九 かしこし。(下)

 銀の剣を突き立てられた時、別にセイラは死を感じたわけではなかった。

 ただ、とてつもなく痛かった。だから守るために意識を手放した。

 そして夢を見た。

 知らない人の声だった。

『君は何になりたい?』

 若い男の声。リッカードよりもずいぶん高いように感じた。

『分からない。』

『好きなものは?』

『ない。』

 いや、ある。撫でられることと食べることと、寝ることだ。

『なら、大切な相手は?』

『いない。』

 いる。リッカードが。

『……そうか。なら君は真っ白なんだね。』

『たぶんそう。』

『なら、欲しいものはあるかい?』

『……みんなから、愛して欲しい。』

『そっか。なら、その力を君に与えよう。』

「……どうだい?」

 さっきまで遠かった声が、急に近づいて聞こえた。

 対面には誰かが立っている。しかし顔は逆光で見えない。

「そんなものより、欲しいものがある。」

「おや?何かもッと欲しいものが?」

「リックを救いたい。」

 見えないが、相手は笑ったように思えた。

「大切な人ができたんだね。良かった。」

「力はくれないの?」

「もう持ってるだろ?」

「そうなの?」

「君は知ってるはずだ。」

「……そうかも。」

「変わったね。君は。」

「あなたは?」

「僕?僕はもう変われない。何しろ君たちの世界にはいないからね。」

「じゃあ、ここは……」

「難しいことを考えすぎちゃダメだよ。」

「考えなくて、いい。」

 リッカードに言われた言葉だ。

「そう。……どうやら、相当の良いひとに巡りあえたんだね。」

 光が急に強くなる。

「ともかく。良かった。最期に君の名前を呼べて。」

 彼は再び笑い、言った。

「幸せにね、セイラ。」


 ◇ ◆ ◇ 


 セイラは目覚めた。激しい痛みが胸にある。

 頭がぐらぐらしながらも、状況を整理しようと頑張っていた。

 しかし、いらない。

 セイラは気づいた。自分の力を邪魔しているのは、この頭だ。考えすぎて、うじうじして、結局やめる、つまりこれが余計なことを考えるのをやめれば、リッカードを救うことができる。

 だから、すべき事はもう分かっていた。

 剣を抜き、それを喉に当てる。

 そして、切る。

 命の危機に陥れば、きっと良い感じになる。そんな見切り発車でやるなんて、普段なら考えられなかった。

「セイラ?!」

 リッカードが驚きに叫ぶ。彼の声を聞くだけで、とても安心できた。

「愚かしい。」

「……違う。」

 血が滴る。それは床に溶けて、陰を支配した。

「『動くな』!」

「!」

 ミレーナが硬直した。同時にリッカードの拘束が解け、彼はよろけながらもセイラに駆け寄った。

「リック。血が欲しい。」

「あぁ。わかった。」

「下賎が!私のものに手を出すな!」

「リックはリック。あなたのものじゃない。」

 言ってセイラは、リッカードの首筋に噛みついた。

 彼の顔が歪む。

 初めての行為。けれど、驚くくらい自然にできた。

 舌から何かよく分からないものを流し込むことで眷属にできるとわかったが、それは嫌だったから舌を丸めた。

 暖かいものが流れ込んでくる。そして身体中の傷がたちまち直る。

 頭の中がとろけて、暖かいまどろみに包まれていく。このままずっとこうしていられたらと、セイラは思った。

「……ちょっとセイラ。ヤバイかも。」

「!」

 急いで離す。これ以上吸うと恐らく彼が死ぬ。

「許さない。」

 本気で怒った様子のミレーナ。その瞳が強く輝き、硬直を払い飛ばした。

「殺してやる!」

 彼女は一歩踏み出すと、陰に沈んで消えた。

「嘘だろ?」

 あんなのをどうにかしようとしていたとしていたと知って、リッカードは唖然とした。

「大丈夫だよ。私が守るから。」

「ありがとう。」

 ミレーナは隠れたつもりだろうが、そんなことは全然なかった。正直このまま粘られると面倒だったから、陰を

「?!」

 いきなりこちらに戻されたミレーナは驚いた様子だった。

「ここにいてね。」

 「あぁ、わかった。」

 セイラはゆったりと彼女へ向かう、対して近づかれまいと陰を展開するが、それはセイラの一歩に全て消される。

 窮した彼女は、ようやく拳を出した。

 瞬間、セイラの姿が消えた。

 そして、背後から足を刈って、倒れたその腹に足を叩きつける。

「がッ!」

 そして、リッカードを見た。

「……ここから、どうすれば良いの?」

「よそ見するな!」

 ミレーナはその隙に陰に潜った。そしてリッカードの足を、何かが掴んだ。

「まずい!」

 引き込まれる。その先がどうなっているのかは分からなかったが、危険なのは確かだった。

「リック!」

 足が見えなくなる。止めたくてもどうしようもない。セイラが駆け寄ってくるが、それより早く、全身が陰に沈んだ。

 暗い。足元にからミレーナが上がってくる。

 逃げようと掻くが、しかし全く感触がない。息ができない。

 その肩を掴んで、彼女が這い上がってくる。

「苦しいだろう?今楽にしてやる。」

 近づいてくる顔を押し退ける。彼女は抵抗しなかった。

「別に構わないぞ。だが、どれだけあがいても、ここにはセイラは来ない。」

 しかしリッカードは気づいていた。そもそも一回目の時に引っ張り出されていたのはどこのどいつだと。

「!」

 ミレーナは驚いた様子で上を見た。そこにはセイラがいた。

「くそッ!なぜだ?!」

 彼女はリックをひっ掴んでより深くへ行こうとする。

 彼はそろそろ限界だった。最後の意地で手を伸ばす。

 そこにセイラが追いついてきて、掴んだ。

「リック!」

 しかし後ろからミレーナが抱きついてきて、そして強引に頸を出させた。

「お前にはやらん。」

 ニヤリと笑う彼女。

 セイラはリッカードの腕を引いて自分を近づけると、ミレーナに頭突きをした。

「なッ!」

 ミレーナが力む。そのせいで、脇腹の辺りに激痛が走った。

 歯を食いしばる。叫びたくても出せるものは何もない。

 セイラはリックを引いて、凄まじい速度で上へ向かった。ミレーナは追ってこなかった。

「ぷはッ!」

 辛うじて生きていたリッカード。

 周りに人がいるのも気にしないで、とりあえず言いたいことは一つだった。

「二度と行きたくない!」

「ごめんね。リック。」

 セイラはリッカードが再び沈んでしまわないように抱いていた。

 周囲にはリッカード達がいないと大慌ての人々が、突然陰から出てきた彼らに驚いていた。

「リッカード殿!そんなところに!今助けに参ります!」

 よく分からないが男性が助けに来てくれた。手を取って引き上げようとするが、上がらない。

「痛い痛い!」

「むぅッ?!」

 理屈はよくは分からないが、ともかく陰から出られない。かと思いきや、先に救出されたセイラが手を添えると、とたんに出ることができた。

「吸血鬼の陰は、作った人か、それより強い吸血鬼じゃないと干渉できない。」

 なんというかセイラの様子がいつもと違って見えて、リッカードは不安になった。

「じゃあ、セイラはあいつより強いってことか?」

「わかんない。」

 そこはいつも通りだった。

「リック!」

 スズカが遅れてやってきた。リッカードは少し怒っていた。

「だからこっちにも何人か置いといてくれって言ったんですよ!」

「ごめんなさい。倒してすぐに駆けつければ大丈夫だろうと。」

「で?なんで遅れたんです?」

「理由は分かりませんが、なぜか吸血鬼達が死ななくて。」

 それには心当たりがあった。

 しかしそういうことも踏まえて護衛を置いてほしかった。もしかして狼の血族は頭が筋肉でできていやしないだろうかと不安になった。

「で、あれは片付けたのですか?」

 二人で首を振る。

 セイラがスズカの足元を指す。

「そこにいる。」

 というのとほぼ同時、スズカの足を陰から出てきた手が掴んだ。そして引き込まんとするが、動かない。

「愚かですね。」

 彼女は足を振り上げた。するとつられてミレーナが出てくる。

「!!」

「お忘れですか?狼の方が強いということを。」

 すぐさま逃げようとするミレーナ、しかしスズカが体を踏みつけると、それはできなくなった。

「……何が起きたんです?今。」

「吸血鬼と狼は、互いに互いの影響を打ち消しあうんです。つまり私たちに触れた状態では、吸血鬼のどんな特殊な力も使えません。」

 セイラもそれは知らなかったようで、感心した様子だった。

 そしてミレーナも驚いていた。

「力差がない……だと?」

 それを聞いてスズカはわざとらしく反応をした。

「あぁ!そうでした!これは特殊な例ですが、圧倒的な力差があれば、力を打ち消されることはありません。」

 スズカはミレーナに顔を近づけ、言った。

「ここは私達の屋敷だ。私達のもので溢れ、私達の術が張られている。分かるか?お前はここに来た時点で負けていたんだよ。」

「ハハハ」

「何がおかしい?」

 ミレーナは満面の笑みで言った。

「私が誰か忘れたようだな?直下だぞ?私が呼べばあの方は答えてくださる。さぞ恐れるが良い!ハハハッ!」

 そして目を瞑り何かを呟くと、ガクリと体から力が抜けた。スズカは慌てて後退する。

「お父様!」

「待たせたな!」

 力強い声が響く。そして窓をぶち割ってガタイの良い男性が飛び込んできた。

「あちららの片付けに手間取ってしまってな。すまないな!」

「構いません。セイラが頑張ってくれましたから。」

 彼はリッカードの身長はあろうかという巨大な剣を片手に握っていた。

「そうかそうか!」

 彼はセイラが吸血鬼と聞いても「争いは終わったんだ。仲良くしようじゃないか。」と言って、ちゃんともてなすように言っていた。

「……それで、奴は?」

 しかし今、ミレーナを見る目は、明らかに殺意を孕んでいる。

「純血を呼ぶとかなんとか言っていて……」

「純血か……それはまずいな。私でも敵わんだろう。」

 場がざわめく。そんな中突然ミレーナが上体を起こして、座った。

「して、これはどういう状況なのかしら?」

 言って見回す瞳の輝きが明らかに違う。赤白く、煌々としている。纏っている雰囲気も、先ほどと比べて明らかに厳かだ。

「……なるほど?つまりあなたはあの男性を狙ったんですね?」

 スズカとセイラが庇うように立つ。ミレーナの体を借りた誰かは笑った。

「安心なさい。手は出しません。何せわたくしには関係ないのですから。……ん?」

 先ほどから見えない誰かと話しているのは、恐らくミレーナ本人だろうと推測できた。

「何を言っているのですか?これはあなたの判断でしょう?それに、相手の同意を得ずに眷属にしようとするのは、あまりに身勝手ではなくて?」

 こちらはまっとうそうで、皆がある程度は安心した。

「今気づいたのですが、そこの方々は狼の方々ではありませんこと?」

 セイラも、その父も頷く。

「狼のものに手を出そうとするなんて、何をなさっているんです?」

 沈黙。何を言っているかは知らないが、明らかに表情が曇っていた。

「ふざけた持論もいい加減になさい。そもそもあの男性がここにいるのが答えでしょう?彼は狼と友好を結んでいる。それを無理矢理奪うのは、たとえどのような相手でもよくありません。ましてそれが狼ならば、です。滅ぼされたいのですか?」

 再び沈黙。しかし今度はなにかを聞いているというより、今の状況を見ているといった感じだった。

「そこのお嬢さん。よろしいですか?」

 スズカの方を見たから、彼女が自分か?と聞いたが、ミレーナの体を借りた誰かは首を振った。

「狼の方ではなくて、吸血鬼の。……そう、あなた。少しこっちへ来てくださる?怖いことはいたしませんから。」

 セイラはリッカードを見た。敵意は感じられなかったから頷くと、彼女はゆっくりとミレーナの体へ近づいていった。

「……あなた、愚かなことをしましたね。」

「セイラが?」

 彼女は自分を指差して首をかしげた。

「あぁ、いえ。誤解を招くようなことを言ってしまい申し訳ありません。こちらの話です。」

 ミレーナの体は咳払いをした。

「わたくし、ティアラ=レアと申します。失礼ながら。お名前をうかがっても?」

「セイラ。セイラ……クオルス?」

「そうだ。」

「セイラ様ですか。この度は誠に申し訳ありません。体を動かせればしっかりとお詫びするのですが。」

「気にしなくていい。」

「感謝いたします。ただでさえ少ない吸血鬼の同志を、下らない理由で殺そうと……ちょっと一旦黙りなさい。殺しますよ?」

 めちゃくちゃ言葉に重みがあって、部屋にいた全員が震えた。

「ゴホン。……殺そうとしてしまって。お詫びにこれはセイラ様の自由になさってください。本当はこれでも足りないのですが。」

「いらない。」

「……それは、どのような意図で?」

「普通にいらない。」

 ティアラは笑った。

「そうですか。でしたらこれにはわたくしから厳しく言っておきます。」

「気にしないで。」

「それはどうして?」

「勝ったのは私だから。」

「それはそうでしょう。セイラ様にこの程度の者では及びもしないでしょう。」

 顔がしかめられた。

「あなた、まさかこの方が何者か知らずに挑んだのですか?」

 どうやらそのようなのは彼女の険しくなる表情で明らかだった。

「……セイラ様は、ご身分を隠されてらっしゃるのですか?」

「ううん。むしろセイラも分からないから教えてほしい。」

 大層驚いた様子のティアラ。であればと彼女は言った。

「セイラ様は記憶をなくされてしまったのですね。……いえ、むしろそれが正しいのでしょうか?」

「セイラちゃんは何者なのですか?」

 勝手に自己解決しているティアラに、スズカが聞いた。しかし答えは返ってこない。

「セイラは何なんだ?」

 リッカードが聞く。するこ今度は答えた。

「この方は純血の一人、『虚構の吸血鬼』です。」

 周りが、リッカードを置き去りにしてざわめく。

 そんなに驚くことなのだろうかと思っていると、スズカの父が言った。

「虚構など聞いたことがないぞ?」

 まさかの話だった。というか純血の面子を当たり前のように覚えているのが、さすが狼だなぁとリッカードは感心した。

「それはそれは、狼にも知らぬことがあったのですね。」

「はぐらかすな。」

「はぐらかすに決まっているではありませんか。あなた方に答える義理はありません。わたくしはセイラ様のよすがであるその方に聞かれたから答えたのです。」

 そう言われたから、リッカードはせっかくだからもう少し聞くことにした。

「虚構って、何でそう呼ばれているんだ?」

「時間的にそれが最後の質問になるのですが、それで本当に構いませんか?」

 彼は頷いた。

「期待外れになってしまって申し訳ありませんが、わたくしもよく知らぬのです。」

「それはどうして?」

「虚構は、いないからです。」

「???」

 セイラはここにいるではないか。と頭を捻るリッカード。ティアラは困り顔で、言葉を続けた。

「説明が難しいのですが……簡単に言いますと、虚構は一人がその名を冠するのではなく、前が死ぬと新たに別の吸血鬼が継ぐのです。」

「代替わりするってことか?」

「そう思っていただくのが最適かと。」

「なるほど……」

 そもそもの純血が分からないのでその程度で終わってしまう彼。しかし周りは大騒ぎだった。

「それでは、こいつはわたくしの方で処理いたしますので、どうぞ狼の皆様も手を出さないでいただけますか?」

「うちの屋敷で暴れておいて黙って帰せと?」

 セイラの父が言う。

 一歩間違えればひと悶着起きそうな空気だ。そうしてやっと、狼の血族と吸血鬼はかつて血で血を洗う戦争をしていたことを思い知らさせる。

「庇うと息巻いて結局何もできなかった者達にこいつをどうこうする権利はございません。あるのはセイラ様と、リッカード様です。それでは。」

 再びミレーナの体がぐったりする。途端に窓から何者かが入ってきた。顔はフードのせいでさっぱり捉えることができない。

「……我々はお前達を見ている。もしセイラ様に何かあれば、今度は全ての力でもってお前達を滅ぼす。」

 その吸血鬼はミレーナを雑に担いで出ていった。

 そして改めて見回せば、残ったのはあらゆる物の残骸と、撒き散らされた血。そして少女の死体。

 先ほどの、主にリッカードと少女の戦いがいかに激しかったかを物語っていた。

 そしてその跡は、彼の体にも残っていた。

 ものすごい眠気が襲ってくる。体から力が抜け、全身の痛みを実感する。

 薄れる意識の中で、彼は何とか言葉を放った。

「ちょっと、休む……」

 そして、倒れた。

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