠っていたときのことを話した。

「さすが人間じゃないというか、ずっとずっと、ご主人様の隣で、手を握り続けてたの。」

「お礼を言わなきゃな。」

 目覚めたときも、確かにすぐそばにいてくれた。あのお陰で、だいぶ安心できたのは確かだった。

「セイラにだけかしら?」

「ベスティも、ありがとう。」

「よろしい。あんたにくっついてるあの子にごはん食べさせるの、ほんっとに大変だったんだから。」

 その様子は、彼にはちょっと想像がつかなかった。

 そんなことを考えていたら、金槌で右指を打ってしまった。

「痛っ」

「大丈夫~?」

 全然心配してなさそうなベスティの声色である。

「あぁ。覚悟のうえでやったからな。」

「ていうか左利きなの?」

「右利きだ。ただ、力加減は左の方が得意なんだ。」

「それはもう左利きって言うんじゃないの?」

「でもスプーンとかは右だ。」

「何それ?」

「気にするだけ無駄ってことだ。」

「なるほどね。」

 ベスティは話が途切れても、全く上に戻る様子を見せなかった。

「セイラが純血なのは……」

 言いかけて、だから辞めたんだと思い出した。

「……知ってたな。」

「えぇ。」

「俺から血を吸ったことは?」

「え、何それ聞いてない。」

「血をあげた。」

「え?つまり眷属になったの?」

「そういえば聞いてなかった。どうなんだろうな?」

 少なくとも実感はしていなかった。

「それ一番大事じゃない。」

 リッカードがあまり気にしていなかったのは、セイラが自分に悪いことをするはずはないと信じていたからだ。

「……だからかしら?」

「何?」

「いや……その、前だったら、セイラよく寝てたじゃない?それが二日も寝ずにいるなんておかしいなって思ってたのよ。」

「確かに、そうだな。」

「やっぱり、血は必要なのね。」

 ベスティは少し悲しそうにそう言った。

「そうだな。……痛い。」

「またやったの?」

「あぁ。駄目だなこりゃ。」

「休む?」

「いや、もう少しやれば何とかなると思う。」

「じゃあ、私は上に戻るから。」

「あぁ。……あ!ちょっと待って。」

「何?」

「今って朝?」

「午後よ。三つ目の鐘が買い物行ってるときに鳴ったから、日暮れまではあと二刻くらい。」

「ありがとう。」

 結局、翌日開店は厳しいと判断して、やめた。

「思ったより早く戻ってきたわね。」

 ベスティは一人お茶していた。しかしリッカードのことを考えていなかったわけではないようで、すぐに彼の分も淹れた。

「……あぁ、そう。だからね、スズカ様がいつ来るかはもう分からないから。」

「そうか。」

「まぁ、この家見張られてるから、もうすぐ来るとは思うけど。」

「やっぱり見張られてるのか。」

 彼も薄々気づいていた。来る時間が常々都合良すぎるように感じていた。

「それはそうよ。大事な相手なんだもの。」

「何か実感沸かないんだよなぁ。」

「贅沢な悩みね。」

「いやだって、結婚って、好き同士がするものだろ?」

 ベスティは笑ってお茶を吹きそうになっていた。

「ご主人様って、意外と純情なのね。むしろ貴族なんて大体が好きでもない相手と結婚するんだから、スズカ様は幸せな方だと思うわよ。」

「俺の気持ちは無視か?」

「スズカ様のこと嫌いなの?」

「嫌いじゃないが、俺からすればスズカ様は貴族なんだ。」

「なんかご主人様の方が女々しいわね。」

 女々しいというか、宝石店で貴族と関わってきて、感じてしまったことだ。

 庶民と貴族は、あまりに遠い。

「悪かったな。」

「……ん……」

 声。セイラだ。

 彼女が寝ぼけた目でリッカードをじっと見ている。

「膝枕するか?」

「……うん。」

 セイラは膝に乗るなりすぐに眠った。

「本当に、きれいだよな。」

 セイラの頭を撫でながら、思ったことを口にする。

「なによ改めて。」

「例の吸血鬼いただろ?彼女は黒髪だったし、目の色も、この子みたいに明るくなかった。」

「だって、その子純血なんでしょ?特別に決まってるじゃない。」

「じゃあ何で夜の道端で野垂れてたんだ?」

「知らないわよ。」

 そう、おかしな話だった。

 回りの話曰く、純血はとても力のあるようだった。確かにセイラは強かったように感じたが、同時に違和感もある。

「それよりもずっと、血を吸われたことの方が問題なのよ。何でさっき起きたときに聞かなかったわけ?」

「あ、忘れてた。」

「まったく。次起きたら私が聞くわ。」

「そうだな。その方が良さそうだ。」

「ついでに私の元ご主人様が来たわよ。」

「え?」

 まったく気づかなかった。そのうえ下から声が聞こえてくるわけでもない。一体どこに、そう思ってセイラの頭を下ろそうとしたのとほぼ同時、嘶きが聞こえた、

「耳が良いのか?」

「勘が良いのよ。私が出迎えるから、そのままにしてていいわよ。」

「良いのか?」

「何が?」

「やめたばっかの元主人と会うの、気まずくないか?」

「気にしたら負けよ。」

 そう言ってベスティは下へ降りていった。

「ベスティ。私に挨拶もなしに辞めるなんて。」

「ちょうどいなかったので。それに、こうやってどうせ会えますから。」

「……なぜです?」

 それが辞めた理由を問うているのはすぐに分かった、

「私がメイドに向いていないのは、あなたが一番知っていましたでしょう?」

「そんなもの、いくらだってこれから変えていけるではありませんか?」

 そんなもの。と言うが、ベスティにとっては芯の部分だった。

 貴族達が下衆な話をしているとき、スズカが裏に手を回しているとき、それを黙って見過ごすこと。セイラは吸血鬼でリッカードを狙うかもしれないから、助けず、手を貸さずただ傍観しろという指示を守ること。

 間違っていると思うことを耐えることは、苦痛だった。

「それはできません。」

「……そうですか。」

 スズカはとても悲しそうだった。

「私のことを一度もご主人様と呼んでくれませんでしたね。」

「表で仕える身分ではなかったので。」

 スズカはベスティを睨み付け、言った。

「……恩知らず。」

 ベスティは微笑んで言うことができた。

「甘んじて受けましょう。」

「でも、リッカードと私が結婚すれば、あなたは再び私に仕えることになります。」

 スズカは気づいて嬉しそうに言った。

「それはそうですね。ですが……」

 そこまで言ってから、これは伝えるべきではないかもしれないと気づいた。

「何です?」

 しかしこの空気の中で引くことはできない。だから思いきって言った。

「あなたは身分の違いというものを理解した方がいいと思います。」

 するとスズカの瞳が鋭い光を帯びた。

「あなたも、リックは私に釣り合わないとおっしゃるつもりですか?」

 胃が痛くなるような圧。しかしスズカの発言は的を射ていなかったから、続けた。

「いいえ。ただ、彼の配慮をいつまでも甘んじているようでは、本当に好き同士にはなれないと言いたかっただけです。」

「は?」

 スズカは若干怒っていた。彼のことを何知ったように言っているんだと。

 ベスティはそれには取り合うこと無く、彼女を二階へと案内した。

「リック。起きたのですね。良かった。」

 とは言いつつ、膝の上で眠っているセイラに少し厳しい目を向けるスズカ。

「えぇ。何とか。」

 リッカードは気にしない。そのくらい簡単に予想できていたから。

「で、どんな用でしょう?」

 その言葉を聞いて、さっきベスティから言われた言葉が、スズカの頭によぎった。

「……い、いえ、ただ目覚めたと聞きましたので、急いで来たんです。」

 すこし様子がおかしくなるスズカ。

 リッカードはベスティを見た。彼女はわざとらしく首をかしげたが、下で何かを話していたのは知っている。だから余計なことを吹き込みやがって。と睨みつけておく。

「わざわざありがとうございます。」

「いえ、気にしないでください。私がしたくてしたので。」

「お茶でも飲んでいきます?」

 スズカは目を泳がせて、そこから無茶をしたような笑みで言った。

「……ごめんなさい!まだ用事が残っているので。」

「そうですか。また気が向いたら来てください。」

「えぇ、喜んで。」

 彼女は急ぎ足で扉のところまで行き、何かを思い出したように止まった。

「一つ、聞いてもいいかしら?」

「えぇ。どうぞ。」

「その頸の痕はまさか……」

 一番気づかれてはいけない相手に気づかれた。

 隠しても仕方がないので、彼は白状する。

「えぇ、セイラに血をあげたんです。」

 スズカの様子が豹変した。

「いつ!」

 リッカードはセイラを膝から下ろし、二人の動線の間に立つ。

「あの直下の吸血鬼と戦った時にです。」

 後ろで布の擦れる音、スズカもそちらに視線をやった。

「眷属にされたのですか?」

「……してない。」

 セイラが起きていた。

「それは本当ですか?」

 スズカは今までだったら掴みかかってもおかしくない状況だが、しなかった。

「ほんと。大事な人に酷いことはしない。」

「なら、いいのです。……リック、体に異常はありませんか?」

「えぇ。」

 リッカードはそこで気づいた。もしかして二日間も気を失っていたのは血を吸われ過ぎたからではないかと。

「そうですか。では、私はこれで。」

 どこか悲しそうな背中に不安を抱いて、彼は呼び止めた。

 しかしただ心配や懸念を伝えたところで、彼女は聞きいれてはくれない。

「スズカ。」

 スズカは止まる。

「何でしょう?」

「髪飾り、着けてくれてないんですか?」

「あっ。」

 そう、着けていなかった。ちなみにセイラも着けていない。

「ごめんなさい。すっかり。」

「次会うときは着けてきてくれると嬉しいです。」

「えぇ。喜んで。」

 だいぶ元気そうになって出ていったスズカ。ベスティがにこにこしながら近づいてきた。

「リックってやっぱりスズカ様にだけ強いわよね。」

「何だよ強いって。」

「人狼に銀みたいなことよ。」

「なおさら分からん。」

「リック。」

 セイラの声。

「ん?」

「セイラも着けてない。」

「着けたいのか?」

 彼女は頷いた。

「何か、セイラわがままになってない?」

「わがままして良いって言ったからだな。」

「めんどくさくなった気がする。」

「良いんだよ。小さい頃はこのくらいで。」

 セイラに赤い髪飾りを着ける。彼女は嬉しそうに笑って、リッカードに抱きついた。

「だって。」

「はぁ……」

「へへへ。勝った。」

「呆れただけよ。」

 ベスティが会話に混ざり始めたお陰で、それからはだいぶ賑やかになった。

 そして深夜。眠りすぎて起きてしまったリッカードは、窓の外を眺める少女の後姿を見た。

「……起こしちゃった?」

 セイラだ。いつもとは雰囲気がまったく違うせいで、寝起きでは一瞬判断がつかなかった

 瞳の輝きが、記憶より増している。

「いや。寝れなかっただけだ。」

「そっか。」

 輝きが消えた。

「消せるのか?」

「うん。」

 リッカードはずっと聞きたかったことがあった。

「……眷属にしなかったのは何でだ?」

 大切だから、というのは分かったが、しっくりこない。

「したら、リックはいなくなっちゃうから。」

「そうなのか?」

 セイラは頷いた。

 沈黙。不思議な空気が部屋を満たしている。

 セイラの瞳を見返しているだけで、リッカードの脈はどんどん早くなっていく。

「……ねぇ、お願いがある。」

「何だ?」

「前みたいに危ないとき以外は、血は吸わせないで。」

 圧がかかる。反射的に頷いていた。

「もし吸いたいって言っても、断って。……他の人のを吸ったら……殺して。」

 並々ならない覚悟を感じて。今度は反射を押さえ込んで、ちゃんと自分の意思で頷く。

「分かった。俺は保護者だからな。」

「……ごめんなさい。自分一人で解決できれば良いんだけど、」

「良いんだよ。頼ってくれて嬉しい。」

 セイラはリッカードに寄ってこない。リッカードもセイラに近づいてはいかない。お互いそうすべきだと感じていたから。

「……一回吸っちゃうと、吸わないのが辛くなっちゃうの。今だって、近くにいたらおかしくなっちゃいそうだから。」

 人間と怪物の間には、決して埋まらない距離がある。それは、彼らにも例外を作ってはくれなかった。

「朝がきたら、またわがまま言っても良い?」

 リッカードは、それが血を吸いたくなくなる時間なんだと理解した。

「あぁ。」

「じゃあ、ちゃんと寝て?」

 言葉に呼応するように脈が遅くなる。急に眠気が襲ってきて、あっという間に意識を奪い去っていった


 

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