第9話 貴族の矜持
朝食後、今日は何もしなくて良いから午前中はおじいさまに付き合え、と言われた。
「時間厳守だ。ブラウ、エレン隊長はいるかい?」
「ここに。隊長は庁舎にいますが」
「今日の執行にクリスを立ち会わせる。支度を」
「いや、早くないですか?お嬢様は…」
「ブラウ、支度を。それからエレン隊長に立ち会わせることを伝えてくれ」
いつになくおじいさまの態度が頑固だった。
そして着替えるように言われた。なぜ?
けれど、ブラウがわかっていたように私のそば仕えの侍女に指示して出されたのは黒礼装。
ああ、そうなのか。
それで納得してしまった。
黒礼装は、領内の犯罪者たちに対する「刑の執行日」があるときだからだ。
黒礼装は、文字通り黒の礼装で特別な時にしか着ない。
この国の服は、アオザイのような長い上着を身にまとう。黒のシャツに黒のズボン、黒の靴。加えて黒の上着を着て、女性も男性も黒の兵児帯のような帯を腰に巻き、帯剣する。それが共通の黒礼装だ。もちろん、私も黒礼装を持っている。領地内での儀式や重要行事に出席するためだ。
部屋を出て、黙っておじいさまの後についてゆく。領主館を出て、その隣の役場を突っ切って到着したのは領地の治安を管轄する領兵の頭脳ともいえる領内の警備本部だ。軍隊と警察とを足したような機能を持っていて、消防団のような役割も持っている、治安部隊だ。町の人々はひとくくりに警備隊と呼んでいるけれど、街中の治安を維持しているか否かの勤務場所の違いで警備隊と領兵と呼び分けられているだけで、中身は兵士であることに変わりはない。エレン隊長はそのトップに立つ人で、つまり、領内の防衛長官の立場にある。
おじいさまは知った顔で、案内されるまでもなく建物の中をずんずん進む。
本部には活気があり、折り目正しい雰囲気がある。そしておじいさまは中庭に通じる部屋の一室に入った。
そこには、エレン隊長と黒づくめの礼装を着た隊長の部下たち、役場で執行官と呼ばれる行政文官の何人かと、司法管轄の仕事をしている管理官の人もいた。この管理官は何人かいるのだが、つまり、裁判官ということになる。共通するのは全員、黒礼装だ。半数以上は役場で見かけたことがある人たちだが。
「クリス、ざっとで良い、そこにある裁判記録を読みなさい」
「大旦那様、この内容はお嬢様には…」
指示された裁判記録は5冊。5件分の犯罪記録だった。それを、本当にざっとだが目を通す。最も、領内のあれこれを把握しているので復習に過ぎないが、他の領に比べて私利私欲で裁判が行われないようにきちんと調査したうえで裁判をし、刑が決まっている。窃盗、強盗、器物破損の三件については領内法に則っての鞭打ち刑。それぞれ回数は違うが、厳しい刑であることに変わりない。四件目と五件目は殺人事件。四件目は簡単に言うとストーカー殺人のようなもので、被害者は一人。5件目は、三人組の複数犯で、他領でも殺人事件を犯しているし、わが領に逃亡してきて一家6人を殺害した、領内を震撼させた事件だ。この二件は死刑が言い渡されている。
「今日は執行日だ。立ち会いなさい」
おじいさまは真っすぐに私の目を見てそういった。
「はい」
それだけを答える。まぁ、そろそろだと思っていたけど。
「領主代理、貴方も領主の地位にあった人だ。教育上、こんな残酷なことは子供に経験させるべきでないと、私は思うのだが」
そういったのは、管理官だ。
「だからこそ、だよ」
おじいさまは平然とそう言った。もう一度抗議しようとした管理官の腕をつかんでそれを封じたのは、意外にもエレン隊長だった。
「普通の子供なら残酷だと止めるが、お嬢さんは領主の娘だ。早いうちに権力とは何かということを、身をもって経験させたいというのはご領主様も前々から口にしていたこと。今がチャンスだと領主代理も承知されたのなら我々は口を出すべきではない」
「しかし」
「お嬢さんは公爵令嬢だ。この先、高位貴族としてそれなりの責任を負うことになる。そのための教育だと思わないか?」
「早すぎる。子供に見せるべきものじゃない」
「それでつぶれてしまうようなら、公爵家の娘としての矜持がないということ。だったら他の生き方をすればよい」
おじい様はそういった。
「代々、6歳から7歳の間でこういったことは経験してきているんだ。私も、アダムも、カイルもね」
ひゅっと執行官は息を止めた。
「心構えのない奴に命令は出せん。覚悟がない奴に領民は守れん。向いていないのなら、別の道を歩ませるだけじゃ。さて、クリス。お前はどうする?」
「はい。常々覚悟はしていました」
すっと答えた。答えられた。
平和主義の日本で生まれ育ったから、人の命を奪うようなことは極力したくないけど、この世界ではそんなことは通用しないと思い知っているから。
「そうか。覚悟はあるのか。ではクリス、人の上に立つ覚悟があるというなら、この先何かあって一人で判断を下さねばならない時が来たら、お前はどうする? 子供だからと言って逃げるのか? 頼るものが誰もいなくなっても、お前は判断する勇気はあるのか? それが自分の命の選択になったとしても、だ」
おじいさま、それは荷が重い。でも。
「一番は、領民と国の民が安全に安心で暮らせるように」
それだけは自信を持って言える。
王様がそう掲げているから。だからおじいさまも、お父様もお母様も、その判断をする。だから、私もそれを理解したい。
おじいさまは深呼吸した。
驚くように私に目を向けているのは、隊長や執行官、管理官など、普段の私を知らない人たちだ。
「お前は、そう考えるか」
うんうんと頷いたおじいさまは、執行命令書を管理官に渡した。それで大人たちが静かに無言で動き出した。
街はずれの処刑場で7人の刑罰が執行された。
前世ではこんなことはまずなかったけれど、これが貴族の責任なんだと思えた日だった。
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