八 かしこし。(上)
「セイラ。ちょっと外行こうか。」
店は普通に開けたのだが、中の状況を見た職人さん達に強制的に閉店させられた。今はガラス職人が割れたところのを作り直してくれている所だった。
つまり店には人がいない。
「うん!」
「何?私を置いてお出かけ?」
「ちょっと裏庭にな。」
少し不機嫌そうだったベスティだったが、それを聞いて普通に戻った。
「行ってらっしゃい。」
この家の裏庭は、実は結構広い。ただ、行くのが少し大変で、狭い隣の家との隙間を抜ける必要がある。もしくは二階から降りるという方法もある。
「……窓弁償してもらおうかな?」
二階に窓は三つあるのだが、よりによってベスティは唯一のガラス窓をぶち割った。理由は分からなくはないのだが、さすがに高いのだ。
「さて、ここが裏庭だ。」
裏手は大きい水路が流れている。下は芝で、その中央に一本の木が立っている。その高さはリッカードがベスティを肩車して、さらに手を伸ばすと届く高さだった。
そしてその回りには色々な花が咲いている。真ん中の木以外はスズカの要望で植えているのでさっぱり手をつけていないが、何か放っておいても元気に育っていた。
「おっきい。」
「これが『セイラ』だ。」
リッカードは中央の木の枝に触れた。
枝はまっすぐに伸び、葉はしっかりと硬い。
「セイラ?」
「そう。セイラの木。……の、性格には挿して増やしたやつ。」
彼の地元では、出ていく若者にセイラの木を増やしたものを送る習慣があった。この木が守り神だからだ。
「夏にはきれいな白い花が咲くんだ。」
「へぇ……。」
セイラも木に触れる。そして触感が気に入ったのか、頬擦りした。
「えへへ。すき。」
「気に入ってくれたならよかった。」
彼は芝生に腰を下ろす。
正直裏庭に来るのも久しぶりだった。
「セイラ。」
「うん?」
「無理しなくていいんだぞ?」
「してないよ?」
リッカードは首を横に振る。
「いや、してるだろ?」
彼女はは少し目線を落とした。
「……ちょっと、だけ。」
「セイラが賢いのは知ってる、だから色々分かっちゃうのも。だけどな、もっとわがまま言っていいんだぞ?」
「よく、分かんないの。」
「何が?」
「分かっちゃうから。どんなお話ししてるのかも、どんな気分なのかも、どうしたら迷惑じゃないかも。」
「それがどうして分からないになるんだ?」
「だって、初めて聞いたのに、知ってるんだよ?」
「……それは確かに、分からんな。」
セイラはリッカードの対面に座って、少し迷ったようすをしてから、口を開いた。
「リッカード。私は、どうしたらいいんでしょうか?」
「???」
急に言葉遣いが変わったから、完全に頭が混乱した。
「これも知ってた。しゃべりもそうだし、今さら普通に名前を呼んだらおかしいってことも。でも本当はそうした方がいいってことも。」
「まじか……。」
それを聞いているだけでリッカードは混乱しそうだった。
しかし、一つ確かなことがあった。
「セイラは、どうしたいんだ?」
「それが分からないの。」
その顔は小さい子がする表情ではなかった。いわゆる憂いというやつだ。
「そうか。……でも、その悩みは誰でも遅かれ早かれぶち当たるぞ?」
「そうなの?」
セイラの表情がわずかに明るくなった。
「思春期って言うんだがな。」
リッカードも悩んだ思い出がある。すでに責任を負わされていたから反抗はなかったが。
「ただ、セイラはちょっと早すぎだな。」
彼女は何も言わない。その頭を撫でる。これまで何度もしてきたことだ。そして彼女はいつも通り嬉しそうにする。
「これは好きだろ?」
「うん。」
「なら、それだけでいいと思うぞ?」
「?」
「疲れるだろ。色々考えるの。」
肯定が返ってくる。
「だから、今はいいんだ。考えなくて。撫でられるのが好きで、ご飯をいっぱい食べる女の子で。」
「そう?」
「あぁ。あと、喋り方なんて楽な方でいい。俺は気にしない。幼い演技をする必要もないし、逆に大人ぶらなくてもいい。」
「そっか。」
「あぁ。だから、空気なんて気にせず甘えていい。」
「じゃあ、ぎゅーってして、」
「もちろん。」
「おでこにちゅーして。」
「急に大胆だなぁ。」
言いつつも要望には応える。
「気にしなくて良いって言ったから。」
「そうだな。」
「このまま寝ても良い?」
「構わない。」
そして本当に寝た。幸せそうな寝顔だった。正直これはいつも通りだ。だからこそ、まだまだ幼い子なんだと分かる。
「例えどうなるとしても、俺は君のそばにいる。」
成り行きのように保護者になったが、覚悟は生半可ではない。あの時のセイラの表情は本物だった。あんな表情はさせたくないと思ったから決めたのだ。
彼女はぐっすりだった。
「……ねぇ、リック。」
二階の窓からベスティが顔を出す。
「どうした?」
「いや、お昼どうするかなって。」
「持ってきて貰えるか?さすがに腹へった。」
「わかった。」
その後セイラが起きたのは夕方になってからだった。
「……今日は来るかしら。」
「いや、たぶん来ない。どっかで誰かが襲われるかもだが。」
「分かってて耐えるのは辛いわね。」
「あぁ。」
「二人とも悪くない。」
「それはそうだがな。」
「そう簡単に諦めがつかないのよ。」
ただ一応、ガラスの納品は遅らせて貰っていた。一応周りの人たちには強盗が入ったと通している。
「そういえば、スズカさんはどうしてるんだ?」
「追っかけてる。襲われたって言ったら、ぶちギレてたわよ。」
「さすがに……大丈夫だよな?」
というのは、突っ走って殺し合いとかにならないだろうかというところである。
「たぶんね。」
「ちょっと心配。」
「そうね。……セイラちゃん。何か変わったわね。」
「変?」
「いえ。むしろ今までの方が変だったわよ。」
「ならよかった。」
予想通りその日は襲撃はなかった。その上近所で誰かが襲われることもなかった。ただ。
「……リック。」
スズカが早朝に顔を出した。
「どうしました?」
「そこの修道院が襲撃にあいました。」
そこの、といえばセイラを育てると決めたところだ。
「被害は?」
「半分がやられました。さらに三人が行方不明です。」
「眷属を増やしたのか。」
スズカは頷いた。
「それで、あなたには私の屋敷に来ていただきます。」
「拒否権は?」
「ありません。もうあなただけの問題ではないのです。」
「分かりました。」
「セイラちゃんも一緒にです。」
「えぇ。分かっています。」
どうせ休業だったので、影響はなかった。当然豪華な屋敷だったが、リッカードは何度か来たことがあったので特に驚きはなかったし。セイラはむしろ嫌そうだった。
それから二日が過ぎた。被害は死者二十三人、行方不明二人だった。
「恐らく。今夜来るでしょう。」
「そうですか。」
「今夜は新月です。私達の力が一番弱まって、あれらの力が一番強まる時です。」
「あなたとセイラちゃんは部屋にいてください。私たちがが守りますから。」
いつもとは違う、本気の表情。自分も戦うと言える雰囲気ではなかった。
「もし襲撃にあったならば、すぐ逃げてください。この部屋にはたくさん銀製品があります。扉にも仕込んでありますから、閉じ込めることはできないはずです。」
「分かりました。」
夜。屋敷は真っ暗だった。どうせ消える明かりで視界を奪われるわけにはいかないからとのことだ。
セイラの父も警戒に当たっていた。実は屋敷に来てから一度も声をかけられていない。嫌われているとかではなくて、それどころではないという感じだった。
静かだった。虫の鳴き声すらしない。
「リック。怖い?」
「あぁ、めちゃくちゃ怖い。」
「……わがまま、言っても良い?」
「どうした?」
「血が欲しいって言ったら、くれる?」
「今か?」
セイラは「違う。」と否定した。
「今のままじゃ足りないの。……でも、吸ったら戻れなくなっちゃいそうで。」
「分かった。」
「ありがとう。」
と、外の方が騒がしくなった。恐らく襲撃があった。リッカードは立ち上がる。セイラも従った。
「どう来るんだ……?」
「こうだ。」
声。彼はその方へ手近にあった銀のスプーンを放り投げた。
「素晴らしいもてなしだな。」
ミレーナがいた。襲撃とほぼ同時にたどり着かれる想定はしていた。
「だから俺も一緒にいた方がいいって言ったのに。」
「いや、正しいと思うぞ?お陰でこちらは一人しか連れてこられなかった。」
引っかけの可能性。しかしそんなことはどうでも良い。合流しなければいけない。
セイラを後ろに回して、徐々に距離を開く。
「逃がすと思うか?」
陰が動く、リッカードは十字架を床に落とした。
陰が鎮まる。しかし十字架も煙をあげて灰になった。
「今だ、逃げ…!」
セイラはいなかった。
この前と、同じ。
少女がセイラを捕まえている。しかも今回はセイラが暴れているにも関わらず、その体に陰が巻き付いて動けなくなっている。
「言ったろう?血を吸って出直してくると。」
彼は銀のナイフを腰から左手で抜いた。そして十字架を右に握りこむ。
「やる気なのか?」
その気はなかった。何とかしてセイラが逃げる時間を作れればと考えていた。
「緊迫感が足りないな。ならばこれでどうだ?」
ミレーナは何かを投げた。
それを受け取った少女は、躊躇無くそれを刺した。
「いああぁああああ!!」
セイラが悲鳴をあげる。
ミレーナは笑った。
「普通のナイフだ。だが、血を飲んでいない軟弱者には効くだろうと思ってな。」
「楽に死ねると思うなよ?」
「相手をしてやれ。殺すなよ?」
少女が頷いて前へ。
当たり前のように陰が隆起して向かってくる。
対する彼は、十字架を投げた。
「!」
そしてすかさず前へ。波を飛び越え、十字架を再び掴み、銀のナイフで床を刺す。ナイフは死んだ。
左拳を振りだす。少女は辛うじて避けたが、リッカードの本命は右足の方だった。
蹴り崩す、そして胸に、一撃を叩き込む。
「ッ!」
少女は吹き飛ぶ。
リックは舌打ちした。十字架は生きているのだが、代わりに足と拳に相当の痛みがあった。
「素晴らしいな。ならば、こちらも本気で行った方がいいな?」
ミレーナが立ち上がれと少女に指示する。するとまるで何かに引っ張られるように立ち上がった。
「『ピュプフェン』。」
「ぁ……」
少女の目がトンだ。
そして次の瞬間、とてつもない低空から飛び込んできた。
受けてはいけない。直感でリッカードは回転して躱す。
すると糸で引かれたかのように急停止して、こちらに向かってくる。
「嘘だろおい!」
一応手近にあった銀製品を投げてみる。
「あああぁあああ!」
と痛々しい悲鳴を上げはするものの、止まらない。
詰んだ。と理解した。
この状態、他の誰かなしでは勝ち目がない。しかしそれはこの調子では来なそうだった。
だとすれば、足掻くしかない。
「お前、その動きをどこで学んだ?」
「一子相伝ってやつだよ。」
「見たことがある。」
「そうか?ご先祖様じゃねぇの?」
壁にかかっていた剣をとる。銀製かは知らないが、どちらにしろ同じようなものだった。
「これは例え指一本になっても貴様を狙うぞ?」
リッカードは必死に思い出す。怪物の殺しかたも習ってはいた。役に立たんだろうとさっぱり聞いていなかったが。
剣は片手で持つ。半身になって自然に構える。
少女が向かってくる。狙うのは腹の底。
理由は簡単、とりあえず大抵の生物はそこが弱いからだ。
腕が振りだされる、一切の躊躇がないそれは、受けた右手の骨を一発で終わらせた。
しかし彼は冷静だった。そして、突く。
「あ……あぁッ!あぁあああああッ!」
煙が上がる。銀製だったようだ。暴れるその体を、そのまま上に切り裂く。
そして抜かないまま、壁に思いきり突き立てた。
「なるほど、やはり賢いな。」
ミレーナが指を弾く。すると背後の声が聞こえなくなった。振り返ると、少女の瞳から光が消えていた、
圧。慌てて正面に向き直ると、目の前に彼女がいた。
牙が立つ。リッカードは肩を掴もうとする腕をはね除け、慌てて後退した。
しかし背後で陰が隆起して、転ぶ。そしてそのまま絡み付かれて、身動きがとれなくなった。
「さて。ごちそうの前に、邪魔者を殺そうか。」
セイラに絡み付いていた陰が解かれる。
「かかって来い。格の違いを教えてやる。」
セイラは顔を苦痛に歪めながら、陰を動かした。しかしそれはすぐに潰される。
「どうした?この前のようにやってみろ。」
ミレーナが近づいていく。セイラは逃げようとしたが、すかさず捕まえられた。
「逃がすわけ無かろう。」
言って、片手で軽々とセイラを放り投げる。その先には少女の亡骸が。
「弱いな。」
確かに、弱すぎた。しかしリッカードには何となく理由が分かっていた。つまり力の使いすぎだ。この前から、食事の量が明らかに増えていた。睡眠も長くなった。恐らく回復できていない。
ミレーナは少女から銀の剣を引き抜いた。亡骸が落ちる。しかし目もくれなかった。
「死ね。」
言って、迷い無く心臓を突き刺す。
「!ぁ……」
「セイラ!」
彼女の体から力が抜けていく。胸から服が真っ赤に染まった。
「無駄だ。吸血鬼は銀には逆らえない。助からないのだよ。」
ミレーナは笑った。
しかし、リッカードは声をかけ続けた。
鏡が割れそうになったことを、彼ははっきり覚えている。あれでは死なない。そう信じていた。
「悲しむことはない、すぐに忘れて幸せになれる。」
リッカードは失笑した。
人から幸せを奪おうとしておいて、どの口が言っているのだと。
「お断りだよ。」
「拒否権はない。分かっているだろう?」
彼はセイラに全ての意識を向けていた。
「無駄だ。もう死んだ。助けも来ない。人形は死なないからな。」
「クソみたいなことを。」
「私の手駒となって死ねるのだ、下賎なるものには名誉なことだろう?」
「やっぱりあんたの眷属になるのはお断りだ。」
「だからといって、何もできやしないだろう?」
彼女は完全に勝利に浸っていた。
「そうだな。……一つ聞きたいんだが?」
「前も言ったろう?一つと言わずいくつでも。」
「吸血鬼に、銀を刺されても死なないやつはいなかったのか?」
ミレーナは失笑した。
「まだ諦めていないのか。」
「いるのか?」
「いたさ。」
「いた?」
「死んだのだよ。主より力を賜ったにも関わらず弱い、でき損ないだった。」
「銀で死なないなら、でき損ないじゃないと思うがな。」
「残念ながら、あれは陰を使えなかった。いや、それだけではない。夜に潜むこともできなければ、老いもする。」
「老いたのか?」
「あぁ。急に老いだしてな。あっという間に死んだ。……なぜ主はあれを生かしておいたのか。」
「セイラがそいつと同じ力を持っているかもとは思わないのか?」
リッカードはセイラを見る。きっと生きている。信じられないのか信じたくないのか、ともかく妙な確信のもと、死など微塵も想像していなかった。
「ありえん。腐っても純血たぞ?その辺の吸血鬼が持っている能力ではない。」
「セイラは普通じゃない。」
「……う……」
聞こえた声に、ミレーナは驚きをもってセイラを見た。
彼女は剣を刺したまま体を起こす。
「あり得ない……」
そして抜く。大量の血が流れ出したが、その瞳は燦々と輝いていた。
「お前は、何者だ?」
セイラは答えない。次の瞬間、彼女は突如として自らの頸に刃を当て、掻き切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます