第59話 宰相アダムの憂鬱 その2


 目の前の娘は、静かに話を続けている。全く冷静そのものだ。

「私がしたいのは、そんな立場の彼女を担ぎ出して悪いことに利用しようとしている連中がうじゃうじゃいることで、綺麗さっぱりそいつらを排除したいということなんですよ」


 確かに、不穏な動きがあることは確かだ。まだ不確定要素だが。


「自分たちがチェリーさんを利用して政治に食い込もうとしている連中というのは、私利私欲で政治を行おうとする連中です。それが何を意味するのか、父上ならお分かりですよね? だったら、明確に、彼らの旗印となる彼女をどうするべきなのか。一番は自分の国に帰ることなんでしょうが、実質、それは不可能です。だから国が保護して修道院に入れるなり、王宮に入れるなりするのが最良の策ではないか、というのが今までの考えです。今までは、渡り人があまりにも有能な力を持っていたから理由付けが出来て、囲うことが出来た。でも今の彼女はそれほどではない。だったらどうするか。単純に、王宮に永遠に閉じ込められるように、王子の配偶者としてしまうのが一番です。もちろん、彼女自身がこの国で生きるという覚悟がなければ無理だと思いますけど、少なくとも王宮に閉じ込めておけば、おばかな連中と交わることもないし、彼女を守ることもできるし、政治的に統制もできる。ただ、問題はその相手、王子の存在です」


 お前は、何を言っている?


「今、この国には王子が二人。どちらの王子が王になっても、その施政は間違いがないと思われます。でも、その二人のどちらかに渡り人の女性をあてがい、なおかつ、国と彼女を守るためには王位継承権を放棄しなければならないとしたら、一体どんな手法を用いれば一番効果的に、かつ、憂いなく一人の王子に立太子を促せるのか」

「お前は、セオドア様がわざとそうやっていると、そう思っているのか?」

「もしかしたらそうなのかもしれないし、もしかしたら違うかもしれない。わかりません。わかっているのは私一人に攻撃していること、内容が子供の喧嘩レベルだということ。嫌がらせですよね」


 学院でのあれこれは耳に入っている。もちろん、リチャードにも。だから父親として婚約者を大事にしろとセオドアを叱ったと言った。幼稚すぎると。

 だが、王子はそれに反発したとも。だから婚約破棄をしたいという。


「私の気持ちも見透かされている、と見て良いんでしょうね。だったら、セオドア様がやりやすいように、私はついて行くだけです。私は婚約者としてその役目を全うしなきゃならない」


 クリスは、私の方をじっと見つめた。声にならない声を、噛みしめる。

「もしも婚約破棄するとして、デビュタントパーティを経て、セオドア様が正式に社交界デビューなさるのは来年、新たに婚約を結ぶとしたら、それまでの期間が王族が一般的に結婚年齢とされる20歳まで、少なくとも3年から4年の猶予がある」

「それは甘いと思いますよ。昨今の周辺事情からすれば立太子は早いうちに行わなければ周辺国から侮られましょう。そうなるとデビューと同時に立太子への発表と考えるのが妥当として、ひと騒動あったとしてもあと一年くらいの猶予と私は予想しています。でもね、父上」

「ん?」

「セオドア様は根拠なき婚約破棄を申し入れたわけじゃないんですよ。そこを考えると、もっと早いかもしれない」

「お前はどう考えているんだ?」

「気になっているのは、チェリーさんへの脅迫ですよ。期限をデビュタントのパーティと指定してきたでしょ?」


 私の頭の中に、ティムからの調査報告が浮かぶ。


「それから、特別にヒントを差し上げておきます。陛下を説得する材料になるかと」


 クリスが目の前のメモ用紙に、数字を書き留めた。


「何の番号だ?」

「セオドア様に、理解していらっしゃいますか、と尋ねたら返ってきた返信がこれです。だから私は安心してセオドア様を応援できる。セオドア様は根拠あっての婚約破棄を申し入れてきました。ですから、私はいずれにしても受け入れることになると思います。でも今じゃない。セオドア様がいばらの道を進むというなら、私は喜んで苦杯を受け入れます」

「クリス、どういう意味だ?説明しなさい」

「少なくとも、私はセオドア様を尊敬しておりますので。お話がこれだけでしたら、失礼してよろしいですか?」

「もしも婚約破棄となれば…」

「領地に引っ込んで研究に没頭するか、平民になって研究に没頭するだけですよ。私は私。変わり者の公爵令嬢で結構です」


 すっきりと思い切った笑顔を向けられて、ああ、クリスの中では何かが起きて何かが完結してしまったのだな、と腑に落ちた。

 いつものお父様呼びではなく、父上と呼ぶときは完全に宰相として、為政者として私を扱うときの呼び方だったことにも気になる。そして、王子とのふたりの間にあったことの謎解きができなくて悔しい。私もまだまだだ。


「仕事を片付けてから夕飯にする。先に食べていなさい」

「わかりました」


 結界が解かれた書斎を、クリスは静かに出て行った。

 わが子ながら、一体何歳なのかと思うところがある。

 いや、問題はこの数字だ。根拠あっての婚約破棄だと言った。根拠あっての数字、この数字があらわすものは何だ?

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