五 吸血鬼と狼。
「リック。」
「ん?どうした?」
「お膝の上、乗っていい?」
「まぁ、構わないが。」
それは午後のやり取りだった。客も来ないため、正直暇していたからリッカードも了承した。
セイラは今日は眠くなさそうで、暇さえあれば宝石を眺めていた。
そのなかでもやはり、ガーネットが気になっていたようだ。
「瞳と同じ色だな。」
それは正確にはパイローブガーネットというもので、まさに焔のような赤さが由縁だ。
セイラはリッカードの瞳をじっと眺めて、首をかしげた。
「違うよ?」
どうやらリッカードのだと思ったらしい。
「セイラの瞳の色だ。」
首をかしげるセイラに、リッカードは鏡を向ける。
「?」
「……あ。」
彼女は鏡に映らなかった。
「……怖い?」
急な問い。彼は正直に答えた。
「結構びっくりした。」
「……ごめんなさい。」
彼はセイラの頭を撫でる。
「謝らなくていい。ただ、他の人の前では気を付けなくちゃな。」
「うん。」
「でも、どうしようか?」
「?」
「何とかして見せてあげたいんだが。」
するとセイラは鏡をじっと見て、聞いた。
「触ってもいい?」
「あぁ。」
彼女はゆっくりと指を伸ばす。
すると鏡がギシギシと、本来ならしない音がし始めた。
「ごめん。やっぱやめてくれ。」
指は素直に止まる。
「怖い?」
「いや、この鏡高いから、割れると困る。」
この鏡は銀製品だった。
「そっか。」
鏡に映らないとなると、怪物としての種類は相当絞られる。
リッカードは一つ質問をしてみた。
「……なんで、この宝石が気になったんだ?」
「んー……」
セイラはじっと宝石を見つめて考え込んだ。
「きらきらしてるから。」
「そっか。」
と、扉の鈴の音がした。入ってきたのはスズカだった。
「あら、ベスティは?」
「上です。様子見に来たんですか?」
「いいえ。あなたを夜遊びに誘おうと思って。」
スズカは会計台に肘をついて、リッカードと目線を合わせる。
セイラはその間に割り込むように膝に座り直した。
「セイラがいるんですが?」
彼女は頷く。しかしスズカは全く気にしていなかった。
「ベスティに預けなさい。残念ながらその子は連れていかない方がいい所です。」
彼は顔をしかめる。
「何でそんなところに俺を誘うんです?」
「頼れる人がいないと心細いのです。」
「……どこに行く気です?」
「今夜開かれる、奴隷の販売会に。」
リッカードはごねたかったが、場所が場所なため渋々同意するのだった。
そして、夜。
「約束、破るの……?」
「……セイラ。ごめんな。」
涙目のセイラ。一緒にいるという約束を即日破ったのも、より彼の心に痛みを与えた。
ちなみにベスティがセイラの後ろに何とも言えない表情で立っている。
スズカは馬車に。
「すぐ帰ってくるから。」
「嘘つき……」
「ごめん。」
何も言えなかった。
「……ぎゅーってして。」
「わかった。」
言われた通り抱き締める。
「帰ってきてね?」
耳元で囁かれるその言葉には、よく分からないが圧を感じた。
「安心してくれ。できる限り早く帰ってくるから。」
「ん。」
セイラは認めてくれたらしい。正直、リッカードとしても奴隷市場など行きたくない。
「リック。準備はよろしいですか?」
痺れを切らしたのだろう。スズカが来て聞いてきた。
「貸しにします。」
「えぇ。いくらでも返して差し上げます。」
「行ってらっしゃい、」
なお悲しそうなセイラを置いて、リッカードは奴隷市場に向かった。
「で、何で奴隷市場なんか行くんです?事前予告もなかったんですから、さぞ大した用なんでしょう?」
「お父様が、一つくらい奴隷を召し使えてもいいだろうと。」
「で、それが俺を連れてくのと何の関係が?」
「奴隷市場ですよ?一人で行くの怖いじゃないですか。」
「メイドとか連れてけばいいじゃないですか?」
「小言は言われたくないんですよ。」
「面倒な……」
「聞かなかったことにしておきます。」
奴隷市場は、半年に一度ほど王都の中央広場を貸しきって行われる。時季は春と秋だ。
出店するのは国に認められた奴隷商のみ。彼らは奴隷にもしっかりとした待遇を与えており、その代わりというか値段も中々に張る。
しかもスズカのような貴族も訪れるため、並ぶのは選りすぐられた高級品ばかりだ。
馬車を一歩降りれば、そこはまさにお祭り騒ぎだった。
ランタンの光が燦々と照りつけ、中央には噴水を囲むように複数のテントが立っている。
降りたのはそこから少し離れた場所だったのだが、そこにはおこぼれに預かろうと様々な屋台が出ている。
実はリッカードにも出店の権利はあったのだが、名だたる宝石店と競り合っても勝てる気がしなかったため、辞退した。そしてそんなことがあったことすら忘れて今日に至る。
「リック!とってもかわいい!ご覧になって?」
スズカの興味を引いたのは髪につける小物だった。その屋台はこぢんまりしていて、客もいなかった。
「美しいお嬢さん。まけますよ?いかがですか?」
男性店主がにこやかに聞く。
目を輝かせるスズカ。リッカードはポケットに手を突っ込んだ。
「買いましょうか?」
「いいのですか?」
彼は店主のもとへ行き、聞いた。
「いくらです?」
「銀貨一枚でどうです?」
「分かりました。では……この黄色のを。」
リッカードが指差したのは、蝶を模した髪飾り。下の翅がリボンになっていて、中々に凝っている。
「お買い上げどうも!」
「えぇ。……ちなみに、収支とれてます?」
店主は苦笑いして言った。
「いえ。売り込みのためなので、ぶっちゃけもっと安値でも売りますよ。」
「この宝石、シトリンでしょう?」
リックは蝶の胴体の部分にあしらわれた宝石を指差した。
すると店主は驚いて、少し立ち上がった。
「よくお気づきですね!」
「これでも宝石商ですから。」
「ほんとですか?!今度ぜひ一緒にお仕事しませんか?!」
「うちみたいな小さい所でもよければ。」
嬉しそうな店主。彼は名前をノールと名乗った。
「私はリッカード・クオルスと申します。」
「もしかして、クオルス宝石店の店主さんですか?!」
何かやたら明るいノール。リッカードは頷いた。
「そうですか!でしたら今度うかがいます!……今はひとまず、恋人さんにそれをあげてください。」
「……そうですね。でもその前にもう一つ……」
恋人ではない。と言おうと思ったのだが、結婚の約束までしているのでまぁいいかと止めた。そして用事を済ます。
「お待たせしてすいませんスズカさん。」
「さん付けはいりません。あなたにまで気を張りたくありませんわ。」
「でも……」
「今夜だけでもいいですから。」
「わかった。……スズカ。」
嬉しそうに笑うスズカ。その左側の髪に、彼はさっき買った髪飾りをつける。
「俺からの贈り物だ。」
正直、スズカに対して普通の言葉を使うのにそこまで抵抗はない。ただ立場的にそうすべきだからしているだけだ。
「まぁ、素敵。」
本気の声色だった。
「……参りましょうか?」
「あぁ。」
二人で奴隷販売のテントへ向かう。スズカはリッカードの手をやや強引にとって繋いできた。
お祭りの力というやつだろう。彼は自分に言い聞かせた。
「……そういえば、いくら貰ってきてるんです?」
スズカは耳元に唇を寄せてきた。
「聖金貨十枚。」
聖金貨一枚は金貨二十枚の価値がある。
声を必死で抑える。というかそんな額どこにしまっているんだという感じだ。恐らく今日も何だかんだ言って執事がいるのだろう。
「うちの年の稼ぎより多いじゃん……。」
目当ての店は決まっているようで、だから他の客引きをリッカードは頑張ってあしらった。
「お待ちしておりました。スズカ様。こちらへ。」
彼は立ち止まる。自分はそこには相応しくないと考えたからだ。
「何をしているのです?リックも一緒に来るのですよ。」
「あ、やっぱりか……。」
というわけで案内されたのは、テントの中にあるテント。そこには高級そうな椅子や棚があり、四つの檻があった。とはいえ檻の中も部屋の調度品のの例外ではないようで、正直居心地が良さそうだ。
「スズカ様のご要望通り、怪物をお連れしました。もちろん、特別に上等なものを。」
「確かに、素晴らしいですわね。」
リッカードは見回す。確かに、そこにいるのは皆特別だった。
白い髪に獣のような耳と尻尾が生えた少女。
黒曜石のような虹色を帯びた髪を長く伸ばした男性。
輝かんばかりの金髪の気品ある女性。
空の檻。
「どうぞお掛けになってください。お兄様も遠慮なさらず。」
「あ、どうも。」
すると間も無く紅茶が出てきた。スズカは普通に飲んで、その銘柄について奴隷商と話し出す。
正直リッカードにはさっぱり理解できなかった。
「空の檻、気になりますか?」
彼が暇そうなのを察してか、別の、同い年くらいの青年がやって来て話しかけてきた。
「えぇ。普通の人には見えないとかですか?」
「いえ。気難しくて滅多に姿は見せないんですよ。さすがに今日は姿を見せて欲しいのですが……。あ、どうぞ近づいてみてください。もしかしたら出てくるかも。」
「じゃあ、ちょっと。」
見えないと気になるというやつだ。相変わらずスズカは何かを話しているし、良いというのだから行ってみることにした。
檻の中にはやはり高級そうな調度品。そして他と違うのは暗い所だ。そして、やはり何もいない。
「光に弱いとかですか?」
「あ……」
振り返って聞いたリッカードに対して、なぜか硬直する青年。彼が小さく檻の方を指差した瞬間、リッカードの頸に細い腕が巻き付き、檻に背中をつけさせた。
リッカードはそれを解くこともできたが、害をなす気配が感じられなかったから、止めた。
実際のところは、万が一傷つけて弁償とか言われたくなかったからだ。
さっきまでスズカと談笑していた奴隷商は、剣を抜き放し、檻に向けた。
銀製だ。
「怪物。その方を離しなさい。」
「彼は嫌がっていない。」
透き通るような女声。体温が高くて、セイラのことを思い出した。
「嫌がっているかは問題ではない。離しなさい。」
リッカードもさすがにこのままではいられないから頼んだ。
「……離してもらえると助かる。」
「いいだろう。離してやる。」
声色からは想像できない口調だった。
振り返るとそこには、やはり女性がいた。
髪は黒。そして瞳は、セイラと似て赤。ただ、セイラがガーネットならば、この女性はルビーといえる感じだった。つまり少し暗い。
「吸血鬼。」
「その通り。我は『高貴なる吸血鬼』の直下。ミレーナ=レアと言う。」
「何かすごそうだな。」
「凄いのだよ。」
彼は普通に会話しているが、他の皆はとてつもなく警戒していた。
そんな中、スズカが奴隷商に聞く。
「『純血』の直下なんて、一体どこで捕まえてきたんです?」
「捕まえたと言いますか、捕まえさせられたと言いますか……。一応、今回あなた様が来るということで用意したのですが。」
「あんなもの、買いませんよ。」
「狼の子になど買われたくもない。」
嫌そうなスズカに、ミレーナが喧嘩を売った。
「あぁ?」
多分令嬢が出してはいけない声が出た。
「スズカ。止まってくれ。」
嫌な予感がして、リッカードは止めようとする。
「安心してください。少しお話しするだけです。」
すっこんでろ。と目が言っていた。
そして檻の前まで行くと、異変が起きた。
スズカのてっぺんの髪が、二ヶ所盛り上がる。
獣の少女が、泣き声を上げて奥の隅に縮こまった。
そして出てきたのは、耳だ。髪と同じ銀色の毛で覆われた耳が、生えていた。
「まじか……」
驚いているのはリッカードだけだった。
「お前達は私たちに負けたんですよ?その大きな態度は何ですか?」
「純血の一人を潰した程度で何をいきがっているのだ?それに、負け犬の名はそなたらにこそ相応しい。……そう思わないか?」
突然話題を振られるリッカード。スズカが女性を睨めつけた。
「彼は関係ないでしょう?」
「……何だ?お前も彼の血が欲しいのか?」
「吸ったら殺す。」
本気で怒っている声だった。檻をぶち抜かないか心配だった。
するとミレーナはくすくすと笑った。
「何を勘違いしているんだ?私が言っているのは子のことだよ。」
「いずれにしろ同じだ。彼に手を出したならば、お前を八つ裂きにして銀の杭で十字架にくくりつけて主人のところに送りつけてやる。」
純粋に怖かった。そんな言葉が出てくるとは思っていなかったし、声色もいつもよりずっと低い。
「怖がられているぞ?」
スズカはこちらを見た。そして気づいたように顔が緩んだ。
「これは、違うんですリック。」
その瞳には焦りがあった。嫌われたくないと、本気で思っていた。
「違くはないでしょう?別に嫌いになるとかはないですが。」
「寛容な男だな。やはり良い男だ。」
瞬間、スズカのこめかみの血管が浮き上がった。そして振り返りながら拳を振り上げ、檻を殴りつける。
ものすごい音ともに、檻がひしゃげた。
「今、殺してやろうか?」
「……スズカ様。さすがにこれ以上は。」
しかし彼女は鎮まらない。だからリッカードは近づいて、その肩を優しく抱いた。
すると彼女のてっぺんの方の耳がピクリと揺れて、引っ込んだ。
「……ごめんなさい。取り乱しました。」
「こちらも配慮が足りず、申し訳ない。……その檻をすぐに下げろ。」
「お前、我を買わないか?」
ミレーナはリッカードにそう聞いた。
「一応聞いてやるいくらだ?」
「金貨三百枚ですね。」
「そんなもん庶民に買えるわけないだろ。」
実は買えるのだが。
檻は運び出されていった。
「……こんな状況で聞くのも悪いのですが、檻も高いので、一つはお買い上げいただきたいのですが……」
「そのつもりで来ております。」
「申し訳ない。」
場の空気がとてつもなく悪い。だがそれ以上にリッカードには気になることがあった。
「スズカ。拳は大丈夫か?」
「怖い思いをさせてごめんなさいリック。大丈夫です。私たちは丈夫ですから。」
結果。スズカは獣の少女と金髪の女性を買った。黒髪の男は彼女を口説こうとして不興を買ったので下げられた。
ちなみに獣の少女はスズカより低位の狼の血族で、金髪の女性は精霊と人間の混血だそうだ。家に届けてくれるらしく、何か凄いなと言うしかなかった。
「リック。少し、話を聞いてもらいたいのですが。」
「それは構わないんですが。今日はちょっと。」
「私が、怖いですか?」
その言葉を聞いたのは、今日三度目だった。
彼は笑って答えることができた。
「いえ。ただ、セイラに早く帰るって約束したので。」
笑顔のお陰か言葉のお陰か、暗い雰囲気はいくらか晴れて、翌日にまたということで二人は別れた。
そうして朝の鐘が鳴ると、奴隷市場は終いとなる。
「……!大変だ!」
片付けの最中、リッカード達が買い物をしたテントで、問題が起きた。
「どうした?」
職員が指差したのは、ひしゃげた檻と、その前で倒れている男。
「おい!しっかりとした檻に移しておけと言ったろ!」
「移したと聞いたので……」
何かそそのかされて嘘をついたのだろうというのは容易に考えられた。
「ちゃんと確認せんか!すぐに処理屋を送れ。時と場合によっては……いや、見つけ次第殺せ。」
「良いのですか?」
「どうせあそこの家の娘に見つかれば殺されるからな。」
「なるほど。すぐに手配します。」
そうして、王都には混乱と騒動が訪れる。
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