三 お付き合いは計画的に。
「リック。こんな時に言うことではないかもしれないのですけれど、良いかしら?」
スズカは声を小さくして言った。
「この状況に言って良いことと悪いことが存在するんですか?」
リッカードの膝の上には、セイラが嬉しそうな表情で眠っている。寝る子は育つというが、全くその通りなのだろう。
「それはそうでしょう。例えばここで私が政治の話をし始めたらどうです?」
「困ります。するんですか?」
政治は庶民には難しすぎる。他の国では共和制とやらが始まったが、この国ではあまり関心を持たれていない。
「いえ。これから話すのは私自身の身の上に関することです。」
「血統のややこしい話しとかはやめてくださいね?」
そういうのを誇る人でないと分かってはいるが、一応釘を刺しておく。貴族がその話を始めると、軽く一刻は持っていかれる。
「ご安心ください。難しくはありませんよ。」
途端に、スズカの瞳が揺らぎ、完璧だった表情が崩れた。
「……ぜひ、心構えをして聞いてくださいませ。」
もしかしてお見合いで断れなそうな相手に声をかけられているとかだろうか。とあてをつけるリッカード。しかしその身構えは、彼女の言葉の前では何の意味も成さなかった。
「私、『狼の血族』なんです。」
「へぇ……。……マジかよ。」
「あら?意外と驚いていらっしゃらない?」
「いや、驚いてますよ。驚きすぎてむしろ冷静になってるだけです。」
「反応からして、『狼の血族』はご存じなのですよね?」
「あれでしょう?人狼。」
瞬間、彼女の表情があからさまに不機嫌になった。
「違います。」
即答だった。
「あんな低劣なものと一緒になさらないでくださいませ。あれらはせっかく与えられた力の制御もできない愚か者です。」
ちょっとよく分からなかった。その顔でスズカも気づいたのだろう、説明を始めた。
「わたくし達の始祖は、狼の姿をした精霊です。かの方は、五人の者に自らの強大な力の一部を分け与えました。そしてうち二人が、力に溺れ、人狼を産み出すきっかけになったのです。」
「なんかおとぎ話みたいですね。」
「わたくしは実際子守にこれを聞かされました。」
「で、スズカさんのご先祖は三人のうちの一人と。」
「えぇ。今は二人になりましたが。」
リッカードはひとつ疑問を覚えた。
「たしか人狼って、引っ掻いたりすれば仲間を増やせますよね?スズカさんはできないんですか?」
「……できなくはないのですが、やった相手が高確率で死にますね。」
「なるほど。」
しばしの沈黙。頭を整理する彼の手を、震えるスズカの細い指が包んだ。
「……どうか、嫌いにならないでくださいませ。」
「なりませんよ。もっとさっさと言えよとは思いますけど。」
真っ直ぐな言葉に、スズカはぎこちなく笑みを浮かべた、
「やっぱりそんな冷静なのは変ですよ。」
「この子も怪物ですからね。」
安心させるためというか、自然と零れた言葉に、しかし彼女は表情を一変させた。
「この子は怪物なのですか?」
彼は庇うために体を少しずらす。
「だったら何です?」
「何でそんな子拾ってきたんですか?危害を加えてきたらどうするんです?」
「どの口で言ってるんです?」
「私があなたに怪我をさせたことがありましたか?」
「何度か。」
「っ……。」
スズカは言葉に詰まった。彼女はリッカードの骨を三本ほど折っている。すべて帰って欲しくないとごねた際にやったものだ。
「でも、私には父上や母上がおりました。ですがこの子は、力の制御を誰からも教わっていないのですよ?」
「でも、今のところ問題は起きてないですよ。」
「この子が来てまだ一日も経っていないのに何を言っているのですか?!」
すっかり声を潜めるのを忘れた彼女の声に、セイラがぼんやりと目蓋を上げた。
「……ん……?」
「大丈夫だ。ゆっくりお休み。」
リッカードの声は、セイラに向かうときはすっかり穏やかになる。
だからスズカは疑っていた、この少女は、人をたぶらかす類いの怪物なのではないかと。
「うん……。」
セイラが寝息を立てるのを確認してから、スズカは話を再開した。
「この子がもし、すでにリックに影響を与えていたらどうするんですか?」
「だとしたら俺はあなたとこんなに冷静に話せていないと思うんですが。」
「それはこの子の未熟さで……」
言っていることに無理があると気づいたのか、彼女の言葉はどんどんと細っていく。
「ともあれ、誓いを立てた以上世話をしないわけにはいかないんです。どうしようもないですよ。」
「そこですよ。何で拾ったばかりの子を養うって決めたんですか?」
「預けようとしたら引き取れって言われたので。」
「何で……いえ、それはそうですね。」
教会は怪物を嫌う。預けていたら『処分』されていたのは明白だった。
「……ともかく、この子をあなた一人に充てる訳にはいきません。メイドをこちらに置かせていただきます。」
「何でそんなこと……」
「あなたが我が家に来ていただいても構わないんですよ?」
「……はい、分かりました。」
「では早速手配しますので、私は帰らせていただきます。この子によろしく伝えておいてくださいませ。」
「えぇ。ごめんなさい。見送りはちょっと……」
「分かっていますよ。それでは。」
静かに部屋を出ていくスズカ。なんやかんや言っても、セイラへの気配りを欠かしてはいなかった。
「……いやぁ、まじかぁ。」
じわじわと湧いてきたのは、スズカが狼の血族であるということへの驚きだ。
結局狼の血族とは何なのかも掴めないまま、疑問だけが増えて放り出された。
「セイラの正体……」
赤い瞳、言葉が達者、回復能力の高さ、よく寝る。これが今セイラについて分かっているすべてだった。
「まぁ、育てるって決めたしな。」
セイラのさらさらになった髪を撫でる。彼女の口角がわずかに上がった。
「……おいリック~!いるか~?!」
「どうしよ。」
正直セイラを起こすのは気が引けた。わずかの逡巡の後、下に降りることにした。
「はいただいま。」
もちろんセイラはベッドの上である。彼女も大事だが、なおさら養うためにお金がいる。幸いにも『欲深い』職なため、ちゃんとしていればお金は相当稼げる。
「工具直ったか?あとお客さん。」
見慣れない貴族の女性がいた。そうすると職人の男だけがここにいるのが不思議に感じられる。それはそうなのだが。
「工具はこちらに。お代は銅貨八十五枚になります。お嬢様はそちらに座られて少々お待ちください。」
「銀貨でいいか?」
「はい。じゃあこれつり銭で。」
「ありがとさん。」
せかせかと出ていく職人。女性が立ち上がり近寄ってきた。
波がかった金髪に、水色の瞳。服装は庶民風だが、生地がどう見ても高いから絶対に違うと分かる。
「本日はどのようなものをご所望で?」
「知り合いが、ここの店は質がよくて安いと。」
いつもこういうのにはうんざりしている。何が欲しいか聞いているのに。別にこの店をどう知ったかなどどうでもいいのだ。
「そう言っていただけて光栄です。」
もちろん顔にも声色にも出さない。
「……恋人から、誕生日のお祝いに宝石をもらったのです。私の髪のような金色の宝石を。」
「お返しですか?」
「はい。ただ……彼は黒髪なのです。」
黒い宝石は縁起が悪いと、恐らく貴族御用達の店では表向きには扱っていないだろう。そして頼めるほどこの女性は偉くないと思えた。
「なるほど。黒い宝石ですね。でしたら、」
リッカードはカウンターを出て、宝石の陳列されているうちの一つを指した。
「こちらの黒曜石などはいかがでしょう?」
彼女はそれをまじまじと眺めた。
「……虹色をしてしまっています。」
してしまっています。というかそこが評価されているのが黒曜石だ。
「あぁ、そうでしたね。でしたら少々お待ちを。」
彼は手袋をして、作業場の棚の中からオニキスという宝石を取り出した。
「これはいかがでしょうか?」
「わぁ!これは素晴らしいですね!」
言うと、彼女は躊躇なくそれを手に取った。研磨済みで、汚れがつくと磨き直すのがかなり面倒だ。さすがに顔に出ていたと思う。
「これは何という宝石なのですか?」
「オニキスといいます。」
「すばらしいです!覚えましたよ。行きつけの店にあるか聞いてきます!」
彼女はリッカードに宝石を返して店を出ていった。
正直驚きはない。あれがいわゆる下級貴族という奴らだ。簡単に言うと頭が悪い。
後で関係者が頭を下げに来るのが簡単に予想がついた。
結構な声で愚痴を言いつつ修理のために音も立てていたのだが、セイラは起きてこなかった。
それよりも早く、スズカから人が送られてきた。
「邪魔するわよリック。」
扉が開くのが早いか声がするのが早いか、ともかく女性が入ってきた。
その人が客ではなさそうなのを確認してから、リッカードは言った。
「いや誰だよ?」
まず目につくのはメイド服だ。次にきつそうな性格がうかがえる顔立ち。そして黒髪を結わえたポニーテール。見覚えはなかった、
もちろん。これだけで客でないと判断したわけではない。リックと呼んできたからだ。
「なに?私のこと覚えてないっていうのかしら?それとも……私が見違えるほど立派になっちゃった?!」
よくは覚えていなかったが、こんなメイドらしからぬ態度を取る人間になら、心当たりがあった。
「ベスティ?」
「せいか~い。」
彼女は簡単に言うと、性格はきついが良い子である。しばらく会っていなかったが、正式にメイドになっているようでリッカードも嬉しかった。
「何で来た?」
「何でって……スズカ様の未来の旦那様が忙しそうだから手伝ってやれって言われたのよ。」
「にしても来るのが早いな。」
「それは……早い方がいいでしょ?何か拾って来たって聞いたわよ。」
「あぁ。セイラの事だな。」
「何でそんな名前にしたの?」
「うちの地元の木の名前。」
「つまんないの。せっかくなら私からつけなさいよ。」
「何でだよ。」
言うと、急に不機嫌そうになったベスティ、こういうところは相変わらずのようだった。
「一応聞くが、スズカさんとかに失礼はしてないよな?」
「失礼ね!誰がするもんですか!私は、立派な、メイドなのよ!」
「俺にはこんな態度するのに?」
「それは……あんたは…友達でしょ?」
そんなこと言ったなと思い出す。
「そうだったな。じゃあ良いか。」
するとベスティは嬉しそうに笑った。
「そうよ。友達にまで気を遣ってたら疲れるじゃない。」
他に友達はいないのか?というのは聞いてはいけないだろう。
「じゃあ、早速掃除から始めるわね。上、失礼するわよ。」
「あぁ。今セイラ寝てるから、」
「気をつけるわ。」
「あぁ。よろしく。」
二階から悲鳴が聞こえたのは、それから少し経ってからのことだった。
「?!」
リッカードは慌てて二階へ向かった。悲鳴の他にも色々混じっていて、どちらがどうなったのかがさっぱり分からなかった、
「どうし……た?」
結果的に言うと、ベスティがベッドの反対側の壁まで吹き飛ばされていた。
一方のセイラはベッドの上で上体を起こして硬直していた。
「大丈夫かベスティ!?」
何があったかはともかく首が床につく形で動かないベスティ。最悪の事態を想定したリッカード。
「……ごめんなさい……。」
セイラが小さい声でそう言ったが、リッカードの耳には届かなかった。
「ベスティ?」
「……見てないで助けなさいよ。」
「あぁ、無事ならよかった。」
「なんで無事と思うのよ?!」
「いつも通りの反応だから、元気なんだろうなぁって。」
とは言いつつ彼は助け起こす。
「で、何があった?」
「ごめんなさい。……セイラが悪い。」
「うん?」
ベスティに補足を促す。
「彼女が起きて、びっくりさせちゃったみたいで、気づいたらぶっ飛んでた。受け身取ってなかったらほんとに死んでたわ。」
「あれで受け身って言えるのか?」
リッカードは、セイラが怖がりすぎないように茶化す。
「死んでないんだから良いのよ。」
ベスティも乗った。
「セイラ。」
「ごめんなさい。」
「謝らなくて良い。わざとやったわけじゃないんだろ?」
彼女は頷いた。
「じゃあ大丈夫だ。このお姉さんはベスティ。これから俺らと一緒に過ごす人だ。」
「よろしくね。」
こういう年下には恐らくベスティほど心強い人はいない。
「私、リックに変なことしないよ?」
「……起きてたのか。」
ベスティは近づき、セイラに目線を合わせ、言った。
「セイラ。あんたがしようとしてるかどうかは関係ないの。その力がある以上、私はさっきみたいなことを彼にやらないように見張らなくちゃいけない。わかる?」
子供だからとか一切関係ない説教である。
「セイラが怪物だから?」
「簡単に言うとそうね。」
「分かった。」
「よろしい。じゃあ改めて、ベスティよ。よろしく。」
「よろしく。」
二人とも満足そうに笑って、ベスティに従う形で握手を交わす。
そして彼女はリッカードの元へやってきた。
「で、どうする?一時的に主従関係ってことにしても良いけど?」
リッカードは少し悩んだが、あまりこうしているとまた怒られるので、ちょっと試してみることにした。
「一回ご主人様って言ってみてくれるか?」
「ご機嫌はいかがですか?ご主人様。」
言葉や立ち居振る舞いは自然なのだが、彼の中での違和感が凄かった。
「うん。無しで。」
「何よ!せっかくその気になってたのに!」
「その気だったのかよ。」
「そりゃそうよ。私裏方だからご主人様なんて言わないもの。」
「もしかして呼びたくて練習してたのか?」
「……うん。」
「でも、俺のこと主人って呼ぶのは違和感あるだろ。」
「……無いわよ。あんたのことしか呼んだことないんだから。」
照れくさそうに小声だが、はっきり発声しているので普通に聞こえた。
「あぁ、メイドの練習の時だろ?あれなんで俺にやってたんだ?」
「私みたいな下っ端が屋敷の人に頼めるわけないでしょ。」
二人の思出話に花が咲く。セイラは不機嫌そうな表情でリッカードに歩み寄ると、シャツの裾を掴んだ。
ベスティはすぐにそれに気がついた。
「なに?嫉妬?」
セイラはよく分からないと首をかしげる。
「まぁ、いいわ。部屋掃除するから、二人とも降りてて。」
「セイラ。おいで。」
リッカードは彼女を抱っこして下へ。
一人残ったベスティは、自分の骨がちゃんと無事であることを確認する。
「意外に大丈夫ね。」
同時に、スズカから言われたことも思い出した。
違和感。
優しい。昨日今日拾ってきたばかりらしい少女に、やたら優しく、セイラもまた彼になついていると。
会っていた時期は、スズカもベスティも一緒だった。しかしスズカは貴族で、ベスティは庶民だ。一緒に町を歩いたことも何度もある。だから知っている。
リッカードはあれが平常運転である。そして拾ってもらった捨て子もあんなものだ。
ただ、それとは別に気づかされたことがあった。
「陰ね……。」
一緒にぶっ飛んだテーブルなどを直しつつ、先ほど起こったことを思い出す。
飛ばされたとはいっても、投げ飛ばされたわけではなかった。
見えたのは、陰が盛り上がって、波のように押し寄せてくる様。
そんな能力を持った怪物は聞いたことがなかった。もちろん庶民の狭い知識においてだが。
「……リックのやつ。とんでもないの拾ってきたんじゃないでしょうね。」
愚痴りながら片付けをするベスティ。突き指に気づいたのは夕飯の支度を始めたときだった。
「ベスティ。指真っ黒だぞ?」
「は?」
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