六 いつも通り、いつもと違う一日。
「起きてたのか。」
「うん。」
時刻は深夜過ぎだ。ベスティはすっかり眠っている。
「あぁ。ついでにお土産も買ってきた。」
言ってリッカードは、セイラの髪に赤い、鳥の羽根を模した髪飾りをつけた。
大人向けなので、彼女には少し大きい。しかしむしろそれが彼女の小さくて丸みのある顔を引き立たせて、よく似合っていた。
そこにはガーネットが埋め込まれている。パイローブよりは明るく、月明かりにキラキラ輝いている。
スズカのより高いのは内緒だ。
「なぁに?」
「髪飾りだ。羽根の髪飾り。」
「見ていい?」
「あぁ。」
セイラは自分につけられた状態で見ることができないから、外して見せる。
「わぁ……きれい……!」
声を抑えながらも、精一杯嬉しさを表現してくるセイラ。リッカードはいつも通り頭を撫でる。
ただ、この幸せな表情を崩すとしても、聞かねばならないことがある。
「……セイラ、聞きたいことがある。」
「ん?」
彼は躊躇して、しかしそれがセイラのためにはならないと気づいてやめた。
「君は吸血鬼か?」
彼女の答えは、首をかしげることだった。
「きゅうけつき?」
ならばと具体的なところに踏み込む。
「……血が、吸いたくなったりとか、しないか?」
「しないよ?」
「そうか。」
リッカードは安心して笑顔を浮かべる。彼女はそんな彼に向けて言った。
「でも、吸い方は知ってるよ。」
「……どう、やるんだ?」
彼の疑問に、セイラは口を開けて、犬歯を指差す。
「これをえいっ、てして、噛みつく。」
えいっ。というあまりにも抽象的な言葉。それがセイラが生まれながらの怪物であることを示していた。
「ちなみに……今、できるか?」
彼女は頷き、口を開いた。
と、赤い瞳が強く輝き、さっきまで普通だった犬歯が鋭く伸びた。
そしてそのまま聞いてくる。
「誰のを吸えば良い?」
「だめだめだめ!」
彼は慌てて止める。セイラも大人しく従った。
「本当に血を吸いたくはならないんだな?」
彼女は大きく頷いた。リッカードは今度こそ安心する。
吸血鬼は血を吸って殺すから、人間と共存できないと言われている怪物だ。教会も、セイラ達には赦しを与えてはくれない。
だから念のために、最後に釘を刺しておく。
「セイラ。血を吸いたくなったらすぐに言え。その時には俺のを吸わせるから。」
「ならないよ?」
「だと良いんだがな。もしかしたらがあるから、一応、な?」
「うん。わかった。」
彼女はいつも通り、まっすぐ返事をする。その様子を見ていると、本当に吸血鬼ではないのでは?と思ってしまう。というか正直、血の吸い方を知っているだけで、別の怪物なのではないかと、リッカードは一部考えている。
ただ残念ながら、他に牙を使って吸血する怪物は、少なくとも他に知らないというのが現実だ。
一番詳しいのはスズカだが。あの様子だと気づかれたら大変なことになりかねなかった。
「……とりあえず、寝ようか?」
「うん。」
リッカードはここ数日かなり無理を押していた。その疲労は、寝床についた瞬間に彼の意識を奪い取った。
◇ ◆ ◇
その屋敷には、深夜にも関わらず悲鳴が響いていた。
少女が鞭打たれている。彼女は奴隷だった。加虐趣味の主人に買われ、連日連日、その体を打たれていた。
しかも細い体では面白くないと、食事だけは無理矢理にでもきっちり取らされていたため、体型はむしろ豊かな方だった。
その日もいつも通り、主人が鞭を振り疲れるまでその苦行が続く。その予定だった。
「……やめて、ください……」
「黙れ。」
鞭は無慈悲に振り下ろされ、少女の肌をいたぶる。当たりどころが悪ければ切れ、血が滲み出た。
「……やめて、ください。お願いします……」
「学習しろ。お前はこうされるためだけに生きるんだ。」
再び鞭。いつも通り。言うだけ無駄でも、止めたら死んでしまう気がして少女は言い続ける。
そんな中、急にろうそくの火が、消えた。
「おい!蝋が切れたぞ!何をしている?!」
主人は使用人にも厳しかった。もちろん、今近づけば間違いなく鞭打たれる。だから来ないのは当然なのだが、しかしどうにも違和感があった。
「おい!誰か来ないか?!」
「うるさいぞ。」
声と同時、火が戻る。明るくなった部屋には、二十代前半くらいの若い女性が立っていた。着ているのは明らかに高そうな服だった。
「お前は誰だ!」
主人は感情に任せて鞭を振るう。
「うるさいと言った。」
女性は鞭を自分の指に巻き付けて、腕を振り下ろす。当然主人はつられて引かれ、転んだ。
その体の周りから、黒い影が浮き上がってくる。
「貴様!私が何者か知らんのか!私は」
「いい加減にしろ。」
影が主人を呑み込み、そして消えた後には染みと、服だけが残った。
女性は何事もなかったかのように少女を見ると、膝をついて目線を合わせに行った。
「あなたは……」
「我は吸血鬼だ。」
「吸血鬼?!」
後退りする少女に、女性は穏やかな笑みを浮かべる。
「恐れることはない。ただ、お前に選択肢をやろうとしているだけだ。」
「選択肢?」
女性は頷く。
「そう。簡単な話だ。血を吸い尽くされて死ぬか、吸い尽くさず眷属にするか。どっちを選ぶ?」
迷う少女に、女性は言葉を加えた。
「さっきの私を見ただろう?我の眷属になれば、お前は誰にも脅かされることはなくなる。圧倒的な力で、全てを自由にできる。」
少女の表情が期待に揺れる。女性が近づいても、今度は下がらなかった。
「安心しろ。やさしくしてやるから痛くはない。……それで、どうする?」
少女は、不安を抱えながらも答えた。
「……眷属に、なります。」
女性は微笑んで、頸に顔を近づける。視界から外れてから牙を伸ばし、そして噛みついた。
「うっ!」
痛み。頸から血が流れ落ちる。
温かいものが外へ流れ出て、冷たいものが入ってくる感覚。
薄れていく意識の中、少女は声を発した。
「……う、そ、つき……」
◇ ◆ ◇
リッカードはいつも通り朝になって起き出して、今日は少ない工具の修理を始めた。
その何気ない会話の中で、今年から大工になったという青年ににふっと言われて気づいた。
「なんか最近、店主さんの周り女多くないですか?」
「そうか?……そうかもな。」
もちろん。深刻な意味ではない。
「いいなぁ!俺も彼女欲しいなぁ!」
こういう意味での話だ。
「彼女じゃないから。」
「でも!もう婚約決まってる相手いるじゃないですか!しかもあんなすごくてきれいな人!王都中の憧れの的ですよ!」
とは言うが名前は出さない。それが暗黙の了解だった。もはや意味はない気がするが、職人方の配慮だった。
「そうなのか?」
「はぁ?!何ですかその感じ!むかつく!」
「いや、だって幼馴染みだし。」
「だからそれがおかしいんですって!なんであんなお偉いさんと関わりがあるんですか?!」
「宝石店だから。」
「いいなぁ!俺もここで働かせてもらおうかなぁ!」
「別に良いが、人手不足だから遠慮なくこき使うぞ。」
「本気にしないでくださいよぉ。」
「いや、人手不足は本気だから。それに俺も腹割って話せる奴が欲しい。」
「じゃあ今度うちら飲み会やるんで来ません?」
「行こうかなぁ……」
とは思うが、セイラがいる。
「行けたら行く。」
「あれ、忙しい感じですか?」
「まぁそうだな。セイラの面倒見なきゃいけないし、店もあるし。」
「あぁ、そう。セイラちゃん。あの子拾ってきたんですって?てっきり作ったもんかと思いましたよ。」
「だからまだだっていってんだろ。それに、もし結婚したら、ここに店を置き続けられるかが分からないからな。」
「それは困りますよ!」
「だから、悩んでんだろ。」
正直彼との話は楽しかった。彼も同じくらい若い人がいないようで、よく話し込んで、現場からお迎えが来たりする。
「……それにしても、あんなかわいい子がよく誰にもさらわれずに生きてこれましたね。」
「別にずっと王都にいたとは限らんだろ。それにあの子、めちゃくちゃ頭いい。」
「そうですよね!あの子めちゃくちゃ普通にしゃべってますもんね!」
「あぁ。」
「しかもほら、おっさん方の話にもちゃんと……」
鈴がなる。青年は黙った。
入ってきたのは警戒していたおっさんではなくて……年齢的におっさんではあるのだが、明らかな貴族だった。
「あ、バーツ伯。お久しぶりです。」
髪は剃られて丸坊主だ。体格は明らかに大きい。正直森で見れば熊と間違えるかもしれない。しかもそれが全て筋肉となれば、かなりすごいのが分かるだろう。
「リッカード君。久しぶりだな。……そちらの君は、大工かね?」
急に話しかけられて、青年は硬直してしまった。だから代わりにリッカードが答える。
「そうです。……あ、修理終わったぞ。」
リッカードは金槌を会計台に置いた。力みすぎて柄が折れてしまっていたから、全て取り替えた。
慌てて取ろうとする青年。しかしそれより先に、バーツが取って、眺めた。
「うむ。君、少し悪い癖がついてるようだね?」
「は、はい!」
青年自身も知っていた。それは打つときに肘が動いてまっすぐ打てないことだ。
「肘に包帯を巻きなさい。布でも構わない。少し邪魔に感じる程度のをね。これだけで多少は変わるだろう。」
言ってバーツは金槌を手渡した。
「ありがとうございます!」
「気にするな。元は私も大工でね。」
「す、そうなんですか?!」
これはバーツが会う日と会う日とに言っていることだ。
「私はね、聖リソー教会の修繕をしたんだよ。」
「えぇ?!」
聖リソー教会とは、鐘を鳴らして時間を教えてくれているところだ。貴族害のど真ん中に立っており、しかも城に匹敵するくらい大きい。その修繕は諸々含め七年もかかったと言われている。
「君は若い。腕をあげればきっと王城の修繕に関われるかもしれないぞ?」
その言葉に青年は俄然やる気が出たようたった。
「がんばります!」
「うむ。がんばりたまえ!」
青年は満面の笑みで店を出ていった。
「……さて、今回なんだが。」
「娘さん用ですかね?」
「その通りだ。三女の誕生日をね。」
バーツは、言ってしまえば親バカだった。ちなみに娘はみな十代で、絶賛反抗期中だ。
それでも「リッカードからだ。」と言うと受け取るようで、だから誕生日はここで買うのが恒例だった。
「去年何贈ったんでしたっけ?」
「エメラルドのネックレスだ。気に入っていて今も使っているよ。」
「それはよかった。でしたらそれに合わせられるようなものがいいですかね?」
「そこは任せる。」
「では……」
リッカードは陳列されている宝石の中から、青色をした宝石と、黄色の宝石を三つずつ選び出す。
「このあたりがよいかと。……あ。」
リッカードは階段のところにセイラを見つけた。起きて降りてきたらしい。
「ん?おや?」
彼女に気づき、バーツは微笑んだ。
「ついにスズカ嬢と?」
「違いますよ。それにだったとしても早すぎでしょう。」
「ハハハ。さすがにね。しかしなかなかの美人だな。奴隷を買ってきたのか?」
「いえ。拾いました。」
「ほう、拾った?」
「えぇ。貧民です。」
バーツはセイラをじっ見た。彼女は挨拶をすると、リッカードの隣に立つ。
「本当に?どこかの奴隷商から逃げてきたんじゃないのか?」
「奴隷だったら首輪とかつけられてるでしょう?あれはさすがに外せませんよ。」
「まぁ、確かに。……お嬢さん。名前は?」
「セイラです。」
「セイラか。良い名前だ。」
話が大きく逸れそうだったので、やや強引だが戻す。
「で、宝石なんですけど。」
「あぁ。……これが良いかな。」
バーツが指したのは、ブルートルマリンという水色の宝石だ。
「金貨二十三枚になるんですけど、大丈夫ですか?」
「あぁ。問題ない。」
「包装しますね。」
「ありがとう。」
白い木箱に、木の削りくずを詰め、その上に赤いシルクの布を載せる。緩衝材と、それが宝石を万が一にも傷つけないようにするためだ。
そして蓋をして、青いシルクのリボンで留める。
「どうぞ。」
「ありがとう。……セイラお嬢さん。元気でな。」
セイラは手を振る。バーツは満足そうに笑って、扉に手をかけた。
「……あ、そうだ。」
「はい?」
「今朝、ラック子爵が死体で発見されたそうだ。なんでも、吸血鬼の仕業らしい。」
「は?」
リッカードはセイラと目を合わせた。彼女も事態は理解したようで、真剣な眼差しをしていた。
「気をつけた方がいい。」
「そうします。」
「……まぁ正直なところ、あの豚野郎がいなくなって清々したところではあるが。」
「そうですね。陳列棚のガラスをぶち割りやがった弁償をまだしてもらっていませんでしたが。」
ラックはほとんど全ての人間から嫌われていた。彼らと同じ考えの人間は多いだろう。
「それではね。」
「はい。それでは。」
扉が閉まった。リッカードはセイラの頭を撫でる。
「そういえば、昨日ベスティはどうだった?」
「お話ししてくれた。」
「そうか。」
「うん。猫ちゃんの大冒険。」
「何それ気になる。」
「家でした黒猫が、住み心地のいい場所を探して冒険するの。」
「で、どうなったんだ?」
セイラはいたずらっぽく笑った。
「内緒。」
「そっか。」
女性同士の秘密には踏み込んでいけないとスズカから教わった。
「そうだ。今日はちょっとスズカと話しなきゃいけないから、お留守番しててもらってもいいか?」
「嫌。」
「そっか。じゃあスズカを説得しなきゃな。」
とはいえ話が通じない相手ではないから、渋々ながら了承してくれるのは何となく想像がついた。
扉が開く。誰かと思えば、ベスティだった。
「あれ、いつの間に出かけてた?」
「迷惑かけちゃいけないと思ってそっと出てったのよ。」
「そうか。」
「それよりセイラ。」
「?」
セイラのベスティに向ける表情は、前に比べて少し明るくなっているように見えた。
「やってないわよね?」
厳しい表情のベスティ、セイラも、さっき聞いた吸血鬼騒動だとわかったようだ。
「やってないよ。」
「何の事か分かるの?」
「ししゃくさんの……なんか。」
「そうよ。……吸血鬼なんでしょ?」
リッカードは顔をしかめた。
「なんで知ってる?」
「色々聞こえてたわよ。」
「起きてたのか。」
「寝てても誰かが話してれば聞こえるわよ。」
「聞こえねぇよ。」
「ともかく!……セイラ。うちの主人から詰められる覚悟はしておきなさい。下手なことをいったら、殺されるかも。」
セイラは深く頷く。
「わかった。」
「それと、リック。」
「なんだ?」
「守ってあげて。」
リッカードは笑みを浮かべる。
「当たり前だ。」
◇ ◆ ◇
スズカは朝方、ふとあることに気づいて、再び夜訪れた奴隷商のテントに向かった。
何やら慌ただしいその中から主を見つけ出し、声をかけた。
「忙しいところすみませんが、一つお聞きしても?」
「何でしょう?」
「ここから吸血鬼が逃げ出しませんでしたか?」
すると奴隷商はいささか驚きを見せた。
「いやはやお耳が早い!そうなのです、お恥ずかしながら昨晩の吸血鬼に逃げられまして。」
「……え?」
予想していたものとは違う答えに、スズカは少し固まった。
「おや、そちらの話ではないのですか?」
「逃げたのですか?」
「はい。」
「……まずいですね。」
狙いは分かっている。リッカードだ。
「私も探すのを手伝いましょう。」
「それはありがたい。……それで、先程の話ですが、どのような意図が?」
「いえ、ただ少し前に王都で吸血鬼の仕業らしき事件が起こりまして、もし脱走したものなら、と。」
「そのようなことはありませんね。他の商人からも聞いていないので、野良でしょう。最近では珍しいですね。」
言った通り吸血鬼には赦しがない。つまり見つかれば殺されるから、町中に出てくることはもうほとんどなくなった。
「時間を割いてくれてありがとうございます。それでは。」
「はい。またのご利用、お待ちしております。」
馬車に戻ったスズカは、小さく舌打ちをした。
そして窓の外に顔を出す。
「……御者さん。治安管理所へ連れていってください。」
「どのようなご用件で?」
普段ならそんなことは聞かない御者だが、さすがに中から舌打ちが聞こえてくれば話は変わってくる。
「厄介事が起きたのです。急いで。」
「かしこまりました。」
馬車は嘶きを伴って駆け出した。
吸血鬼の、三匹潜む町を。
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