七 人の性、怪物の性。
ベスティの言う通り、店にやってきたスズカはまず真っ先にセイラに声をかけた。
「……分かっていますか?」
「わかんない。」
さすがに言葉足らずすぎる。
「リック。申し訳ないのですが店を閉じていただけますか?」
「分かりました。」
リッカードは外に出て、閉店の札をかけた。
「あれ、閉店?」
声をかけてきたのは対面の家の奥さんだ。
「あ、修理のご依頼ですか?」
「えぇ、ちょっと頼もうと思ったんだけど……」
「構いませんよ。あと、できればこの後来た人に、代わりに夜開けるって伝えといてもらえますか?」
「えぇ。じゃあ、この包丁お願いしていいかしら?」
「はい。確かに。それでは。」
「ありがとね。」
そして中に戻る。二人は二階に移動していた。
そして何やら既に話をしているようだった。
少なくとも、平和な話ではなさそうだ。スズカはこちらを見ると、少し申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさいリック。そのまま席を外していただけませんか?」
彼はセイラを見る。彼女は少し怖がっているようだった。
「セイラ。どうする?」
「大丈夫。」
「そうか。」
セイラはリッカードが自分を怖がってしまうことを恐れている。彼もそれは十分把握していた。
これからの話は怪物同士の話だ。詮索は無用。彼は出ていくことにした。
「……一緒でもよかったんですよ?」
セイラは首を横に振る。
「だめ。」
「そうですか。では聞きますが、あなたは陰を使えるのですよね?」
「うん。でも使わない。」
「なぜ?」
「リックと約束した。」
「そうですか。……お茶でも飲みませんか?」
スズカが言うと、すぐさまベスティがカモミールティーを持ってきた。
「ベスティ。ここでの暮らしはどうです?」
「はい。楽しいです。」
「まぁ、あなた自身が志願したんですから、そうでしょうね。」
「それ、リックには言わないでくださいね。」
「今までも言ってませんよ。」
彼女はカモミールティーを一口飲んだ。一方セイラは口をつけない。
「飲まないのですか?」
「眠くなるから。」
「そうですか。……さて。」
ベスティはその言葉を聞いて部屋の端に控えた。
「単刀直入に聞きます。あなたは吸血鬼なのですよね?」
「たぶん?」
「たぶん?」
お互いに首をかしげる状況。スズカにとってその答えはいささか予想外だったようだ。
「ベスティ。鏡を。」
「はい。」
ベスティは一階から既に持ってきていた鏡をスズカに渡す。そしてセイラに向けた。
「やはり、映ってないようですね。……というかこれ、銀製ではありませんか。」
「近づけると音する。」
「やってもいいですか?」
「だめ。」
「銀が怖いのですか?」
セイラは否定した。
「高いから割りたくないってリックが言ってた。」
「……割れるのですか?」
「わかんない。」
「まぁ、万が一のことがあるとまずいですからね。」
スズカがそれを置くと、ベスティが流れるように受け取って一階へ。
「血を吸いたいと思ったことは?」
セイラは顔を伏せた。
「あるのですね?」
「……うん。」
空気が変わる。ベスティの言っていたのはこれだ。ここでの答えで、セイラの命が決まる。
「どの程度強く?」
「ちょっとだけ。」
「嘘をつくな。」
威圧感。しかしセイラは怯まない。
「嘘じゃない。」
赤と青の瞳がぶつかる。スズカの髪が盛り上がる、
セイラの頭の中に、リッカードの言葉が浮かぶ。
危なくなった時は。
「渇きがあるでしょう?押さえきれない程の渇きが。」
「ない。」
「なら、血を吸いたくなったのはいつだ?」
「リックと一緒に寝てる時。」
瞬間、スズカが目にもとまらぬ早さで腕を伸ばしてきた。
迷わず使え。
「スズカ様!」
セイラの陰が真っ黒になる。そしてすべての陰と繋がった。
「!」
スズカの動きが止まる。
陰を踏んだのだった。
「本性を顕したか。」
「別に、そういう訳じゃない。」
「でないと言うならこれはどういうことだ?」
「リックが言ってた。危なくなったらすぐに使えって。」
「彼を盾にするな!」
「手を出そうとしたのはあなた。」
スズカは目を細めた。
「お前の狙いはなんだ?」
「美味しいご飯を食べて、暖かい布団で寝ること。」
「なぜリックを選んだ?」
「選んだわけじゃない。拾ってくれただけ。」
陰が普通に戻っていく。しまいにはスズカの体も解放された。
「油断したな。」
動じ、彼女がセイラの頸を掴む。
セイラは恐怖してはいたが、だからといって解こうとはしなかった。
手に力が入っていく。普通の人間であればとうに折れているような状況でも、セイラはまだ平気そうだった。
「それ以上はだめ。」
セイラが恐れていたのは、喉を潰されることではない。それでも死ぬことはないと分かったから。
問題は、そうなったら間違いなくスズカを殺してしまう事だった。リッカードの大切な人を殺したくはなかった。
「やったらどうする?」
「……俺がお前を殺す。」
男声。
「リック!あんたなんで戻って来てんの?!」
ベスティの言葉にスズカは階段を見た。確かにそこにはリッカードが立っていた。
「なんかうちで騒ぎが起きたって聞いて、急いで戻ってきたんだよ。」
「リック。」
不安そうだが、それでもスズカは頸から手を離さない。
「スズカさん。心配はありがたいですが、俺の命は俺のものです。」
「私は……」
「いいから、セイラを離せ。」
命令されたのははじめてだった。スズカの肩が大きく跳ねる。
「なぜですか!これはあなたの血を狙っているんですよ?!」
「俺はその子の保護者です。その子が何かしたのなら、俺が責任を持って殺します。」
「あなたが、怪物を殺せるとでも?」
「まさか由緒正しい家柄のあなたが、クオルス家の元の仕事を知らないはずはありませんよね?」
スズカは沈黙した。セイラとベスティは何のこっちゃである。
「……わかりました。」
ゆっくりと手が緩む。セイラは途端に走ってリッカードに抱きついた。
「事件はこの子のせいじゃないはずです。」
「それは知っています。」
「……はぁ?」
誤解して熱くなってしまったのだろうから仕方がない。そう思って許していたリッカードだったが、違うとなれば話は別だった。
徐々に怒りが沸き上がってくる。
愛情以前の問題だ。
そもそも悪いことなどしていない少女の頸を絞め、あわや殺さんというところまでいったのが、まだ起きてもいない懸念で、しかもその懸念の中心にいる自分には相談もなかった。
許せるはずがなかった。
「スズカ、ちょっと話しようか?」
明らかに怒っている。その様子にスズカは小さくなっていた。
「……はい。」
か細い声。ベスティが耳を塞いでいたが、別に怒鳴るつもりはなかった。
「リック、どうか誤解しないでほしいのですが……」
「してないと思いますよ?熱くなりやすいのも知ってますし、そうなると周りが見えないのも知ってます。それと、セイラに嫉妬してるのも。」
セイラが見上げてきた。リッカードは微笑みを向ける。しかし顔をあげれば、再び厳しい表情に戻っていた。
「だからって、やっていいことと悪いことがあるだろ?」
「ごめんなさい。」
スズカは今にも泣きそうだった。
その様狼というよりうより子犬に見えてしまって、ベスティは笑みが浮かびそうになるのを必死にこらえた。
「セイラ。許すか?」
セイラは頷いた。だからリッカードもこれで終わらせることにした。
「次は許しませんから。」
「ごめんなさい。」
肩を落とすスズカにセイラは近づき、その頭を撫でた。
スズカは驚いて顔をあげる。
「……何を?」
セイラは手を止めて、言った。
「いつもリックがしてくれるから。」
「ぜひ本人からやってほしいのですが。」
「悪いが俺は今機嫌が悪い。」
「……すみません、つけ上がりすぎました。」
「て言うか、よく考えてください。セイラは普通に昼間に外を歩けるんですよ?」
吸血鬼は日の光を浴びれない。と言い伝えられている。しかしセイラは平気だ。
「そう、でしたね。」
「俺にはよくわかりませんけど、この子は普通とは違うんじゃないんですか?」
「一理あります。」
とりあえず座ることにした。
「……で、吸血鬼騒動は誰の仕業なんです?」
「昨日あなたに言い寄ったあれだと思われます。」
「逃げ出したんですか?!」
「らしいです。」
昨日の感じ、あれは外に出していい存在じゃないというのは明らかだ。
「どんな状況だったんです?」
「子爵邸の召し使いは、一部が血を抜かれて倒れていて、残りは服だけ残して跡形もなく消えていたそうです。」
「そんなことできるんですね。」
「たぶんできる。」
セイラが答えた。
「セイラもできるのか。」
「陰を踏めば。」
「さっき私にしたように?」
セイラはしょぼんとした。
「……さっきのはごめんなさい。」
リッカードは考えた。あの状況からして、恐らくセイラから手を出したとは思えなかった。
「責めるつもりはありません。手を出したのは私ですから。」
どうやら軋轢は収まったらしい。
「あれの狙いは、恐らくあなたです。」
「俺?」
「我が家に来れば安全……と言いたいところですが、正直直下相手には心もとありません。」
「直下ってそんなに強いんですか?」
昨日初めて聞いた言葉だが、何だかすごい連中なのはリッカードにも理解できていた。
「私で勝ち目は四割。お父様なら、七割くらいでしょうか。」
「で、俺にどうしろと?」
「あなたが殺されることは恐らくないでしょう。血を吸われることが問題です。」
「殺されないなら何にされるんですか?」
「眷属にされます。運が良ければ自我は残りますが、悪ければ完全に、傀儡にされるでしょう。」
「それは嫌ですね。」
「ついでに、恐らくですがその時にセイラちゃんの命はないかと。」
「なぜ?」
「彼らは繋がりを強く意識しています。セイラちゃんにそれがなければ……」
「流れるようにちゃん付けしてますね。」
「いけませんかしら?」
「別にいいんじゃないですかね?」
ただ急だなと思っただけだ。
「つまり、俺は死んでも血を吸わせるなってことですね。」
「そういうことです。それと……セイラちゃん。」
「なに?」
「吸血鬼相手にならば、本気を出して構いません。」
セイラはリッカードを見た。やはり彼女はこういう判断を、常に彼に託す。
「危険なときは使って良いって言ったろ?」
「わかった。」
というわけで、スズカとの元々のお茶会はまたの機会ということで解散した。
彼女からは自分の邸宅に来るようにと言われたが、逆に自分が狙いなら堂々としていた方がいいだろうと断った。
「……大丈夫?」
セイラが聞いてくる。外はすでに夜。だからこそリッカードは緊張していた。
「まぁ、その時はその時だ。」
代替営業のため、店は動いている。しかし客は開店直後に道具を置いていって、今は誰も来ない。
ベスティは二階で晩御飯を作っている。
と、セイラが何事か思い出したようだった。
「クオルスのお仕事って何?」
今はもう隠すことでもないので、正直に話す。
「……うちは元々、暗殺をやってた。」
「あんさつ?」
「人を殺す仕事だ。ついでに怪物も。」
しかもかなり歴史がある。話では四百年前からとのことだ。主人のことだけは、今でも言ってはならない。
「リックも?」
「いや、俺はやってない。じいちゃんの代が最後だ。」
彼の父はそんな祖父を嫌い、この店を継がなかった。
「リックも殺せるの?」
ちょっと予想外の問いだった。
「……やり方は知ってるが、実際やるとなるとなぁ。」
「危なくなったら、迷っちゃだめ。」
リッカードは笑った。
「そうだな。」
扉が開く。
「いらっしゃいま……」
お客かと思って視線を移したリッカードは、硬直した。
想定はしていた。しかし緊張が解けた今ではなかった。
「昨日ぶりだな?」
吸血鬼、ミレーナだった。
「!」
二人は立ち上がる。瞬間、明かりが全て消えた。
「リック。」
セイラが裾をつかんでくる。リックもその手を握り返そうとしたが、しかし空を切った。
「セイラ?」
「安心しろ。こっちだ。」
ミレーナの後ろに、もう一つ影が現れる。
「!」
セイラだった。その両肩には白い手がのっている。
リッカードは会計台の裏から出て、ある程度まで距離を詰める。
「ずいぶんと可愛らしい子だ。」
吸血鬼とは気づいていないようだったから、そこには触れない。
「なぜ逃げ出した?」
「お前が買えないというからな。」
「行かなきゃよかった……」
本当に後悔した。
セイラを見ると、少しも動かない。
「単刀直入に言おう。血を吸わせろ。そして我の眷属になれ。」
「断りたいんだが?」
「なぜだ?」
「人間やめたくないから。」
「昼が好きなのか?」
「そうだと言ったらやめてくれるのか?」
「あぁ。その代わり、こいつにこの子の血を吸わせる。」
浮かび上がってきたのは、顔に傷のある少女。
「奴隷か。」
「今は私の眷属だ。」
「それで、目的は?」
ミレーナがゆっくりと歩み寄ってくる。
「この子はお前の大切なものなのだろう?それを我のものにすれば、お前は従うしかない。」
「それで満足なのか?」
「別に構わん。共にいればお前は我を好くようになる。」
艶かしい笑みを浮かべるミレーナ。対するリッカードは苦笑いだ。
「好きにはなれなそうだがな。」
「……さて、どうする?」
「迷わず使えって。」
リッカードはセイラの賢さにかけてそう言った。
「あの狼から何か貰ったのか?」
セイラの方は見ない。見たら勘づかれる可能性があるから。
「一つ聞きたいんだが?」
「一つと言わず、聞くといい。」
「お前は、自分が淑女だと思うか?」
「当たり前だろう。」
「そうか、なら顔は勘弁してやる。」
言って、リッカードはミレーナの左足を蹴落とした。
「小賢しいぞ。やれ。」
少女がセイラに噛みつこうとする。それを彼女は、どうしてか陰を使わずにすり抜けた。
彼は棚の裏からナイフを取り出す。そしてガラスを割って、銀製の装飾品を取り出した。
「人間が、我と事を構えると言うのか?」
「お断りできなさそうだったからな。」
「勝てると思うか?」
ミレーナが足を勢いよく地面に叩きつける。瞬間、電気が走ったように彼の体は動かなくなった。
「まじか。」
「だから言ったろう?」
勝利を確信した様子で、ミレーナが近づいてくる。
と、腰をトントンと叩く手があった。
セイラが何か伝えたいのかと、彼はそちらを見る。そして気づいた。
動ける。
「小娘。何をした?」
「叩いただけ。」
ミレーナは目を細める。瞳が不気味に輝いて、足元の陰が隆起した。
その視線は、セイラの瞳とぶつかる。こちらは明るい赤だ。
「まさか貴様も吸血鬼か?」
「そうだよ。」
「そうか。ならば失せよ。」
陰が大きく立ち上ぼり、セイラを狙った。
リッカードは恐怖を覚えた。どうしようもない圧倒的な力。
しかしセイラは怯む様子を見せなかった。
瞳の輝きが強くなる。
「『止まって』。」
呟き。
たったその一言だけで、陰は止まった。
ミレーナは目を見開く。
「……何だ貴様?」
「分かんない。」
「血すら吸ったこのない雑魚が、なぜ我より優先される?」
セイラの答えは同じだった。
リッカードも構え直す。向こうも本気で来ると思ったから。しかし違った。
「想定外だ。出直すとしよう。」
安堵したリッカード、しかしミレーナは不気味に笑って言った。
「もっと血を吸ってから出直そう。そうだな……ちょうどこの辺りで。」
殺意。
脱力。
「リック。」
制止。
冷静さを取り戻す。吸血鬼の天敵である狼が勝てないかもしれないと言った相手に、何の備えもなく勝てるはずがなかった。
ミレーナは不機嫌そうにセイラを睨み付けた。
「貴様は必ず殺す。」
そうして彼女らは夜の闇に消えていった。
「……ありがとう。」
「気にしないで。」
彼は一つ息をつくと、そのまま座り込んだ。ここまで緊張したのは人生で初めてだった。
「セイラはだいじょ……!」
セイラが、倒れた。
「セイラ!セイラ!」
「リック!」
外からベスティが入ってくる。
「何で外に?!」
「開かなかったから窓ぶち割って出てきたのよ。でも外からも開かないし……」
「それよりセイラが!」
ベスティは頸に手を当てる。
「生きてる。」
次におでこに手を当てつつ、口もとに耳を近づけた。
「たぶん、気絶してるだけだと思う。」
「なら、よかった。」
安堵して、今度は腰が抜けた。
「リック。あいつらどうなったの?」
「一時撤退した。……ただ、次は必ず潰しに来る。」
「どうするの?」
「決まってるだろ。」
セイラを見つめる。表情は穏やかで、確かに大事ではなさそうだった。
しかしそうなった理由は明白だ。あまり無理をさせれば、次はどうなるか分からない。そしてもし倒れれば、その命はミレーナに刈られる。
そうさせないための手段は一つだ。
「殺す。」
◇ ◆ ◇
セイラが目を覚ますまで、リッカードはその横につきっきりだった。
「……ん……。」
目蓋が上がる。無意識に彼の口もとに笑みが浮かんだ。
「大丈夫か?」
セイラは頷く。
「たぶん。」
「そうか。」
頭を撫でる。
「起きたの?」
ベスティが覗き込んで聞いてくる。
「あぁ。」
「じゃあ、これ。」
白湯が渡される。
「体、起こすぞ?」
「うん。」
なるべく負担がかからないようにゆっくり起こす。
「痛くないか?」
「うん。」
セイラは白湯を受け取り、一気に飲み干した。
「調子は?」
「……お腹すいた。」
ベスティと二人して、安心して笑ってしまった。
「私が準備するわ。」
しかし彼女は知らない。ただでさえ多いセイラの食欲が、力を使ったことでより増しているということに。
結果、三日分の貯蔵が全て無くなるという衝撃的な結末が訪れた。
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