六 寒蝉の声

 交差点で立ち止まった。ツクツクボウシの鳴き声が聞こえたからだ。

 「大雅君!」

 振り返る。梶本さんが笑って手を振っている。

 先に帰っていたはずではないのか。

 その後ろに白い車が見えた。

 「後ろ! 気をつけろ!」

 走りだした。

 彼女のすぐ後ろで車が止まる。

 梶本さんは何かを言いながらこちらに向かって走り出した。

 でも何を言っていたかは聞き取れていない。

 「また駄目か」

 男と目があってしまった。知らない男だ。

 防犯ブザーが鳴る。

 梶本さんのだ。

 男は急いで車に戻ってどこかへ走っていった。

 ため息をついて、梶本さんの方に歩いていく。

 「助けてくれてありがと」

 「いいよ、何もなくて良かった。防犯ブザー持っていたならすぐ鳴らせばよかったのに」

 「持っているの思い出せなかった」

 「防犯ブザーの意味無いじゃん」

 「大事なときってだいたい色んなこと忘れてるよね」

 彼女が立ち止まって振り返る。

 「夏が終わるね」空を仰いで、突然言った。「夏休みもあと十日もないよ。あっという間だった」

 彼女の後ろで陽炎が揺らめく。一瞬、彼女は陽炎が見せたお化けなんじゃないかと思った。長い長い夏の終わりの幻。

 「僕には長かった」

 「そう?」

 「うん。まあ、ずっと夏みたいなものだったし」

 「意味分かんない」

 「分からなくていいよ」

 彼女は少しだけ笑みを僕に見せ、先を歩く。

 「じゃあ残りの夏休みはどうするの?」

 「別に今までと何も変わらないよ」

 「そう」彼女はそう言って苦そうな笑みを見せた。

 「とりあえず、今日は家まで送ってくよ」

 「いいの? ありがと」

 さっきのおじさんの車が僕らを追い抜いて行く。手を振った。

 「知ってる人?」

 「さっき助けてくれたんだ、あの車のおじさん」

 「なにかあったの?」

 「おじさんが教えてくれなかったらここにいなかったから、絶対」

 「大雅君も危なかったの?」


 少女は知らなかった。

 少年は一度少女の方を見た。

 「まあ、そうだったみたい」

 (知らない事は、幸せだ)

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